↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼きヒーローの肖像 ―A portrait of the hero as a young boy―  作者: 入江晶
第二部 ヒーローと少年の二重露出
PR
41/93

(5)ヒーローの挫折-4

 裁判官が三人そろい、審理が開廷した。


 被告人すなわち僕は父の大声で、何の敬称もなしに呼ばれて、法廷に召喚された。居間の一人がけのソファーに座らされ、裁判官たちは、母が台所で夕食の後始末をしていて、残りの父と祖父は僕が座っているのと直角の向きに置かれているソファーに並んでいた。


 裁判官が告げる。罪状、小学校への遅刻、および集団登校の拒否。


 罪状認否、被告人はそれを認めた。


 被告人尋問、犯行の動機は? 被告人の証言ははっきりしない。『ちゃんと聞こえるようにしゃべりなさい』、裁判官の注意。被告人は黙秘、何しろ、語り得ることなど何もないのだから。


 最初からまたやり直し。このままだと、延々と続くことになりそうだと思って、僕は陰鬱な気持ちになった。いくら詰問されても、僕は言葉を選びに選んでから輪郭もはっきりしない話をもごもご口にするしかできないのだから、どうしようもなかった。


 詰問するのは主に父の役割で、裁判長の役回りを演じていたというところか。しかしそんな父の様子を視界の端っこに置かせられていると、なんだかいらいらしてきて、僕が思う父の『俗悪』な姿、エピソードばかりが思考の中に現れた。


 絶対に台所周りのことを手伝わないくせに、調味料や器具の置き場所には異様とも思えるほど口を出し、偉そうにテレビに対して文句を言う姿は、後になって振り返ってみれば驚くほど祖父に似ていた。一度した話を、本人がどう思っているのかは知らないけれどたいして面白くもないのに何度も繰り返し聞かされた。政治家をぞっとするほど陳腐なお定まりの決まり文句で批判した、本人は何か鋭い見識を発揮したと思っているらしいけれど――などなど。


 事実関係について述べるのは、僕ではなくて(黙っていたのだからそりゃそうだ)、祖父の役割だった。裁判官であると同時に、証人でもあったわけだ。


 母はいつの間にか台所からダイニングのテーブルに着いていた。最初から最後まで、母は何も言わず、口を閉ざしたままだった。そんな態度が、母の人生のありようというか、僕の見てきた母という人間の印象をはっきり表しているような気がした。


 後の記憶を先取りしてしまえば、母は自分自身働きながら僕と兄の高校生時代には毎日弁当を作っていた。都合六年間もそんなことを毎朝続けたというのが、とてつもないことのように僕には思えた。悪感情を母に対して抱くことが(ほとんど)なかったのは、そういう理由があったらしい。『俗悪』な父は、なかなか進まない審理をさっさと片付けたかったらしく、最後には判決を言い渡してぱぱっとその場を切り上げた。見事に裁判長の役を果たしたわけだ。


 主文、被告人に、集団登校への参加を命じる。遅刻および早刻(こんな言葉はないけれど、ふさわしい言葉を僕は知らないので作ってみた)は認めない。執行猶予なし。


 僕は最初は黙っていた。何度か念を押されるように『分かったか?』と言われるうちに、僕は最初は黙って身じろぎもせず、次に頷き、最後には


 ――分かった。……ごめんなさい。


 と答えた。それを聞いて、父が露骨にため息をついた。母は食卓から離れた。祖父はいつからか腕を組んで目を閉じていて、まだそのままの姿勢だった。


 僕はソファーから立ち上がって、黙って階段を上った。僕にとっては、それは断頭台へと続く階段と同じだった。


 確かに僕に与えられた判決は、首とまではいかなくても、腕が足の一本くらいには相当するほどのものを切り取られるようなものだったのだから。少なくとも、そのときの僕はそう感じていたし、今思い返してみても、確かにそれくらいの印象や衝撃を与えられるものだったように見える。


 部屋に入ると、ウーティスが出迎えた。


 ――何があったの?


 のんきに、何が起こったのか本当にさっぱり分からないという様子で、そんな言葉をウーティスは発した。


 ――何でもない。


 こう答える他に、どんなやりようもなかった。『食べ物は?』とでも求められたら全力でぶん殴るか蹴り飛ばしてやろうと思っていたけれど、ウーティスは僕の様子を見ることにかけては実に聡く、何も言わずにベッドの影の定位置に飛び込んで、丸くなった。


 行き場も根拠も正当性もない怒りがこみ上げてきたけれど、どうしようもなかった。その怒りは、風呂場で水面を叩いて少しだけ発散された。部屋の明かりを消してベッドに入る頃には、それは悔しさに変わっていき、明日しなければならないことを考えて憂鬱になった。ウーティスの出て行った窓、その網戸越しに見える星のないただ黒いだけの空(忌々しい光害のせい)を見ながら、目から涙がこぼれ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。