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第8話:どうせ生贄に捧げる気だったから私の家は用意してなかったってこと?

午前九時五十九分。

秋晴れの澄んだ青空の下、黒井と白石の二人は、村の中央に位置するひときわ立派な古民家の前に立っていた。


門柱には手書きの木看板で『八咫村役場(仮設)』と掲げられている。

もっとも、実態は老婆村長の自宅そのものだ。


「黒井先輩、本当に大丈夫なんですか……? さっき蔵の前から逃げ出した男たち、遠巻きに竹槍持ってこっちを睨んでますけど」


白石が白装束の裾を気にしながら、おそるおそる背後を振り返る。

あぜ道の物陰から、見張りの若手が、息を潜めてこちらの様子を伺っていた。


今朝、黒井から「三六協定と温かい白湯」を勝ち取ってもらった恩義からか、昨晩ほどの剥き出しの殺意はない。だが、依然として因習の鎖に縛られた警戒モブであることに変わりはなく、助け舟を出してくれる気配は微塵もなかった。


「問題ありません。彼らは現在、情勢を静観するオブザーバーに過ぎません。まずは意思決定権を持つトップ層へアプローチし、外堀を埋めることが先決です」


黒井はスマートウォッチを確認した。秒針がちょうど頂点を指す。

午前十時ジャスト。


ガララッ!


黒井は躊躇なく引き戸を力強く開け放った。


「ごめんください、おはようございます。地域振興アドバイザーの黒井です。十時のお約束通り、ステータス確認および神事改善提案の協議に参りました」


薄暗い土間を抜け、茶の間を覗き込む。

そこには――赤茶色のコタツに下半身を突っ込み、湯呑みを片手に南部煎餅をバリバリとかじっている老婆村長の姿があった。


「…………」


村長の手がピタリと止まる。

茶の間には、村長一人しかいない。

他の役員はおろか、村人の姿など影も形もなかった。


「ヒヒ……。やはり来おったか、余所者の若造が」


村長は忌々しそうに煎餅の粉を指で払うと、コタツの上に湯呑みをコトッと置いた。

その濁った瞳には、土蔵で黒井たちに生き延びられた屈辱と、それでも崩れぬ閉鎖集落の長としての傲慢さが色濃く宿っている。


「見ての通りじゃ。誰も集まってなどおらんよ。余所者の戯言に付き合うほど、村の衆は暇ではないんでな。話があるなら一人で壁に向かって喋るがよいわ」


あからさまな開き直りだった。

約束の十時になれば、生贄を免れた都会の若造など恐怖で泣きながら山を降りて逃げ出すとタカをくくっていたのだ。


白石の額に青筋がピキリと浮かぶ。

(このクソババア……! あんな偉そうに啖呵切っておいて、最初から話し合う気ゼロじゃん!!)


だが、黒井は眉ひとつ動かさなかった。

スーツの内ポケットから手帳を取り出し、胸ポケットからジェットストリームを抜いてカチリとノックする。


「なるほど。ステークホルダーの集客不履行、および定例ミーティングの無断反故ですね」


「な、なんじゃと……?」


「想定リスクの範囲内です。変化を恐れる旧弊な組織において、トップが初動でサボタージュを決め込むのは典型的な初期遅延パターンですから」


黒井は淡々と土間から上がりかまちへ足をかけ、ビジネスバッグからクリアファイルを取り出した。


「全村民への説明会は、午後にリスケジュールといたしましょう。その前に――」


黒井は茶の間の隅、埃をかぶった古い木製机と「戸籍住民票受付」の札を見咎めると、迷いなくそこへ歩み寄った。


「神事改善提案の前提条件として、まずは私自身の行政手続きを完了させます」


「は……? 手続きじゃと?」


黒井はビジネスバッグから真新しいクリアファイルを取り出し、中から『転入届』と書かれた用紙をスッと引き抜いた。胸ポケットから愛用のジェットストリームを取り出し、机の上でサラサラと淀みなく記入を始める。


それを見た白石が、目を丸くして耳打ちしてきた。


「ちょ、黒井先輩……! 先輩、この村の役場に来たの今が初めてですよね!? なんで八咫村の転入届用紙を持ってるんですか!?」


「出張前のデューデリジェンスです。貴村の若手有志が開設していた『地域おこし協力隊募集』のウェブページから、申請書PDFをあらかじめダウンロードし、東京のコンビニで三部印刷して持参していました。地方創生プロジェクトにおいて、現場での即日住民票異動は基本中の基本です」


「怖っ! 準備が良すぎて怖いよ!!」


「私は現在、東京の賃貸マンションから貴村への移住手続きを進めています。この手続きを完了し、住民票の登録を終えなければ、私は法的な『村民』ステータスを得られません。すなわち、夜間に村境のセキュリティシステム――ゲホウ返し等のキルゾーンを合法的に歩行するアクセス権限が付与されないということです。夜間パトロールすらままならない状態では、業務効率が著しく低下しますからね」


「な……貴様、本気でこの村に居座る気か!?」


村長は眉をひそめ、コタツから身を乗り出して黒井の手元を睨みつけた。

白石も目を見張る。


(えっ!? 先輩、本当に住民票移すの!? 会社の寮とかどうすんの!? てか住民票ってゲホウ返し対策のためになるの!?)


