訪問の少女 前篇
穏やかな朝だった。
台所ではゾイが朝食を作っている。
フライパンから漂う香ばしい匂い。
隣ではセレナが慣れた手つきで野菜を運び、皿を並べていた。
「それお願い。」
「うん。」
短い返事をしながら、セレナは手際よく手伝っていく。
最近では包丁や盛り付けにも慣れ、ゾイも安心して任せられるようになっていた。
一方その頃。
リビングでは、まだ眠そうなウェルトがソファに座り、ぼんやりとテレビを眺めていた。
コーヒーを片手に大きな欠伸をする。
「ふぁぁ……」
完全に寝起きである。
そんな時だった。
テーブルの上に置かれた端末が震えた。
ウェルトは眠そうなまま端末を手に取る。
「……あー、もしもし?」
まだ寝ぼけた声だった。
『おはよう、ウェルト。』
聞こえてきたのはアディの声。
「朝からどうした?」
『今日は任務の予定ある?』
「んー……」
ウェルトは少し考える。
「今のところ特には決めてないな。」
『そっか。』
アディは納得したように答える。
『じゃあドルスがセレナちゃんに用事あるみたいだから、今から連れて行くわね。』
「……ドルスが?」
聞き返した、その瞬間。
『じゃあ後でねー。』
プツッ。
通話は一方的に切れてしまった。
ウェルトは端末を見つめたまま苦笑する。
「相変わらず話だけして切るな、あいつは……。」
台所からゾイが顔を出す。
「ドルスがどうかしたの?」
「なんかセレナに用があるらしい。」
「私?」
セレナは首を傾げる。
自分にドルスが用事。
思い当たる節がなく、不思議そうな表情を浮かべた。
「まあ、そのうち来るんじゃないか。」
ウェルトはそう言ってコーヒーを一口飲む。
三人はそのまま朝食を囲み、ゆっくりとした時間を過ごした。
そして。
食事を終え、食器を片付け始めた頃。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
「はーい。」
ゾイが玄関へ向かう。
扉を開けると、そこにはドルスとアディが立っていた。
「おはようございます。」
「朝からすみません。」
ドルスが丁寧に頭を下げる。
「いらっしゃい。」
ゾイに案内され、二人はリビングへ入る。
すると。
「セレナちゃーーん!」
いつものようにアディが一直線に飛び付いた。
ぎゅうっと抱き締められる。
「おはよう。」
セレナも自然に抱き返す。
そして、そのままドルスへ視線を向けた。
「退院、おめでとう。」
ドルスは少し照れたように笑う。
「ありがとうございます。」
「ご心配をお掛けしました。」
ウェルトはソファへ座り直しながら口を開いた。
「それで?」
「セレナに用事って何なんだ?」
ドルスは少しだけ姿勢を正す。
「実は、一つお願いがありまして。」
「お願い?」
「はい。」
ドルスはセレナを見る。
「娘に会っていただけませんか?」
「娘?」
セレナが首を傾げる。
「娘の名前はカロンといいます。」
「年齢はセレナさんと同じ十三歳です。」
「今回入院している間に、任務のことを少し話したんです。」
「そうしたら……。」
ドルスは苦笑した。
「同い年の女の子が、一人でクイーンを倒したって本当なの?」
「ぜひ会ってみたい。」
「そう言って聞かなくなりまして。」
「それで今日、お伺いしました。」
セレナは少し考える。
そして、小さく頷いた。
「別に、いいよ。」
その返事にドルスはほっと息をついた。
「ありがとうございます。」
ウェルトも肩を竦める。
「今日は特に予定もないしな。」
「行ってこい。」
ゾイも優しく笑う。
「楽しんでおいで。」
「うん。」
セレナは素直に頷いた。
そのまま上着を羽織る。
アディは満足そうに笑いながら、その様子を眺めていた。
「じゃあ行きましょう!」
三人は玄関へ向かう。
ドルスの車へ乗り込むと、ゆっくりとエンジンが掛かった。
目的地はドルスの家。
そこで待っているのは、セレナと同い年の少女――カロン。
新しい出会いへ向けて、車は静かに走り出した。
ドルスの運転する車は、街並みをゆっくりと走っていた。
今日は珍しく、アディは助手席ではなく後部座席に座っている。
その隣にはセレナ。
車が走り出してしばらくした頃。
セレナは隣に座るアディを見上げ、不思議そうに首を傾げた。
「アディ。」
「今日は膝じゃなくていいの?」
車内が一瞬静まり返る。
ドルスは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
一方のアディは。
「うっ……!」
胸を押さえ、その場で悶え始めた。
「せ、セレナちゃん……。」
嬉しさ半分。
悲しさ半分。
複雑な感情が一気に押し寄せてくる。
「今日は我慢してるのよぉ……。」
涙ぐみながら呟くアディ。
ドルスは苦笑しながらハンドルを握った。
「流石に親族に見られるのは恥ずかしいですからね。」
「親族?」
聞き慣れない言葉に、セレナが首を傾げる。
ドルスはミラー越しに微笑んだ。
「私の妻はオーリーと言いまして。」
「アディの従姉妹に当たるんですよ。」
「従姉妹?」
また知らない言葉だったらしい。
