ある観察記録-2
全てが、少年の体にぴったりと合っていて、体の線もはっきりと見えている――腰のくびれ、わずかに骨張った肩や背中の形から、股間の控えめな膨らみまで。光の帯が収束していくと、わずかな明かりの中に、そんな赤い装束で全身を包んだ少年の姿が現れた。
怪鳥すなわち羽、牙、かぎ爪の持ち主は、もちろん、その様子を指をくわえて黙って見ていたわけではなかった。だが、何しろ少年のその変容は一瞬のうちに起きたのだから、大きく羽ばたいてかぎ爪を突き立てようと迫ったときには、全ては完了していた。
少年は身を翻してかぎ爪を避け、すれ違いざまに左拳の一撃を見舞った。
弾けるような、しかし鈍い音がして、続けてその怪鳥が地面にたたきつけられた。だが次の瞬間には、怪鳥は辺り一帯に風圧を生じさせるほどに大きく羽ばたき、いずこかへと姿を消していた。
むちゃくちゃな殴り方をしたのに、少年が拳に痛みを感じたのは衝撃の瞬間だけで、その痛みはすぐに消えてなくなったどころか一切どんな感触も残っておらず、握って開いてみて、ようやく自分自身にもその手の存在が確認できるほどだった。
――あいつ、また来る!
足下の毛玉が叫んだ。
――分かってるさ!
毛玉に言葉を投げつけ終わらない間に、少年には怪鳥が迫ってくるのが風切り音で分かった。しかしそれに気づいた時にはもう、真上から急降下してきた怪鳥のかぎ爪が少年の背中をマントごと切り裂いていた。派手に転げた割にはここでも痛みを覚えたのは一瞬だけで、スーツの切れ目は一瞬で元通りになってしまった。
――さっさとけりをつけなよ、あんなのに手こずってないで。
――その方法を考えてるんだよ!
怪鳥の攻撃は続いた。少年がいくら上を向いて待ち構えても、すさまじい早さで急降下する怪鳥の姿を照らすには、堤防沿いの明かりはあまりにも頼りなかった。
急降下に合わせて拳を振っても、むなしく空を切る音が――それもまたすさまじい音だったのだが――響くだけだった。そのたびに体には切り裂かれた傷ができ、対照的に、スーツは元の通りになってしまう。何の痛みも感じなかったが、むしろそのことの方が、少年には体に傷をつけられることよりも恐ろしく思えた。たとえ、もう何度も経験していたとしても。
怪鳥は急降下を続けた。考えることをやめた少年は、羽音がばさりと鳴らされた瞬間、思い切りかがみ、ためを作って跳躍した。全くの偶然に、少年は空中で怪鳥に迫った。だが、怪鳥は羽ばたき一つであっさりと少年の拳を避け、
――無駄だ。
と、少年に聞こえるようにつぶやく余裕まで見せていた。もっとも、一瞬でその余裕は撤回されなければならなかった。少年が、空中でもう一度跳躍したからだ。
――じゃあ、これなら!
もう一度、怪鳥は少年の拳を避けた。風切り音とともに繰り出される、空気を踏み台にしたその突きを、紙一重に。
戦いの場は空中に移った。そして、攻防の主役もまた少年に。
羽ばたかなければならない怪鳥に対して、少年は何の予備動作もなく、空中で跳ぶことができた。お株を奪うとはまさにこのことで、空に適応した形態を持っていたはずの怪鳥は、マントをなびかせる下に四本の手足を持つ少年に、完全に翻弄されていた。
その結果、怪鳥は少年の右拳を避けた直後、体をひねり空気を足場に繰り出された右の回し蹴りをまともに受け、うめき声を上げながら冗談じみたほどの勢いで吹き飛ばされ、川面に墜落した。
水しぶきが上がった場所を、わずかな明かりを頼りに目に焼き付けた少年は、両の手を合わせ、ゆっくりと離していった。するとその両の手の間に、火花をほとばしらせながら、光の球が現れた。
――もう使う気なの?
いつの間にか空中の少年の肩の上に乗っていた毛玉が、半ばあきれたような様子を見せながらつぶやくように言った。
――僕のやり方があるんだよ!
少年の両手が離れていくごとに光球は大きくなり、まるで小さな太陽が現れたように、すさまじい光が周囲に放たれた。そして少年はその光球を担ぎ上げ、
――カリュブディシーラ……
呪文のようにつぶやき、
――ストォーム!
最後にそう叫んだ。そして叫ぶと同時に、担ぎ上げた光球を、怪鳥がたたきつけられた川面をめがけて投げつけた。川面に光球が着弾すると、轟音が炸裂し、閃光がはじけ飛び、間欠泉のように水柱が上がった。
――まだやれてないよ!
今度はまたいつの間にか河原に降りていた毛玉の叫びが少年の耳に届くかどうか、そして光球の轟音の余韻が収まり始めたというところで、水柱から怪鳥が飛び出し、少年に向かって突っ込んできた。怪鳥は叫び声を上げ、少年の露わな二の腕に牙を突き立てんと、大きく口を開けている。突っ込んでくる怪鳥の前に、少年は再び空中で跳躍し、向かってくる怪鳥から逃げようとした。牙の一撃を避けると、今度は少年は一目散に怪鳥と逆方向に空を飛び始めた。
怪鳥の吠え声を背に受けながら、少年は川沿いに低空を飛び続けた。追いつかれそうになるたびに、少年の肩口やふくらはぎに怪鳥の牙が突き刺さり、血がほとばしる。装束の再生は先ほどよりもずっと遅くなり、もはや痛みを消してもくれなかった。
少年は高速で飛びながら、ゆっくりと追い詰められようとしていた。怪鳥は迫り、逃げるのがおぼつかなくなるのも時間の問題という状況だった。
橋脚の間を通り抜けた瞬間、少年はほとんど直角に進行方向を変え、真上に急上昇をしたが、怪鳥はなおも追いすがってきた。怪鳥の鋭い牙がブーツを突き破って左の足首に深々と刺さり、少年は激痛を覚えた。歯を食いしばってその痛みに耐えながら、少年はどうにか怪鳥をふりほどこうとしたが、怪鳥の牙はますます深くまで食い込んでいく。
怪鳥の顔面に左の踵を突き刺し、やっと牙から逃れた少年は、橋桁の上に転げ落ちた。
もはや少年の体を覆っていた装束は、再生しないどころか少しずつ形を失いつつあった。もう決着までの時間がないことは誰の目にも明らかだった。少年の劣勢も。
怪鳥が、一度舞い上がり、そして再び、狙いを定めていた。少年は橋桁の上を這いずり、怪鳥がかぎ爪を突き立てんと急降下した瞬間、最後の力で後方に飛び去った。
怪鳥は橋桁に激突したが、それをものともせず、川面に向かって落ちていく少年の姿、もうほとんどスーツもマントもブーツも手袋も形をとどめていない少年の姿を認めると、とどめを刺すべく翼を広げた。
そして次の瞬間、轟音を上げて橋桁に侵入した特急列車が、怪鳥に激突した。
鈍い音と鋭い音が同時に鳴り響き、甲高いブレーキ音がそれに加わる。怪鳥はぶっ飛ばされて羽を舞い散らしながら橋梁を転げ回り、全く間に合わなかったブレーキのために、ゆっくりと轢断されていった。
その光景をおぼろげな明かりのもとに認めた少年は、力なく深く一つ息をついた。全身を覆っていた装束は光の粒に形を変え、その源であった下腹部へと収まっていく。やがて彼は素っ裸になって、わずかな街灯に照らされる中で、川面へと落ちていった。