村長は忌々しそうに顔をしかめ、手続きを渋るかと思われた――が。


「……ふん」


意外にも、村長は鼻を鳴らし、引き出しからガサゴソと受領印を取り出した。


「よかろう。よそ者の若造が一人、勝手に骨を埋めにくるというなら止める理由はないわ。……この村とて、若者を呼び込みたいこと自体に嘘はないのでの」


ポン、と小気味よい音を立てて、黒井の転入届に『受理』の印が押される。


「村の若手どもが血道を上げて作ったあの『地域おこし協力隊募集』のウェッブ広告も、嘘八百というわけではないんじゃ。……まあ、結局集まったのは貴様らのような奇人変人ばかりじゃったがな」


「撤回してください! 先輩はともかく私は奇人でも変人でもないです!」


「ヤタガミ様も食わんかったおなごなど前代未聞の大変人じゃろうて、ふん」


村長の口から出たのは、過疎に喘ぐ限界集落の生々しい本音だった。よそ者への警戒と差別意識は根深いが、人口減少による集落消滅の危機感もまた本物なのだ。


黒井は押印された書類の控えを丁寧に受け取り、クリアファイルに収めた。


「迅速な事務処理、感謝いたします。……さて、私という『純粋なよそ者』の正規化が完了したところで。続いて、白石の転入届です」


黒井はもう一枚、すでに記入済みの転入届をスッと机の上に滑り込ませた。

そこには白石の名前と本籍、そして氏名の横には綺麗な朱色の丸印が押されている。


白石は思わず身を乗り出した。


「ちょ、ちょっと待ってください先輩! なんで私のハンコが押してあるんですか!? 私、実印なんて預けてませんよ!?」


「今朝、土蔵の5S活動(整理整頓)を行なった際、あなたの散乱したポーチの中から『白石』の認印を一時保管させていただきました。本人の明確な生存意志に基づき、包括的委任契約の範囲内で代行捺印してあります」


「人の荷物勝手に開けてハンコ押してんじゃねえよ!! コンプライアンスどこ行った!!」


「生贄として戸籍ごと焼却処分されるのと、事後承諾で住民票を獲得して生存権を主張するのと、どちらが白石の利益に合致しますか?」


「……ぐうの音も出ないけどやり口がヤクザそのものなんだよなぁ……!」


白石が頭を抱える横で、黒井は村長へと向き直った。


「昨晩の神事において、八咫神様との合意形成は完了しました。白石は生贄という名の『調達品』ではなく、本日より正式に八咫村の住民として定住いたします。速やかに受理の上、居住地の割り当てをお願いいたします」


その瞬間。

村長の表情から、先ほどの事務的な余裕が完全に消え失せた。


「…………は?」


湯呑みを握る手が、ギチ……と音を立てる。

村長は目を血走らせ、白石と書類を交互に見つめると、ヒステリックに声を荒らげた。


「ふ、ふざけるなぁあああああッ! ざざざ戯言も大概にせえッ!! 『忌み名の子』を、この村の正式な住民に登録するじゃと!? そんな前例、あるわけなかろうがッ!!」


「前例がないからこそ、いま作るのです」


「ならん! 絶対に認めん!! 忌み名の血筋の者が、村の台帳に名を連ねることなど天地がひっくり返っても許されんわッ!!」


村長が激昂したその反応は、先ほどの黒井への態度とは明らかに異質だった。

単なる「よそ者嫌い」ではない。

まるで、触れてはならない村の禁忌の蓋を無理やりこじ開けられたかのような、剥き出しの恐怖と拒絶がそこにあった。


(……え? なんで?)


白石は思わず息を呑んだ。

(よそ者の黒井先輩はあっさり通したのに、村の血を引いてるはずの私のほうがダメなの……? 『忌み名の子』って、そんなにヤバい扱いなの……?)


