第3話:その生贄の装束、保温性が高くサイズまでぴったりで完璧ですね
喚く白石と、淡々と靴を揃えて歩き出す黒井は、男たちに背中を小突かれながら屋敷の裏手へと連行された。
裏庭の竹林の奥に、分厚い漆喰で塗り固められた巨大な土蔵がそびえ立っていた。
入り口には幾重にも巻かれた錆びた鉄鎖と、血塗られたような赤い注連縄。
男たちによって土蔵の中に乱暴に押し込まれる。
床には枯れた藁が散乱し、埃とカビの冷気が肌にまとわりついた。
ドォン……!
重々しい音を立てて、土蔵の分厚い鉄扉が閉じられる。
外からジャラジャラと重い鎖が巻き付けられ、ガチャンと無慈悲な施錠音が響いた。
「あ、開けてよ! 出してよ!! 嘘でしょ、冗談だよね!?」
白石は鉄扉にすがりつき、思いきり両手で叩いた。だが、冷たく湿った鉄板はビクともしない。
小窓の格子越しに、遠ざかっていく村人たちの足音と、長老のねっとりとした嘲笑が微かに聞こえてくる。
「ひ、ヒィ……! うそ……本当に閉じ込められた……!?」
小窓の隙間から、長老の濁った目が覗き込んできた。
「ひひひ。騒ぐでない。くれぐれも格子を外してここから逃げようなどと思うなよ? 忌み名の子は別として、よそ者には絶対におすすめせん。――ゲホウ返しに触られて、首をねじ切られて死ぬだけじゃからのぅ。ひひひひひ……」
乾いた下品な笑い声とともに、長老の足音が湿った砂利を踏みしめて遠ざかっていく。
「ゲホウ返し……!? なにそれ、ヤタガミ様以外にも何かいるの……!?」
白石は鉄扉から跳びのくように後ずさり、ペタンと藁の上に尻餅をついた。
暗闇にこびりつく「首をねじ切られる」というワードの破壊力に、全身の震えが止まらない。
「先輩、聞きました!? 格子外して逃げても、村の外から来た人間は『ゲホウ返し』に首ねじ切られるんですよ!? ここにいても丑三つ時にヤタガミ様に喰われるし、逃げても首ねじ切られるって……詰んでる! 完全に人生詰んでるよぉぉぉっ!!」
白石が絶望に顔を覆って叫ぶ。
だが、その隣で――カチリと、静かなキーストローク音が響いた。
暗闇の中に、青白い長方形の光がぼうっと浮かび上がる。
スーツ姿の黒井が、すでに膝の上でMacBookを開き、手慣れた指先でキーボードを叩いていた。
「人生が詰んでいるのではありません。セキュリティ要件と納期が確定しただけです」
「納期ぃぃぃっ!?」
「ええ。状況を整理しましょう」
黒井は膝の上の画面を見つめたまま、淡々とキーを叩き続ける。
「まず長老の言及した『ゲホウ返し』ですが、これは外来者を物理的に排除する、村境のオンプレミス型侵入検知・遮断システム(IPS)ですね。忌み名を持つ人間――すなわち内部関係者のホワイトリスト以外のアクセスを物理的に遮断する生体ファイアウォールとして機能しているようです」
「怪異をファイアウォール扱いするんじゃないよ!!」
「そして深夜のヤタガミ様降臨が、本日のメインイベント――すなわちクライアントへの一次納品です。外には強固な外部セキュリティと、警備スタッフが配置されている以上、闇雲な脱走は工数の無駄であり、極めてハイリスクと言えます」
黒井はディスプレイの光に瞳をギラつかせ、不敵に口角を上げた。
「となれば、われわれが取るべき生存戦略は一つ。この土蔵に籠城し、丑三つ時の1on1に向けて、八咫神様への『生贄リプレイス提案書』のプレゼン資料を完全なクオリティに仕上げることです」
「限界因習集落にパワポで商談を持ちかける気かよぉぉぉっ!!」
白石の魂のツッコミが、密閉された土蔵の中に虚しく木霊した。
その時。
ばさり、となにかが音をたてて床に落ちた。
