絶望の少女
アディの前へと歩み寄るセレナ。
だが、その足取りは先ほどまでとは違っていた。
ふらり。
ふらり。
エーテルを限界まで使い切った身体は、思うように動かない。
それでも一歩ずつ。
ゆっくりとアディの元へ近付いていく。
その姿を見たアディは、堪えきれずに駆け出した。
「セレナちゃん!」
そのまま強く抱きしめる。
勢いよく抱き締められたセレナも、そっとアディの背中へ腕を回した。
「……よかった」
小さな声。
その一言に込められた安堵は大きかった。
本当に心配だった。
もう二度と会えないかもしれない。
そんな不安が、ずっと胸の中にあった。
だからこそ。
生きているアディを抱きしめられた今、ようやく心が落ち着いた。
普段のアディなら、こんなふうに抱きつかれれば真っ赤になって大騒ぎしていただろう。
だが今は違う。
アディも静かにセレナを抱き返す。
「ありがとう……」
「助けに来てくれて、本当にありがとう」
その言葉にセレナは小さく頷く。
「ウェルトも来てる」
「すぐ、来る」
その言葉を聞いたアディは、安心したように笑った。
「そっか……」
「よかった」
その一方で。
ドルスはコールの隣へ腰を下ろしていた。
傷口を確認し、小さく息を吐く。
「……なんとかなりそうですね」
コールも苦しそうな笑みを浮かべる。
「これで……帰れるっすね」
「えぇ」
ドルスも静かに頷いた。
終わった。
誰もがそう思った。
その時だった。
ズズズズズズズズズ――
渓谷全体が揺れる。
全員が息を呑んだ。
地面が盛り上がる。
岩盤が砕ける。
舞い上がる土煙の中。
グォォォォォォォォォッ!!
咆哮が土煙を吹き飛ばす。
そして。
巨大な影が姿を現した。
「……そんな」
アディの声が震える。
もう一体。
クイーンだった。
誰も予想していなかった。
いや。
これですべての辻褄が合う。
異常な数のキマイラ。
報告より遥かに多かった群れ。
その理由。
クイーンは一体ではなかったのだ。
二体いた。
だからこそ、あれほどの数が存在していた。
現れた二体目のクイーンは、ゆっくりとセレナへ視線を向ける。
倒された仲間。
周囲に散らばるキマイラの死骸。
その全てを見て、怒りを滲ませるように咆哮した。
グォォォォォォォォォッ!!
轟音が渓谷を震わせる。
セレナは静かにアディの腕から離れる。
そして剣を握った。
「セレナちゃん!」
アディが止める。
だがセレナは振り返らない。
「大丈夫」
「皆で帰ろう」
静かな声。
だけど、その意思だけは誰よりも強かった。
ここで戦えるのは自分しかいない。
だから。
倒す。
一人でも。
セレナは地面を蹴った。
銀色の残像が走る。
クイーンの外殻へ斬撃が刻まれる。
だが。
先ほどとは違う。
動きに鋭さがない。
一撃ごとに身体が重くなる。
それでも。
セレナは止まらない。
壁を蹴り。
岩を踏み。
何度もクイーンを切り裂く。
翻弄はしている。
それでも。
限界は近付いていた。
次の一撃を放とうと地面を蹴った瞬間だった。
ふらり。
身体が揺れる。
視界が霞む。
(……あ)
エーテルが、ない。
ほぼ使い切った身体は悲鳴を上げていた。
エーテル欠乏症。
その僅かな隙を。
クイーンは見逃さなかった。
巨大な尻尾が振り下ろされる。
セレナは咄嗟に身を捻る。
直撃だけは避けた。
だが、尻尾が地面を叩いた衝撃で岩盤が弾け飛び、その破片がセレナを直撃する。
「っ……!」
身体が吹き飛ぶ。
地面を何度も転がる。
「セレナちゃん!」
アディの悲鳴が響く。
セレナは剣を地面へ突き刺す。
それを支えに立ち上がろうとする。
「立って」
「まだ……」
自分へ言い聞かせる。
だが。
足が震える。
身体が言うことを聞かない。
その時だった。
アディが駆け寄り、倒れかけたセレナを抱き止めた。
再び立ち上がろうとするセレナ。
だが。
アディが強く肩を押さえる。
「駄目!」
珍しく強い声だった。
セレナが目を見開く。
「もう動いちゃ駄目!」
「でも……」
「駄目!」
アディは首を振る。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「もう十分よ」
「セレナちゃんは十分頑張った」
「だから今は休んで」
アディはそんな彼女を優しく抱き寄せた。
失いたくなかった。
この少女は。
もう仲間以上の存在だった。
だから。
もうこれ以上、傷付いてほしくない。
アディはゆっくり立ち上がる。
そして。
セレナの前へ出た。
まるで盾になるように。
「アディ……」
「今度は私の番よ」
震える足。
それでも退かない。
その隣へ。
足を引きずりながらドルスも並ぶ。
「ドルス……」
「アディ一人に格好つけさせるわけにはいきません」
苦笑しながら答える。
その表情には、覚悟があった。
勝てない。
そんなことは分かっている。
二人とも理解している。
それでも。
ここまで命懸けで自分達を救ってくれた少女だけは。
絶対に死なせない。
だから前へ立つ。
クイーンがゆっくり近付いてくる。
アディ達も武器を構え、歩き出す。
絶望。
誰もがそう思った。
セレナは地面に手をつき、這いずるように身を起こす。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
ここまで来たのに。
皆で帰るって約束したのに。
絶対に。
絶対に帰るんだ。
セレナはアディたちへと手を伸ばす。
届かない手を。
その時。
心の中へ、一人の顔が浮かぶ。
ぶっきらぼうで。
不器用で。
でも、いつも自分を見守ってくれる人。
困った時に一番頼りたくなる人。
気付けば。
誰よりも信頼していた人。
自然と、その名前が零れた。
「……ウェルト」
助けて。
その瞬間だった。
「撃てぇぇぇぇ!!」
ドォォォォォン!!
轟音。
クイーンの頭部で爆発が起きる。
続けざまに。
ドォン!!
ドォォォン!!
何発もの砲撃が炸裂する。
突然の攻撃によろめくクイーン。
セレナはゆっくり顔を上げた。
爆煙の向こう。
そこには無数の人影。
先頭に立つ男。
銃を構え。
真っ直ぐクイーンを見据えていた。
その表情に余裕はない。
仲間が危険な状況にいることを理解しているからだ。
鋭い眼差し。
引き締まった顔。
いつもの軽口を叩くような雰囲気はどこにもなかった。
「悪い」
「待たせた」
その隣では巨大な砲身を肩へ担いだガリオンが豪快に笑う。
「はっはっはっ!!」
「よく粘った!」
「後はわしらに任せろ!!」
救助部隊が次々と渓谷へなだれ込む。
探索者達の雄叫びが響く。
その光景を見たセレナの瞳が、ゆっくりと輝いた。
もう。
一人で戦わなくていい。
その事実だけで。
張り詰めていた心が、少しだけ軽くなった。