だが、黒井は一切動じなかった。

冷然とした眼光のまま、MacBookの画面をパタンと開く。


「前例がないというのは、行政の不作為の言い訳にはなりません。もし正当な理由なく転入届の受理を拒否される場合、私はこれより県庁の自治振興課および総務省へ直行し、八咫村における『住民基本台帳法違反』および『戸籍事務の不当な拒絶』について即時実地監査を請求いたします。その際、昨晩の生贄強要未遂事案についても、刑法第二百二十四条および強要罪のエビデンスを添えて司法当局へ告発しますが――よろしいですね?」


「う、うぐっ……!?」


村長は息を詰まらせ、喉をゴロゴロと鳴らした。

公権力と監査。その二言が出た瞬間、村長の傲慢な態度は急速にしぼんでいく。


「……ええい、小癪な都会のネズミどもが……!」


村長は震える手で朱肉を叩きつけるように押し、白石の書類に乱暴に判を押した。


「これで満足かッ! 住民票は受理してやったぞ! だがな、後悔するなよ! その小娘には、予定通りあの男――小娘の叔父が用意したという『古民家』の割り当て地へ行ってもらうからの!!」


「ええ、規定の手続きに従っていただければ結構です。白石、これがあなたの住民票の控えと、村から割り当てられたマイホームの住所です」


「あ、ありがとうございます……!」


白石はおそるおそる書類を受け取った。

自分の名前の横に、しっかりと押された八咫村役場の公印。

そして住所欄には『八咫村字裏山零番地』の文字。


(やった……! 法的に生贄じゃなくなった……! 親戚のクズ叔父に売り飛ばされた時は絶望したけど、とりあえず『田舎の古民家』に住めるんだ! これで今日からスローライフ……!)


東京での激務に疲れ果てていた白石の胸に、ぽっと温かな希望の灯がともった。


「先輩! とりあえず私の家に行ってみましょう! 荷物も解きたいですし!」


「そうですね。現地確認を行いましょう」


二人は老婆村長の呪わしい視線を背に、役場を後にした。


◇


――十五分後。


季節をのせた爽やかな風が、吹き抜けていた。

遠くでカラスがアホウ、アホウと鳴いている。


白石は、渡された地図と住民票に記載された住所――『八咫村字裏山零番地』の前に立ち尽くしていた。


目の前に広がるのは。


ゴツゴツとした岩肌。

背丈ほどもあるススキと鬱蒼とした雑木林。

そして、底が見えないほど急激に切れ落ちた――ただの断崖絶壁だった。


古民家はおろか、柱の一本すら存在しない。

ただ風化した古い卒塔婆(そとば)が、崖っぷちにポツンと一本、斜めに突き刺さっているだけだった。


「…………」


白石は、手元の住民票を見た。

『住所:八咫村字裏山零番地』と確かに印字されている。


もう一度、顔を上げた。

草。

木。

崖。


もう一度、手元を見た。

草。

木。

崖。


「……あの、黒井先輩」


「はい」


「私の古民家マイホーム、どこですかね?」


「登記簿および公図と照合しましたが、現在白石が立っているこの断崖絶壁の直上、空中およそ三メートルの座標が、指定された『裏山零番地』に該当します」


「空中!! でも空中じゃん!!」


「おそらく、物理的な建物は最初から建設されていません。どうせ昨晩の儀式で生贄として消費される予定だったため、あなたの叔父と村執行部は、最初から住居を用意するコストをかける気がなかったのでしょう。行政用語で言うところの実態のないペーパーカンパニーならぬ――」


黒井は手帳を閉じ、冷然と言い放った。


「『ペーパー古民家』ですね」


一瞬の静寂。


白石の脳内で、ぷつんと何かが千切れる音がした。


生贄として親族に売り払われ。

夜中にバケモノ神へのプレゼンに巻き込まれ。

朝まで藁の上で議事録を口述筆記させられ。

やっと勝ち取った住処が――崖。


怒りと絶望と疲労が臨界点を突破し、白石の肺腑から、八咫村の山々を揺るがす渾身の絶叫が炸裂した。


「ド畜生ーーーーーーーーッッ!!!!」


悲壮な絶叫が木霊し、遠くの電線に止まっていたカラスが一斉に飛び立つ。


「家がない!! 住所はあるのに家がない!! 敷金礼金ゼロ物件どころか屋根も壁もゼロで地面すらゼロゼロゼロじゃねえかよ!! あんのクソ叔父とクソババア、絶対に許さねえええええっ!!」


白石は白装束を脱ぎ捨てたジャージの袖を猛烈な勢いで捲り上げ、鼻息も荒く黒井へと向き直った。その瞳には、かつてない怨嗟の業火がメラメラと燃え盛っている。


「先輩!! やりますよ全村説明会!! あいつら全員引っ張り出して、あのババアの茶の間を物理的に占拠して私の居住スペースにしてやります!!」


「素晴らしい当事者意識の芽生えです、白石。モチベーションが高まったところで、直ちに次のフェーズへ移行しましょう」


黒井は冷徹に眼鏡の位置を正し、村落を見下ろした。


「課題は一つ。村長が集客を放棄した以上、我々の手で閉鎖的な全村民を強制招集しなければなりません。これより、八咫村全域を対象とした『緊急ステークホルダー・マーケティング動員作戦』を開始します」


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