第2話:現代では属人的な生贄モデルは破綻しています
白石は、膝をついたまま大きく見開いた目で先輩の後ろ姿を見つめていた。
(……あ、ダメだ。この先輩、完全に焼き切れてる)
脳裏に、五年前の大学時代の光景がフラッシュバックする。
黒井先輩は当時からそうだった。
イベント系サークルの先輩だった彼は、普段こそ温厚で人当たりのいい人だったが、一度「スイッチ」が入ると歯止めが利かなくなる、筋金入りの仕事人間だったのだ。
大学祭の焼きそば模擬店ひとつで、「競合店舗の価格帯マトリクス」「ピークタイム別のオペレーション動線」「全三十ページにおよぶ衛生・接客マニュアル」を自発的に徹夜で仕上げてきた時のことは今でもサークルOBOGの語り草になっている。当時は「真面目すぎてブレーキが壊れた変な先輩」と笑っていられた。
だが、あの気質のまま、業界屈指の激務で知られる制作会社に就職してしまったらどうなるか。
直接の連絡こそ取っていなかったが、SNSのタイムライン越しに先輩の精神が摩耗していく様をリアルタイムで観測していた。
『今日も朝日が綺麗だ(※午前五時・会議室)』
『胃薬はエナドリで流し込む。効率がいい』
『理不尽な怒号はすべて「クライアントの愛のフィードバック」と捉えることで解決した』
年々、投稿される文章から生気が失われ、代わりに「異常なポジティブさ」だけが純化されていく様子は、ホラー映画の感染記録より恐ろしかった。それもいよいよ三ヶ月前を最後にパタリと更新が途絶え、「過労で倒れたんじゃ……」と心配していたのだが――。
まさかこんな、文明から隔絶された山奥の因習村で再会するとは思わなかった。
しかも、目の下に黒い影のような隈を深く刻み込み、目だけを爛々と見開いた「仕上がった」姿で。
「あの……お前さん、何者なんじゃ……?」
長老が、手渡された『シガール(ショコラ・オ・プランタン)』の缶を抱えたまま、戸惑ったように問う。
黒井は営業スマイルを一ミリも崩さず、背筋をピンと伸ばして答えた。
「先ほど申し上げました通り、本日より地域アドバイザーとして赴任いたしました黒井です。過疎化対策、観光資源の掘り起こし、地域ブランディングの推進を担当いたします。よろしくお願いいたします!」
「いや……しかし、わしらは生贄の儀式を……この娘をヤタガミ様に……」
「ええ、素晴らしいですね。初日からさっそくキーパーソンとのお引き合わせの機会を設けていただけるとは。恐縮の至りです」
黒井は迷わず胸ポケットから手帳と多機能ボールペンを取り出し、カチカチと小気味いい音を鳴らした。
「先ほどおっしゃっていた『血塗られた祭壇』ですが、そちらが今回のキックオフミーティングの会場ということでよろしいでしょうか? タイムテーブルとアジェンダを共有していただけますと、スムーズに進行できるかと思います」
「あ、アジェンダ……?」
「要するに、何時から始まって、誰が登壇して、何時頃に乾杯か、という全体の流れです」
長老がたじろぎ、後ろに控えていた男たちが顔を見合わせる。
「おい、どうする長老……」「なんか、東京から偉い人が視察に来たのか……?」「ヤタガミ様は深夜2時くらいだったか?」「この菓子うめぇやつだぞ!」と、早くも後衛の包囲網が緩み始めていた。
「(毒気を抜かれてんじゃないわよ村人ども!!)」
白石は心の中で猛烈に叫びながら、ふらつく足で立ち上がった。
相手は人命を何とも思っていない本物のカルト限界集落だ。そして隣にいるのは、ブラック企業で恐怖中枢と認知機能が完全にバグった元先輩。
(ダメだ、私がしっかりしなきゃ……! このままだと二人まとめて儀式の手順書を作らされた上で、美味しく八咫神様に食べられちゃう!!)
