緊迫の少女 アディ視点後編
アディはふとドルスの背中を見た。
背負われているコールの腹部から、まだ血が滲んでいる。
さっき傷を負ったばかりで、そのまま走り続けてきたのだ。
まともな応急処置をする余裕などなかった。
このままでは危険だ。
どこかで、きちんと治療しなければ。
アディは周囲を見回した。
まだ追ってくる少数のキマイラを迎撃しながら、岩壁の隙間を見つける。
「ドルス! あそこ!」
小さな裂け目。
だが奥は洞窟になっている。
入口は狭く、キマイラは入れそうにない。
「ここなら……」
アディが周囲を確認する。
「コールの治療ができるかもしれない」
ドルスも頷いた。
二人はコールを連れて中へ入る。
だが。
「!!」
そこで思わぬ人物を見つけた。
壁にもたれ掛かる男。
腹部を押さえながら荒い息を吐いている。
その隣には。
すでに息絶えた男が横たわっていた。
「……アディか」
男が顔を上げる。
バルディオだった。
アディも目を見開く。
「バルディオ……」
「どうしてここに」
バルディオは自嘲気味に笑った。
「見りゃ分かるだろ」
「巣まであと一歩ってところでキマイラに襲われた」
「仲間も散り散りだ」
「運良くここを見つけて隠れてた」
「おまえらこそ何でこんなところに」
その言葉を聞いた瞬間。
ドルスの顔が怒りで歪んだ。
「あなたのせいで!!」
詰め寄ろうとする。
だが。
「ドルス」
アディが止めた。
「コールをお願い」
「ですが!」
「お願い」
静かな声だった。
ドルスはしばらく黙った後。
「……分かりました」
そう言ってコールの治療を始める。
バッグを開く。
だが。
「くそっ」
中に入っていたエーテル活性剤は割れていた。
体の中のエーテルを活性化させる薬。
打てば傷の治りを早くする治療薬。
乱戦の最中に破損したらしい。
それでも治療は続けるしかない。
ドルスは止血と応急の処置を始めた。
一方。
バルディオはドルスの言葉で状況を理解した。
『あなたのせいで!!』
つまり自分のせいで彼らは壊滅したのだと。
アディが近づいて来たのに気付く。
洞窟は暗く顔は見えない。
だが想像はできる。
きっとゴミを見るような目で見られているのだろう。
どんな罵詈雑言を言われるのか。
このまま殴り殺されるか。
それとも外に放り出されてキマイラの餌食になるか。
何にしても、自分には拒否する権利はない。
しゃがみこむアディ。
だが彼女から出た言葉は違った。
「手、どけて」
アディは治療を始める。
「……なんでだ」
バルディオがかすれた声で呟く。
「俺のせいでこんなことになったのに」
「いいから黙ってなさい」
アディは傷口に布を当てる。
傷を見る。
そして。
深い。
戦争時代。
何度も見てきた傷。
助からない傷だ。
それでも。
彼女は手を止めない。
バルディオはその様子を見る。
そして天井を見上げる。
「こんなはずじゃ……なかった」
「俺達ならできると」
「これくらい…問題ないと」
「最初から……間違ってたのか」
後悔。
自責。
そんな言葉ばかりが口から出てくる。
アディはため息を吐いた。
「あのさ」
「暗い話ばっかりやめてくれない?」
バルディオが驚く。
「え……」
「もっと楽しい話してよ」
「楽しい……話?」
「そう」
アディは笑った。
「夢とか」
「好きなこととか」
「そういう話」
しばらく沈黙。
やがてバルディオが小さく笑う。
「夢か……」
少しだけ遠くを見る。
「英雄になりたかった」
アディは黙って聞く。
「どんな絶望的な状況でも」
「助けを求めた時に」
「颯爽と現れて」
「皆を助ける」
「その姿を見ただけで安心できるような」
「そんな英雄だ」
自嘲気味に笑う。
「馬鹿みたいだろ……」
「いい歳したやつが……」
だがアディは首を振った。
「あら」
「素敵じゃない」
「私は好きよ」
その言葉に。
バルディオは少しだけ安心したように目を閉じた。
「そうか……」
その声は穏やかだった。
アディは慌てて話を続ける。
眠らせないために。
意識を手放させないために。
「親はいないの?」
ゆっくりと目が開く。
「お袋がいる……」
「親父は戦争で死んだ……」
「そう」
アディは微笑んだ。
「なら帰らないと」
「お母さん心配してるわよ」
バルディオも笑う。
「ああ……」
「そうだな……」
だが。
身体が傾く。
限界だった。
アディは慌てて支える。
そして。
そのまま膝枕をした。
バルディオは驚く。
自分はこんなことされる人間じゃない。
「なん…で…」
かすれた声だった。
アディは笑う。
「こんないい女に膝枕してもらえるんだから」
「感謝しなさい」
死にゆく彼が少しでも幸せを感じられるように。
精一杯の言葉を。
その言葉に。
バルディオは少しだけ笑った。
そして。
「アディ…」
「なぁに?」
彼の言葉に耳を傾ける。
決して聞き逃さないように。
「すま…ない…」
途切れ途切れに話す。
「許されないのは……分かってる」
「でも……」
「伝えたいって…思ったんだ……」
アディは静かに頷く。
「そうね」
「皆は許さないかもしれない」
「だから」
「私だけは許してあげる」
その言葉に。
バルディオの目が少しだけ潤んだ。
そして最後の力を振り絞る。
「あり…が……と………う……」
その一言だった。
それだけだった。
だが。
その言葉のあと、彼の目尻からひと粒だけ涙がこぼれた。
後悔も。
感謝も。
救いも。
全て込められた、たったひと粒の涙だった。
次の瞬間。
彼の目から光が消える。
アディはしばらく動けなかった。
やがて。
そっと瞼を閉じる。
そして地面へ横たわらせた。
ハンカチを顔に掛ける。
「おやすみ」
小さく呟いた。
それからコールの元へ向かう。
「あとは代わる」
ドルスに入口の警戒を頼む。
ドルスは黙って頷いた。
コールは治療されながらアディを見る。
「優しいっすね」
「……なにが」
「あんな奴のために泣くなんて」
アディは涙を拭う。
「うるさいわよ」
だが涙は止まらなかった。
コールは少しだけ笑う。
そして真面目な顔になる。
「やっぱり」
「俺が死んでも」
「姉御は死なないでください」
アディは手を止めない。
コールは続ける。
「俺の分まで」
「しわしわのおばあちゃんになるまで生きてください」
アディは答えなかった。
ただ。
震える手で治療を続けていた。




