天使の少女
南地区。
サラティーが一つの王国として栄えていた時代、この地区は他国から連れてこられた農奴や奴隷たちを住まわせるために造られた区画だった。
南地区と市街地の間には、もう一つの大きな防壁が築かれ、完全に隔離された土地として扱われていた。
時代が流れ、差別という文化は表向きには消えた。
その防壁も歴史的建造物として保存され、観光地として一般開放されていた。
五十年戦争では弾薬庫として利用され、終戦後は帝国から逃れてきた難民や孤児たちの居住区として整備された。
だが、戦争が終わっても人々の心に残った憎しみまでは消えなかった。
帝国から来た難民を快く思わない者は今も多く、差別意識は決して小さくない。
そんな南地区へ、崩壊した防壁から小型オートマタが次々と侵入していた。
難民出身のギルド探索者たちが必死に迎え撃っているものの、数が違いすぎる。
銃声と爆発音が絶え間なく響き渡る。
住民たちは逃げることすらできない。
帝国から命懸けで逃げ延び、ようやく辿り着いたこの街。
彼らにはもう、逃げる場所など残されていなかった。
崩れかけた一軒家の中。
若い母親が二人の幼い娘を抱き締めていた。
「お母さん……怖いよ……」
震える声でしがみつく娘たち。
母親は二人を強く抱き寄せる。
「大丈夫……大丈夫だから」
そう言って首元から小さなお守りを取り出した。
「私たちには天使様がついているのよ」
そこには、銀色の翼を持つ天使が描かれている。
帝国には古くから伝わる女神信仰があった。
世界が絶望に包まれた時、女神の使いである銀髪の天使が人々を救う――そんな言い伝え。
母親はお守りを娘たちへ見せながら、自分自身へ言い聞かせるように呟く。
「きっと……大丈夫」
帝国がオートマタとキマイラの大群に襲われたあの日。
夫とは離れ離れになり、生きているかも分からない。
必死に娘たちを抱えて逃げ続け、ようやく辿り着いたこの街。
それでも帝国人というだけで蔑まれ続けた。
(これが……私への罰なのかな……)
涙を浮かべながら、それでも二人の娘だけは守ろうと抱き締める。
(お願い……女神様……この子たちだけでも……)
その瞬間。
ガラガラッ――!
家の壁が大きく崩れた。
差し込む陽の光。
その向こうには、赤い眼を光らせた一体のオートマタが立っていた。
ゆっくりと銃口が三人へ向けられる。
母親の顔から血の気が引く。
終わった。
そう悟りながらも、娘たちへ覆い被さった。
無意味だと分かっていても。
母親だから。
それしかできなかった。
だが――。
次の瞬間。
オートマタの背中へ、一振りの剣が深々と突き刺さる。
ギィィンッ――!
剣が引き抜かれると同時に、オートマタは力なく崩れ落ちた。
子供二人が恐る恐る目を開ける。
そこには、一人の銀髪の少女が立っていた。
「天使様だ……」
娘の一人が小さく呟く。
母親もゆっくりと顔を上げ振り返る。
光を受けて輝く銀色の髪。
透き通るような白い肌。
その姿は、帝国に伝わる天使そのものだった。
少女は振り返り。
「天使じゃないよ」
「セレナ」
そう名乗ると、安全な方角を指差した。
「あっちならまだ大丈夫」
「急いで」
母親は頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
一人を抱き上げ、もう一人の手を引いて必死に走り出した。
抱き抱えられた少女は手を振る。
「天使様ー!」
「ありがとう!」
セレナは手を振り返した。
そして再び剣を握り直し、戦場へ駆け出していく。
◇ ◇ ◇
その頃。
防壁の上では、サラティーTVの中継班が戦場を走り回っていた。
カメラマンのグラン。
そしてリポーターのモニカ。
「こちらサラティーTVのモニカです!」
「先ほど通信が復旧したため、現在の状況をお伝えします!」
カメラは崩壊した防壁を映し出す。
燃え上がる建物。
立ち込める黒煙。
瓦礫の中を走る人々。
その映像は避難シェルターの大型モニターにも映し出され、市民たちは息を呑んで見つめていた。
「現在映っているのは南地区です」
「ご覧ください」
「南地区では現在も避難が行われておらず、オートマタの襲撃を受けています」
「この地区には帝国からの難民や孤児たちが暮らしています」
「軍はサラティー市民の避難を優先した結果、彼らは事実上見捨てられました」
モニカは真っ直ぐカメラを見る。
「こんなことが許されるのでしょうか」
「ですが、これが現実です」
「私たちは心のどこかで、彼らを帝国の人間だからと距離を置いていなかったでしょうか」
「戦争の傷が深いことも理解しています」
「私も父を戦争で失いました」
「それでも取材を通して出会った南地区の人々は、私たちと何も変わらない普通の人たちでした」
「笑って、泣いて、一生懸命生きている」
「どうか忘れないでください」
「この悲劇を生んだのはオートマタです」
「ですが、最初に彼らを孤立させたのは――私たちだったのかもしれません」
「私たちには心があります」
「誰かを思い、そして愛することのできる心が」
「そのことだけは、どうか忘れないでください」
その時だった。
カメラを担いでいたグランが叫ぶ。
「モニカ!」
「あれだ!」
カメラが一斉に南地区の一角を捉える。
「あれは.....女の子?」
そこでは、一人の銀髪の少女がオートマタを次々と斬り倒していた。
剣を振るい。
銃へ変形させ。
舞うような動きで敵を撃ち抜いていく。
その姿は戦っているというより、一つの演舞だった。
難民たちは思わず足を止める。
「天使様……」
誰かがそう呟く。
その声は次第に周囲へ広がっていく。
帝国で語り継がれてきた銀髪の天使。
絶望の時に現れる救済の象徴。
信仰を知らないシェルターで画面を見るサラティーの人々でさえ、その姿から目を離すことができなかった。
ただ一人。
戦場の真ん中で美しく舞いながら、オートマタを切り伏せていく少女。
その姿に、誰もが息を呑んで見入っていた。