「せ、先輩! 騙されちゃダメですって!」
白石は黒井のスーツの裾を力任せに引っ張った。
「この人たち、儀式とかなんとか言ってますけど、本気で私を殺す気なんですって! 私の母の実家、この村の『生贄の家系』だったんです! 叔父さんは私をていよく処分して、実家の土地と遺産を独り占めするためにここに送り込んだに違いないんです!!」
涙ながらの渾身の訴え。
これならいくら頭のネジが外れた黒井でも、事態の異常性に気づいて「逃げるぞ」と言ってくれるはず――。
しかし、黒井は手帳にペン先を走らせたまま、優しく微笑んだ。
「なるほど。白石のご親族との間で、重大なコンプライアンス違反、および背任行為の疑いがあるわけですね」
「……え?」
「事前の重要事項説明を欠いた状態での不動産譲渡、ならびに生命の危機を伴う不当な労働、つまりこの場合は生贄業務の強制。公序良俗に著しく反しており、契約そのものが法的に無効です。また、親族による財産横領の明白な意図が立証されるのであれば、後ほど民事と刑事の両面から内容証明を送りつけましょう」
「え、あ、はい……? 内容証明……?」
「それと長老」
黒井はすっと顔を上げ、戸惑う老婆を真っ直ぐに見据えた。
「外部からの人材調達において、そうした『反社会的かつ不透明なルート』に頼るのは、今後の村のレピュテーションリスクを考慮すると極めて悪手と言わざるを得ません。持続可能性がないからです」
「な、なんじゃと……!?」
「生贄を一人消費したところで、翌年の神の満足度は保証されるのですか?その次の生贄はどう調達するおつもりですか? 人口減少が続く日本国内において、属人的な『生贄モデル』は完全に破綻しています。ここは神事の業務プロセスを見直し、より低コストで再現性の高い『観光モデル』へピボットすべきです」
立て板に水のように繰り出されるビジネス用語の濁流に、長老は目をしばたたかせた。
「ピ、ピボット……?」
「ええ。まずはその『血塗られた祭壇』を検収させてください。照明、音響、観客の避難動線、すべてチェックします。白石さん、筆記用具の予備はありますか? 議事録を取ってくださいね」
「先輩……」
白石は脱力し、天を仰いだ。
(ダメだ。この人、生贄の儀式をコンサルする気満々だ……!!)
「てか待って! ぎ、議事録……!? 私が!? 自分の生贄のキックオフの議事録とるの!?」
「当前です。決定事項の言った言わないを防ぐのはプロジェクト管理の基本です。フォーマットは簡易的で構いません。決定事項とToDo、期日、担当者の四点だけはマストで残してください」
「そういう問題じゃなくてぇーーっ!!」
白石の絶叫が静かな杉林に木霊する。
だが、その叫び声をかき消すように、ザザッと周囲の茂みが揺れた。
「え、ええい、わけのわからん呪文をペラペラと……! たばかるな余所者が!」
我に返った長老が、シガールの缶を慌てて懐にねじ込み、震える手で杖を黒井へと突きつけた。
「ヤタガミ様への儀式は絶対じゃ! 掟を乱す者は、誰であろうと生かしてはおかん! お前たち、その女を蔵へ放り込め! そっちの妄言を並べる男も一緒にじゃ! 儀式の刻限まで縛りつけておけ!!」
「ちょ、離して! いやぁぁぁっ!」
男たちが一斉に雪崩れ込み、白石の華奢な腕を羽交い締めにする。
一方の黒井は、農具を突きつけられながらも一切の抵抗を示さず、両手を挙げて穏やかに微笑んでいた。
「なるほど、本日の宿泊施設へのご案内ですね。アテンド恐縮です。スーツケースはこちらで持ちますのでお構いなく」
「だ、誰が案内と言ったか! 地下牢代わりの土蔵に監禁じゃ!!」
「それはそれは。オフサイトミーティング用に缶詰部屋を完備しているのですか。雑音が入らない環境はクリエイティブな思考に適していますからね。白石、スーツケースの車輪が泥で汚れるので、持ち上げて運んだほうがいいですよ」
「先輩、お願いだから少しは事態の深刻さに気づいて!!」
てー、てー、てー……!
連行される白石の悲鳴だけが、呪われた村に空しく響き渡っていた。
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