卵焼きの少女
セレナが退院してから三日後。
朝から落ち着きなく部屋の中を歩き回る銀髪の少女がいた。
「……まだかな」
窓の外を見たり、時計を見たり。
また玄関の方へ視線を向けたり。
その様子を見ながら、ゾイは苦笑する。
「そんなにそわそわしても、時間は早く進まないよ」
掃除機を掛けながら、やわらかい口調で声を掛けた。
ソファで新聞を読んでいたウェルトも笑う。
「さっき連絡があっただろ」
「もうすぐ着くって」
「そんなに焦らなくても逃げやしない」
セレナは小さく頷く。
「……うん」
返事はした。
だが、やはり落ち着かない。
その姿にウェルトとゾイは顔を見合わせ、小さく笑った。
その時だった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
「!」
セレナの表情がぱっと明るくなる。
小走りで玄関へ向かい、勢いよく扉を開けた。
そこに立っていたのは――
「セレナちゃん!」
アディだ。
四日ぶりの再会だった。
アディは退院していた。
セレナは退院と同時に会いに行く予定だった。
だが。
「入院してる姿は見られたくない」
そんな妙な理由で、今日まで顔を見せなかったのである。
玄関を開けた瞬間。
元気な姿のセレナが目に飛び込んできた。
(推しが……)
(元気……!)
感激のあまり、意識が飛びそうになる。
今にも叫び出しそうになった、その瞬間だった。
ぎゅっ。
セレナが迷いなく抱きついた。
「えっ……」
アディの思考が止まる。
セレナにとっても四日ぶりだった。
元気なアディの姿を見られたことが、本当に嬉しかったのだ。
「アディが元気で嬉しい」
飾らない言葉。
その一言だけで十分だった。
アディはようやく我に返る。
涙ぐみながら鞄をごそごそと探り、一羽の折り鶴を取り出した。
「これね」
「セレナちゃんが折ってくれたやつ」
病院で折った、少しだけ歪な折り鶴。
退院の時、看護師に託して届けてもらったものだった。
セレナは首を傾げる。
「効果あった?」
「すっごく!」
満面の笑みで答えるアディ。
「これのおかげで元気になれたわ!」
そう言うと、またセレナをぎゅっと抱きしめた。
その様子を見ていたゾイが苦笑する。
「はいはい」
「玄関でずっと抱き合ってないで」
「今日は退院祝いをするんでしょ?」
「あ」
セレナが思い出したように頷く。
「そうだった」
そして自然にアディの手を握る。
「アディ、こっち」
「え?」
「何かしら?」
そのまま台所へ引っ張っていく。
「一緒に料理」
「前に約束した」
その言葉を聞いた瞬間。
アディの目が大きく見開かれた。
「覚えててくれたの!?」
「うん」
小さく頷くセレナ。
それだけでアディは感激してしまい、思わずまた抱きつく。
「もう、本当にいい子……!」
ゾイは笑いながらエプロンを二人へ手渡した。
「はい」
「アディは僕のを使ってね」
「ありがとう」
エプロンを身につけたセレナを見るなり、アディは素早く端末を取り出す。
「ちょっと待って!」
「そのまま!」
カシャッ。
「可愛い……!」
「尊い……!」
興奮しながら何枚も写真を撮り始める。
その様子を見たウェルトが呆れたように言う。
「料理するんじゃなかったのか?」
「写真撮ってる場合か?」
するとアディは振り返り、
「料理できない人は黙ってなさいよ!」
ぴしゃりと言い放った。
図星だった。
ウェルトは何も言い返せない。
「……」
黙って新聞へ視線を戻す。
こうして、退院祝いの料理が始まった。
セレナの包丁さばきは以前よりもずっと滑らかだった。
ゾイの手伝いを続けていた成果が、しっかり表れている。
アディはその様子を見ながら感心する。
「上手!」
「切り方すごく綺麗!」
「火加減もいいわ!」
何をしても褒める。
とにかく褒める。
セレナも褒められるたびに嬉しそうだった。
表情こそあまり変わらない。
それでも、雰囲気だけで機嫌がいいことは誰にでも分かる。
ゾイは二人が料理しやすいように食器を用意し、調味料を並べ、必要な物を次々と渡していく。
一方その頃。
ウェルトはというと。
リビングで早くも酒を飲み始めていた。
料理が進むにつれ、部屋いっぱいに美味しそうな香りが広がっていく。
あの渓谷での激戦が嘘のような、穏やかな時間だった。
次々と料理が完成し、リビングのテーブルへ並べられていく。
その様子を眺めながら酒を飲んでいるウェルトへ、ついにアディが怒鳴った。
「ちょっと!」
「料理くらい運びなさいよ!」
すると隣にいたセレナも同じようにウェルトを見る。