小窓の格子から投げ込まれたのは、血のように赤い染料で奇妙な呪詛がびっしりと書き込まれた白い着物だった。生贄専用の装束だ。
「うぅ……なにこれっ……」
薄暗い土蔵の片隅、埃っぽい藁の上に座り込み、白石は頭を抱えてすすり泣く。
「終わった……完全に詰んだ……。スマホは圏外だし、外には鍬持った狂信者たちが張り付いてるし……。夜中になったら、バケモノにバリバリ食べられちゃうんだ……。私の人生、こんなところで終わるんだ……」
ヒタヒタと迫る死の恐怖。極限の寒気。
ところが。
涙目で絶望する白石の横で、スーツの埃を丁寧に払っていた黒井。
胸ポケットから名刺入れを取り出し、角を愛おしそうに指先で撫でていた。
その名刺に刻まれた文字列を見て、白石は思わず涙を引っ込めて叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください先輩! さっきから気になってたんですけど、その名刺なんですか!? さっき東京からこの山奥に着いたばかりの人間が、なんで『八咫村 地域振興アドバイザー 黒井護』なんて肩書の名刺持ってるんですか!?」
「ああ、これですか」
黒井は至極淡然とした顔で頷いた。
「正直に言うと、新幹線に乗る前後の記憶はほとんどないんです」
「は?」
「気がついたら東京駅の地下にあるスピード名刺印刷機の前に立っていてね。あとから財布の領収書を見たら、無意識のうちにmacbookで版下データを作成して入稿していたようなんです。オプションで『越前和紙風・厚手角丸加工』まで選んでいました。恐ろしいですね。三十六連勤もすると、たとえ脳がシャットダウンしていても、両手が勝手に営業ツールを調達してしまうんですから」
「恐ろしいのは先輩の身体機能ですよッ!! なんなのその社畜的オートマティズム!?」
「備えあれば憂いなし。名刺を切らした営業活動ほど無様なものはありませんから」
何食わぬ顔で名刺入れをしまう黒井。
ふいにすきま風が土蔵の中を吹き抜け、白石は「ひっ……!」と肩を縮めて歯の根を鳴らした。
山の夜の冷気は容赦がない。
薄手の服では、あっという間に体温が奪われていく。
「さ、寒い……。凍え死ぬ……」
「白石」
黒井が、土間に落ちていた『生贄の白装束』を拾い上げ、指先で生地を擦り合わせながらまじまじと検分した。
「……これは素晴らしいですね」
「な、何がですか……? それ、人を呪い殺しそうな模様が入った生贄の服ですよ……?」
「いえ、よく見てください。これは手織りの麻です。それも極めて高品質の。空気の層を適度にはらむ二重織り構造になっています。通気性と保温性のバランスが黄金比を成しているんです。外気は遮断しつつも、内部の湿気はうまく逃がす。深夜の寒暖差と底冷えを完全に計算し尽くした、極めて合理的なルームウェアといえます」
「ルームウェアにするな」
「着用者の健康管理まで配慮されているとは、この村の福利厚生はレベルが高いですね。そうだ、白石。着てみてください。低体温症による判断力の低下と作業効率の悪化は、プロジェクトにおける重大なリスク要因です」
「着るわけないでしょバカなんですか!? 生贄のユニフォームだっつってんですよ!? これを着たら最後、正式に『八咫神様のディナー』にチェックインしたことになっちゃうじゃないですか!!」
「ディナーにチェックインって。おかしなことを言いますね。ほら、風邪をひいてから後悔しても遅いですよ。はい、羽織って」
「嫌です! 絶対着ない! 死んでも着……っ、わ、あったかぁ……」
無理やり肩に掛けられた瞬間、白石の言葉が止まった。
極上の麻が、じんわりと体温を閉じ込め、冷え切った身体を包み込んでいく。
「えっ……なにこれ、ものすごく肌触りがいい……? しかも羽毛布団を着てるみたいに軽い……?」
