75 父の書斎
「ルナさん」
屋敷に戻り一息ついた俺は、俺の乳母でありヒース家の家令であるルナさんを呼び止めた。
「バロウズ坊っちゃん、何かご用でございましょうか?」
「父さんは今何してる?」
「いつものように私室で政務をなされおりますよ」
「これから会おうと思うんだ」
「そうですか」
ルナさんは良いとも悪いとも言わない。
ただ頷いただけだった。
「ルナさんも何か特別だったりするの?」
「それはどういう意味でございますか?」
「ごめん、忘れて」
魔導師、ゾンビー、戦竜の堕慧児、エイリアン、亜竜、アウトサイダー……見た目はいくらでもごまかせる。
ルナさんも特別な存在なのかもしれない。
「人の内面なんてそうそう分かるものでもないね」
心術使いなら分かる。誰しもが複雑な人生を送っているのだ。
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「バロウズか」
ノックをすると中から声がした。
「うん、よく分かったね」
「バロウズのノックの仕方は記憶してる」
「さすが」
俺は扉を開こうとするが、ガチャリと音を立てて鍵がそれを拒んだ。
「入出を許可したとは言っていないが」
「子が親に会うのに一々許可が必要なの?」
「ブランドンに会ったのだろう? おおよその事情は聞いたのだと予想していたが。それとも皮肉かな?」
扉の向こうの声はいっそ清々しいほどに冷たい。
「……俺は、なんだかんだ言って、やはり親の愛情に飢えていたんだと思う」
「君の種族は家族の情が強いようだね」
「宇宙的にみたら珍しいのか?」
「そうでもないな、知的生命体では一つの典型的性質だ」
ブランドン兄さんのような皮肉気な様子はない。
だが、まるで愚かな子供にうんざりとしながら道理を話す大人が話す声のような、上から小馬鹿にしたような響きがある。
「無理やり入るよ」
「なるほど、お前の力なら扉を壊すのもできるだろう。今開けるから待て、その鍵はそれなりに高価なのだ」
カチリと音がして鍵が開いた。
俺は扉に手を触れる。掌は汗で濡れていた。
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幼いころ、俺が欠陥魔法使いだと気がついた時、屋敷の人達は貴族は魔法を使えるだけで十分、他にも学ぶべきことが沢山あると慰めてくれた。
(だけど心の中では……)
すでに第四階の魔法である読心を使えていた俺は彼らが内心俺のことを馬鹿な子供だと笑っていたのを知っていた。
まだ子供だったのだ。
転生した精神も肉体に引き寄せられる。それに現代で普通に生きていた俺にとって貴族として周りから期待される暮らしは、自分で思っていたよりずっと負担になっていたようだ。
慰めの言葉も失敗した子供に対する内心の嘲笑もどっちも本物の感情、誰だって心の何処かで考えてしまう当たり前の感情だ。
俺が読心が当てにならないことを知るのはまだ先だった。
俺は物置に隠れ一人で泣いていた。
誰にも会いたくなかった。
外からは俺を探す声が聞こえたが、やがて諦めたのか聞こえなくなった。隠れているくせにそれが余計に寂しかった。
何時間隠れていたか分からない、お腹も空いていたし外に出るべきかとも思ったけれど、なんだか何もかも面倒になった気がして、俺はじっと目をつぶっていた。
そんな時、物置の扉がゆっくりと開かれた。
燭台を持った人影がそこに立っている。俺は眩しさに目を細めた。
「バロウズ、夕食の時間だ」
父さんはただそう言って、踵を返した。
俺が記憶する数少ない、父さんが父さんらしかった記憶だ。




