(3)憧れの始まり-1
当たり前に繰り返してきたことが少し形を変えるだけで、とてつもなくやっかいなことになってしまう。
こうして完全に日が落ちて真っ暗な中で家の前に立つと、一歩踏み出すのも、本当に気が重かった。
二台分のガレージには、左側に車が一台、父の車が入っている。一階の明かりが点いていて、二階の明かりは点いていない。ということは、一階の、居間かダイニングに父がいる。祖父もたぶんそうだろう。いつもは僕が作っている夕食は、まだ用意していない――その前に、ロートスを見つけたというウーティスに促されるまま、大急ぎで着替えをプールバッグに詰め込んで、家を飛び出してしまったからだ。
帰るのが遅いとか夕食の準備をしていなかったせいで叱られるというようなことは考えにはなかったけれど、いずれにしたって、こんな時間に帰るというのは、言い訳が必要なことだった。これでもう片手で数え切れなくなるくらいに繰り返しているなら、なおさらだろう。友達、学校、部活動、どれにしたって全部嘘になるから、そういうヴァリエーションは慎重に使わなければならない。
この日は、それまでで一番やっかいだった。
玄関を入ったところで祖父に鉢合わせ、僕は逃げるように(逃げたのだけれど)、何か祖父が言うのにも耳を貸さず、靴を脱ぎ捨てて、大急ぎで自分の部屋に向かった。電気をつけるとこつこつと窓をたたく音がするので、開けてやって、いつの間にか、あるいは単に僕が家の前でまごついている間にか、もうそこにいたウーティスを部屋に入れた。
それから、とにかく濡れた頭だけは何とかしようとタオルで髪をぬぐって、服ももう一度着替えた。ウーティスにおとなしくしていてよと念を押して、やっと僕は一階に降りた。
四人分の食事の準備が(父の手によって)されていたテーブルには、祖父と父の二人だけがいて、その二人の食事はもうほとんど終わっているらしかった。僕は何も言わずに席についた。
僕が食べ始めてしばらく経ってから、父が僕にこんな時間まで何をしていたんだと尋ねた。祖父もそれに同調して、ほとんど問い詰めるような形で、僕に話しかけてきた。僕は食事に忙しいというフリを見せながら、もごもごと、その場しのぎの適当な嘘をついた。確か、出かけて本屋に行ってきたとかいうようなことを言っていたと思う。
それで祖父や父が納得したかどうかは分からないけれど、とにかく、何度目かのそんな問答の末に、僕に対する詰問は止んだ。僕の方は、内心では『何も知らないくせに』という、きっと筋違いで矛盾した怒りが高まってくるのを押さえるので、精一杯だった。
僕は、この二人を尊敬していなかった。この頃もそうだったし、今もそうだ。尊敬していた時期もあったけれど、今はもうそんな感覚は失われているというか、心と頭が否定している。
感謝しなければならない存在だとは思えるけれど、それと一個の人間として尊敬できるかどうかとは別の問題だと感じ、考えた。
いつからか、少なくともこの頃よりはかなり後になってからなのだけれど、僕は、『俗悪』という言葉がこの二人を形容する最もふさわしいと思うようになっていた。
ほとんど何不自由なく、育てて、守ってもらったという意味では感謝するしかないと思うけれど、そういう衣を取り払って向き合ったとき、そこにいたのは『俗悪』と形容するしかない人間だと、僕は感じる。思春期に見られる親への反抗とかいったものを割り引いたとしても、十二歳になる寸前のこの頃には、僕はすでに家族を軽蔑するようになっていた。
その後、今のように多少なりとも大人になってみたところで、軽蔑という感情は遙かに薄まっていたけれど、尊敬するわけにはいかないという思いは何も変わっていない。
僕はいつも、どこでも、少数派だった。単にひねくれていたからそうなったのかもしれないけれど、いずれにしても、僕の物事への関心、感じ方に共感してくれる人には、ほとんど出会えなかった。
僕の家の中ですらそうだった。一つ、決定的というか、象徴的な出来事について思い返してみよう。