「運びなさいよ!」
その口調まで真似をしていた。
さすがのウェルトも苦笑しながら立ち上がる。
「……手伝わせてもらいます」
思わず敬語になる。
その姿に部屋中が笑いに包まれた。
やがて、すべての料理が並び終わる。
豪華な食卓。
退院祝いの食事会が始まろうとしていた。
席へ着きながらウェルトが尋ねる。
「本当に俺達が先に祝ってよかったのか?」
「普通はワイルドローズで祝うのが先じゃないか?」
アディは頷く。
「もちろん、そのつもりよ」
「まだ四人とも入院中でしょう?」
「だから皆が退院したら、改めてワイルドローズ全員でお祝いすることになったの」
ウェルトも納得したように頷く。
「なるほどな」
それなら確かに、その方がいい。
こうして笑い声が響く食卓。
温かな料理の匂い。
四人は料理を囲み、それぞれ席に着いた。
椅子へ腰を下ろすアディ。
すると。
セレナがその隣の椅子へと腰を下ろした。
ごく自然な動作。
本人には全く自覚がない。
だが。
「…………」
アディは固まった。
(隣……)
(隣に座ってくれた)
(私の隣に……)
頭の中では盛大に花火が打ち上がっている。
危うく叫びそうになるのを必死で堪えながら、なんとか平静を装った。
向かいに座るウェルトは、その様子を見て苦笑する。
「嬉しそうだな」
「べ、別に普通よ?」
明らかに頬が緩んでいる。
全く説得力はなかった。
「いただきます」
四人の声が重なる。
食卓に箸が伸びた。
アディは真っ先に、セレナが作った卵焼きを口へ運ぶ。
ゆっくり噛み締める。
その様子を、セレナはじっと見つめていた。
「……どう?」
ほんの少しだけ緊張した声。
アディはしばらく味わってから、大きく頷く。
「美味しい!」
「優しさが卵の中から溢れ出してくるくらい美味しいわ!」
よく分からない感想だった。
だが、その顔を見れば満足していることだけは十分伝わる。
セレナは小さく目を丸くすると、嬉しそうに足をぱたぱたと揺らした。
感情はあまり表に出ない。
それでも、その仕草だけで機嫌の良さが伝わってくる。
アディは思わず頬を緩める。
「セレナちゃんも食べてみて」
「うん」
セレナも自分で作った卵焼きを一口食べる。
「……おいしい」
小さく呟く。
その姿を見て、アディも自然と笑顔になった。
向かいではウェルトがお酒を飲みながら、その光景を静かに眺めている。
隣のゾイがコップを手にしながら微笑んだ。
「よかったね」
「ちゃんと帰って来られて」
ウェルトはグラスを見つめ、小さく頷く。
「ああ」
「全員とはいかなかった」
クラウスの顔が脳裏を過る。
ほんの一瞬だけ表情が曇る。
それでも。
「……それでも」
「この日常が戻ってきただけで、俺は十分満足してる」
その言葉に、ゾイも静かに頷いた。
穏やかな空気が流れる。
その時だった。
「ウェルト」
名前を呼ばれる。
見ると、セレナが箸で卵焼きを一切れ挟んでいた。
そのままウェルトの方へ差し出す。
「どうぞ」
一瞬。
ウェルトの思考が止まる。
「……俺?」
「うん」
「食べて」
あまりにも自然だった。
アディが勢いよく立ち上がる。
「ちょっとーーーっ!!」
「何その羨ましいイベント!!」
「私にもまだやってくれてないのに!!」
叫ぶアディをよそに。
ウェルトは苦笑しながら口を開ける。
「あー」
ぱくり。
卵焼きを口に入れる。
ゆっくり噛み締めると、小さく笑った。
「うまいぞ」
「前よりずっと上手くなった」
その一言に、セレナは満足そうに頷いた。
すると今度は。
「私も!」
アディが勢いよく口を開ける。
「あーーーん!」
子どものように待機する。
「うん」
同じように卵焼きをつまみ、アディの口へ運んだ。
ぱくり。
「~~~~っ!!」
アディは胸を押さえた。
「美味しさが倍増したわ……」
「これが幸せなのね……」
そのまま天井を見上げる。
今にも昇天しそうな勢いだった。
ウェルトは呆れたように笑う。
「大げさだな」
「大げさじゃないわ!」
「推しに『あーん』されたのよ!?」
「人生のご褒美よ!!」
熱弁するアディを見て、ゾイが吹き出す。
「まだ退院したばかりなんだから、興奮しすぎて倒れないでね」
「大丈夫!」
「今日は倒れても本望だから!」
「本望にするな」
ウェルトの即座のツッコミに、部屋中へ笑い声が広がる。
セレナは三人の笑顔を静かに見回した。
そして。
少しだけ口元を緩める。
誰にも気付かれないくらい、小さく。
でも確かに。
嬉しそうに笑っていた。
ようやく取り戻した、いつもの日常だった。




