第10話:衝撃! 過去150年間の累計損失試算は60億円!
十二畳ほどの老婆村長の茶の間は、酸欠になりそうな熱気に包まれていた。
ぎゅうぎゅう詰めに押し寄せた約二十世帯の村民たち。
鍬を持った古参農家、赤ん坊をあやす主婦、膝を抱えて座る老人たち、そして部屋の隅で固唾を呑んで見守る田所や川中ら青年団の若者たち。
全員が、畳の上にお茶をぶちまけて腰を抜かしている老婆村長と、部屋の上座に涼しい顔で立つ黒井へと視線を注いでいる。
「皆様、本日はご多忙の折、八咫村仮設役場へお集まりいただき誠にありがとうございます」
黒井は淀みない所作で深々と一礼した。
そして、コタツの上に小型のモバイルプロジェクターを設置すると、背後の白壁に向けてカチリとスイッチを入れる。
ウィィィン……と静かなファン音が響き、壁に投影されたのは――洗練されたコーポレートカラーで彩られた、美麗なスライドの表紙だった。
『八咫村における神事ガバナンス改革および八咫神様インフラ維持運用の適正化提案書』
――不当な過剰支出の是正と、持続可能な黒毛和牛サブスクリプションモデルへの転換――
「……な、なんじゃこれは……?」
「壁に……絵が映っとる……?」
年寄りたちがざわめき、目を白黒させる。
「ひ、ヒィィッ! え、ええい、お前たち、何をボーッと聞いておるんじゃッ!」
ようやく我を取り戻した老婆村長が、コタツ布団を激しく叩いて立ち上がった。
「騙されるな! こやつらは余所者のペテン師じゃ! ヤタガミ様の神事は、代々わしらの一族が厳格に取り仕切ってきた村の掟! 余所者が口を挟めば、ヤタガミ様の激しい祟りで村は一夜にして滅びるぞ!!」
「祟り」という単語が出た瞬間、村民たちの表情にサッと怯えが走った。
因習の恐怖が、再びその場の空気を支配しかける。
だが、黒井はピクリとも眉を動かさなかった。
手元のプレゼンターをクリックする。
カチリ。
壁のスライドが切り替わり、見事な円グラフと、過去三百年分の折れ線グラフが映し出された。
「村長のおっしゃる『祟りリスク』について、ファクトベースでお答えいたします。結論から申し上げますと――現在の八咫村における神事運用は、過去百五十年間における最悪の経営判断ミスによって引き起こされた、人為的なシステム障害です」
「な……な、なんじゃとおぉぉっ!?」
「今朝方、土蔵に保管されていた過去三百年の神事記録および帳簿を精査いたしました。八咫神様は本来、山林の治水、用水路の保全、冷害防止を一手に担う『地域最高峰の神様』でした」
「そうじゃ……! そうじゃろう!」
「昔のじい様も言っとった! ヤタガミ様は本来、山を守るありがたい神様なんじゃと!」
年寄りたちから、我が意を得たりと頷く声が漏れる。
黒井は深く頷き、タメを作ってから言葉を継いだ。
「ですが、ここが極めて重要です。当時、村が奉納していた対価は人間ではありませんでした。良質なタンパク質と脂質を兼ね備えた『牛一頭』なのです」
ざわり、と村民たちの間に動揺が走る。
黒井はレーザーポインターの赤い光を、折れ線グラフの急落ポイントへと当てた。
「百五十年前の凶作。これがすべてのはじまりです。当時の村執行部は『牛はもったいない』『口減らしをしないと村が行き詰まる』そう判断したのかもしれません。通俗観念は時代によって変わります。ゆえに、現代の価値観に照らして当時のそれを一方的に断ずることは、あえてここでは控えたいと思います」
前置きを置いた上で、黒井はスライドを切り替えた。
「しかし――結果として、コストカットは明白な間違いでした。牛が食べたい八咫神様の仕様要求を軽視し、人間の生贄という不当なダウングレードを断行したのです」
(生贄をダウングレードて……!)
白石が心の中で激しくツッコミを入れる。
「これが神の怒りを買いました。ご覧ください、こちらのグラフがエビデンスです。神様はサービスを停止されました。これが、貴村において『祟り』と誤認されている現象の本質――すなわち、現場インフラエンジニアによる正当なストライキです」
「す、ストライキ……!?」
古参農家の爺さんがぽかんと口を開けた。
「そうです。神様は暴君ではありません。適切な対価が支払われないから業務を停止しているだけなのです。それにもかかわらず、歴代の執行部は仕様の不備を省みず、場当たり的に生贄を調達し続けました。その結果、何が起きたか」
黒井はスライドを次に送った。
真っ赤な文字でデカデカと表示されたのは、誰もが釘付けになるデータだった。
【衝撃! 過去150年間の累計損失試算】
生贄調達および隠蔽にかかる工作コスト: 莫大
治水停止に伴う農作物被害・土砂崩れ損失: 年間推定4,000万円相当
夜間外出禁止による経済活動の停滞および人口流出損失: 計り知れず
150年間の合計経済損失:約60億円
「ろ、ろくじゅうおく……!?」
「そんなに損しとったんか、わしらの村は……!?」
村民たちの間に、凄まじいどよめきが走った。
(……盛ってる盛ってる! 先輩、どうせバレないと思って煽りまくるじゃん!)
「コンサバに見積もってもこれを下回ることはありません。そして現在、皆様が毎年納めている過重な奉納金の実に七十パーセント以上が、この『無駄な生贄調達と非効率な儀式運営』に浪費されています」
黒井は鋭い眼光で、青ざめる老婆村長を指差した。
「現在の運用は、八咫神様にとっても、村民の皆様にとっても、誰一人として得をしない完全な『三方悪し』の状態。そこで今回私がご提案するのが、こちらの新スキームです」
カチリ。
スライドに映し出されたのは、燦然と輝く霜降り肉の写真と、美しい定期配送のフロー図だった。
『八咫神様向け・黒毛和牛A5ランク定期配送サービス導入計画』
「……か、神とのサブスクリプションサービス……!?」
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