「袖を通してください。腰紐も締めましょう」
「ちょ、先輩、勝手に結ばないで……あ、あれ……? 嘘でしょ……?」
白石は呆然と自分の手元と足元を見下ろした。
裄丈も、身幅も、裾の長さも、まるで熟練の仕立て屋が前もって採寸したかのように寸分の狂いもない。
「……くっ、くやしい、ジャストサイズ……」
「完璧なフィット感ですね。シルエットの落ち感が美しく、無駄なもたつきが一切ない」
「なんでこんな時にジャストサイズなの!? 伝統工芸の無駄遣い! あと私の体型データが村に事前登録されてたみたいで気持ちわるっ!!」
「白地に深紅の呪詛フォント、そしてこの洗練されたカッティング。いわゆる『病み可愛い』系の文脈に完全に合致していますね。インバウンド向けのプレミアム体験としてパッケージ化すれば、衣装レンタルだけで一回八千円はチャージはかたいです。白石、非常にフォトジェニックですよ」
「いやいやいや、私は絶対にこれを着て八咫神様のエサにはなりませぇぇぇん!!」
白石が土蔵の壁に向かって絶叫した、まさにその時だった。
――ジャーン。
静まり返った暗闇に、澄み渡るようなノートパソコンの起動音が響き渡る。
「……え?」
白石がおそるおそる振り返ると、そこには目を疑う光景が広がっていた。
黒井が土間にスーツの上着を丁寧に敷いて正座し、暗闇の中に青白く浮かび上がるディスプレイを無表情で見つめていたのだ。
カタカタカタカタ、ッターン!
「せ、先輩……? 今、何して……?」
「ですから、提案書のドラフト作成です。まずは課題の洗い出しと、生贄スキームの代替案をスライド数枚程度にまとめておこうと思いまして」
「プレゼン資料作ってんの!? 今から殺されるかもしれない極限状態で!?」
「殺されるわけないでしょう。私はまだ今年度の有給を一日も消化していませんよ? あ、でもいまは無職なんでした」
「言ってる場合か! ってか有給消化実績が生存の根拠になるとでも思ってるんですか!?」
黒井は画面から視線を一切外さず、異常な速度でキーボードを叩き続ける。
その瞳は爛々と輝き、完全に『深夜三時のゾーン』に入っていた。
ギィィ……と、土蔵の天井の梁が不吉な軋みを上げたのは、その直後だった。
隙間風ではない。
生臭い、腐った泥と獣の混ざり合ったような異臭が、換気口からスウッと流れ込んでくる。
『……ォ……ォオオオ……』
地底から響くような重低音が、土蔵の板間を激しく振動させた。
外で見張りをしていた村人たちの、悲鳴混じりの囁きが格子越しに漏れ聞こえてくる。
「ひ……ヤタガミ様じゃ……! まだ刻限前じゃというのに、贄の匂いを嗅ぎつけて、山から降りてきてしまわれた……!」
ドスン! と土蔵の屋根の上に『巨大な何か』が着地した。
天井の隙間から、パラパラと乾いた土が落ちてくる。
そして、土蔵の明かり取りの格子窓に――人間の顔の何倍もある、血走った巨大な『目玉』が、ぬっと押し付けられた。
『……贄……ヲ……我ニ……寄コセ……』
「ギャアアアアアアアッ!? 出たぁぁぁぁぁっ!!」
白石が悲鳴を上げて黒井の背中にしがみつく。
本物のバケモノだ。神の祟りだ。終わりだ、死ぬ、今度こそ本当に丸呑みにされる――!
だが、黒井護はブラインドタッチの指を一切止めず、画面から目を離さないまま、すっと左手の人差し指を立てた。
「すみません、今集中しているんで五分だけ待ってください。次そっちの要件定義聞きますから」
『…………ヤタ?』
格子窓の向こうで、神様の無数の目が、土蔵の闇の中で完全に点滅した。
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