今度はアディが説明する。
「私のお母さんのお姉さんの娘ってことよ。」
「家族だけど、お姉ちゃんや妹とは少し違う関係ね。」
「そうなんだ。」
セレナは納得したように小さく頷いた。
アディは懐かしそうに窓の外を眺める。
「ちなみにね。」
「ドルスとの出会いは、まだ戦争中だったの。」
ドルスが小さく咳払いをする。
アディは楽しそうに続けた。
「オーリーがオートマタに襲われそうになった時、傭兵だったドルスが助けたの。」
「それでね。」
「オーリーが一目惚れ。」
「そこから猛烈アタック。」
ドルスは照れくさそうに笑う。
「正直、当時の私は傭兵でしたから。」
「いつ死ぬか分からない仕事です。」
「結婚なんて考えていませんでした。」
少しだけ遠くを見る。
「ですが……。」
「押し切られました。」
その言葉にアディが笑う。
「今じゃすっかり愛妻家じゃない。」
「のろけちゃってぇ。」
ドルスは少しだけ頬を赤くしながら咳払いをした。
「……今では、それで良かったと思っています。」
その一言には、照れながらも本音が込められていた。
アディも嬉しそうに頷く。
「ちなみにドルスがワイルドローズへ入ったのも、オーリーが頼んだからなのよ。」
「私のことが心配だから、力になってあげてって。」
ドルスも静かに頷いた。
そしてアディは何かを思い出したように笑った。
「あ、そういえば。」
「カロンもだけど、ケルビンも元気かしら?」
「最近全然会ってないわね。」
「ケルビン?」
また知らない名前だった。
セレナが素直に聞き返す。
ドルスは微笑む。
「娘のカロンの他に、息子もいるんです。」
「名前はケルビン。」
「今年で十一歳になります。」
アディが確認するように聞く。
「もう十一歳だっけ?」
「ええ。」
「早いものですよ。」
ドルスは少しだけ父親らしい優しい笑みを浮かべた。
そんな他愛ない会話を交わしているうちに。
住宅街へ入っていく。
ドルスは前方を指差した。
「見えてきました。」
その先には、手入れの行き届いた一軒家が建っていた。
白い外壁。
小さな庭。
家族の温もりが感じられる、穏やかな家だった。
「――あれが、私の家です。」
車はゆっくりと速度を落とし、その家の前へと停車した。
エンジンが止まるのと同時に。
ガチャリ。
玄関の扉が開く。
一人の女性が笑顔で外へ出てきた。
「おかえりなさい。」
柔らかな笑顔。
アディとよく似た赤い髪。
腰まで伸びた長い髪は、腰の辺りでリボンにまとめられている。
穏やかな雰囲気を纏った女性だった。
ドルスも優しく笑う。
「ただいま。」
三人が車を降りると、その女性は真っ直ぐセレナの前まで歩いてくる。
そして、優しく微笑んだ。
「あなたがセレナちゃんね。」
「私はオーリー。」
「ドルスの妻よ。」
そう自己紹介した次の瞬間。
オーリーの目が一気に輝いた。
「って……!」
「なんて可愛い子なの!?」
「この子どこのアイドル!?」
一気に距離を詰める。
その反応にドルスは苦笑する。
「……やっぱり。」
アディも肩を竦めた。
「血は争えないわね。」
まさしくアディの親族だった。
オーリーは少しだけ身を屈める。
「ねぇ。」
「ちょっと触ってもいい?」
セレナは小さく頷く。
「いいよ。」
その返事を聞くなり。
オーリーはそっとセレナを抱きしめた。
まるで壊れ物を扱うような優しい抱擁。
そのまま静かに言葉を紡ぐ。
「ありがとう。」
「私の夫を。」
「アディを。」
「助けてくれて、本当にありがとう。」
ずっと伝えたかった。
そんな想いが、その一言一言に込められていた。
セレナは何も言わない。
ただ静かに聞いている。
そして。
そっと両腕を伸ばし。
オーリーの背中へ優しく手を回した。
ぎこちない。
それでも精一杯の返事だった。
しばらくして。
オーリーはゆっくり身体を離す。
少しだけ目元を潤ませながら笑った。
「さぁ。」
「立ち話もなんだから入って。」
「みんな待ってるわ。」
四人は家の中へ入る。
木の温もりを感じる落ち着いた玄関。
そのままリビングへ案内される。
「みんなは座って待ってて。」
「すぐカロンを呼んでくるから。」
オーリーはそう言うと、階段の方へ向かい、大きな声で呼んだ。
「カローン!」
「セレナちゃんが来たわよー!」
その声が響いた次の瞬間。
ドタドタドタドタッ!!
勢いよく階段を駆け下りる足音が聞こえてくる。
そして。
一人の少女がリビングへ飛び込んできた。
肩まで伸びた赤い髪。
元気いっぱいの瞳。
「どんな子!?」
期待で目を輝かせながらリビングへ入る。
そして。
セレナと目が合った。
数秒。
時間が止まる。
次の瞬間――
「きゃーーーーっ!!」
「ちょー可愛い子がいるーーーっ!!」
リビング中に歓声が響いた。
勢いよく駆け寄ろうとするカロン。
それを見たアディは思わず額に手を当てる。
ドルスも苦笑いを浮かべる。
「親族ですね。」
「ええ。」
オーリーも照れ笑いを浮かべながら頷いた。
「反応がそっくり。」
こうして。
セレナはまた一人――
いや、一家そろって"セレナファン"の家族と出会うことになった。




