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兵装の姫君、救国の王妃になる  作者: 松花春芳
善の善なるもの
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善の善なるもの ③

 主郭のなかにある奥の部屋に来た。五日前に常磐に用意された部屋ではなく、王のための部屋だ。


 といっても、なにか調度があるわけでもない。前回常磐が通されたのと同じ、寝台があるだけの簡素な板の間だ。


「粗末ですが、我慢してください。広間でみんなと雑魚寝よりはましでしょう」


 高延は常磐を寝台に座らせて、自分はつけていた防具を外す。


「戦のさなかに防具を脱ぐなど、おれも王失格です」


 自嘲気味に呟いて高延がとなりにきた。


「あなたに触れてもいいですか?」


 許可を求めてはくるものの、常磐が返事するより前に抱きしめられていた。きつく抱きしめられて、常磐は体がしびれるようだ。


「あーあ、すべて終わるまで我慢しようと思っていたのに」


 耳元で高延が呟く。


「え、高延様?」


 そのまま、押し倒されていた。


「おれの妻になってくれるのですよね?」


 唇が触れるほどそばで囁いてくる。


「あの、その、……はい」


 常磐はもう高延の妻になるつもりでいる。だけど、今? いやではないけど、この状況では落ち着かない。


 高延は胴まわりの防具をといたものの、夜襲をかけられた時にすぐ対応できるよう篭手やすね当てはつけたままだ。足元も解いていない。常磐もそうだ。


 どうしたらいいのかと焦っていると、くすっと高延が笑う。


「冗談ですよ。こんな時にあなたに手を出すわけがない。みんなに節度を保てと言ったのですから。ただ、防具は邪魔だ。あなたを感じられない」


 高延がもう一度抱きしめてきて、それから常磐を離すととなりに体を横たえた。


「明日は早い。寝ましょう」


 そうして、常磐の体を脇に抱え込む。


 人をあせらせるだけあせらせておいて、高延は口づけすらしない。


 高延の胸に体を預けると、昼間抱きしめられた時は感じられなかった体温を、布越しに感じることができる。


 やっとここまで戻ってきたと思うと、常磐は切なさに胸がつまる。


 あたりは静かだ。


 高延は眠っているのかいないのか、穏やかな呼吸が聞こえる。常磐は心臓の鼓動が早いままで、眠れそうにない。


 自然と心は明日のことに向く。


 明日はどんな戦いになるのだろうか。軍議を途中で抜けてしまったので、どんなふうに戦いを展開していくつもりなのか、なにも聞かなかった。


 高延に再会できて、暁津島の援軍でムクリを海辺まで追い立てることもできた。それで常磐は、少しばかり気持ちが舞い上がっていたかもしれない。明日の戦いについて、楽観的な気持ちが強くなっていた。


 だけどさっき高延に向こうの城まで戻れと言われて、また不安がよみがえってきていた。兵の数は五分五分。もしもムクリがこのまま引かなければ、明日、ここは戦場になる。


 王である高延が最前線に突っ込んでいくわけではない。でも、総力戦のさなかに安全な場所などどこにもない。


 それに高延は兵だけを危険に晒して自分が安全な場所にいるとも思えない。今日だって、前線の郭まで出ていたではないか。


 急に怖くなってきた。


 そんなことあるはずないと思っても、もしも今夜が最後の夜だったらどうしようと焦りがこみ上げる。


 五日前に高延を残してこの城を去った時の気持ちがよみがえってくる。


 もうあんな思いはいやだ。高延はここにいる。ここにいて、触れることができる。


「高延様」


 常磐は切羽つまった思いで高延を呼んだ。


「眠れないのですか?」


 返ってきた声はのんきだ。常磐は半身を起こすと、高延の耳に囁いた。


「高延様、やっぱり今夜、妻にしてください」


「え?」


 自分からこんなことを言うのが恥ずかしすぎて、体が燃えるように熱かった。


 高延はしばらく沈黙する。それがなおさら常磐の羞恥を煽る。


「なんとか言ってください」


 黙っていられると恥ずかしさに泣きたくなってくる。


「あー、ええと………」


 高延が体を起こすと、常磐の上にのしかかってきた。


「それは、おれを受け入れてくれるということですか?」


「……そうです」


 お願いだから、確認などとらないでほしい。


「それはすごくうれしいのですが、こっちは必死に理性を保とうとしているのですから、誘惑しないでほしいですね」


 それは思いもかけない返答だった。


「……ごめんなさい」


 高延にその気はないのだと知ると、恥ずかしさで消えたくなってしまう。


「常磐」


 体を起こした高延が、常磐も引っ張って起こす。月明かりだけの薄闇で向かい合う。暗くてはっきり見えないが、高延は笑っているみたいだ。


「明日、おれ達が負けるかもしれないと思っているんですね?」


「そんな、違います」


 ずばりと切り込まれて、常磐は慌てて否定する。そんな不吉なことを戦いの前に口に出してはいけない。


「嘘だな。不安なのでしょう? もしかしたら今夜が最後の夜なのかもしれないって、思うのでしょ?」


 ふふっと笑われた。


「大丈夫ですよ。おれ達は負けません」


 自信たっぷりに高延は言う。


「本当ですか」


「ええ、必ず勝ちます」


「どうしてそう言いきれるのですか」


「負ける気がしません」


「そんなの」


 そんなのなんの根拠にならない、と言いかけて、さすがに自制心が働いた。


「信じられませんか?」


 手を握られた。


「そうだな。どうしたらあなたの不安を消すことができますか? もうできることはすべてやった。あとは明日、死力を尽くすのみです。おれは必ず勝てると信じていますよ」


 高延の言うとおりだ。


 根拠がなくても明日の勝利を信じるべきだ。


 きっとどれだけ勝てる根拠を並べられても、心から安心することはない。それは常磐が高延を失いたくないと恐れているから。万に一つの可能性でも、高延に危険があるなら常磐は不安だ。


 それにこの不安を押さえ込めないのは、不安を吐き出せる人がいるから。高延が不安を受け止めてくれるからだ。


 でもそれは甘えすぎだ。


 戦いを前にしている高延に不安を言い募るべきじゃない。高延が勝つと言っているのだから、それを信じなくてどうするのだ。


 この不安を消す唯一の方法は、信じること。それ以外にはない。


「ごめんなさい」


「どうして謝るの?」


「戦いの前に不吉なことばかり言って」


「不吉? そんなことありませんよ」


 高延が手に力を入れる。その手はあたたかくやさしい。


「心配してくれるのはうれしいですよ。おれのことがそんなに心配ですか?」


「心配です」


「どうして?」


「どうして? どうしてって」


 そこに疑問を挟む余地があるだろうか。高延が好きだから心配なのだ。高延を失いたくない。


 そこまで考えて、やっと高延がなにを言わせたいのかわかった。


 常磐は高延が握ってくる手を外すと、自分から握り直した。


「高延様が好きです。だから、心配なんです」


 しばしの沈黙のあと、


「ありがとう。それを聞きたかった」


 明かりがなくて高延がどんな顔をしているのか、はっきりわからないのが残念だ。初めて聞く甘い声だったから。


「私は高延様の妻になると言っているのに」


「あなたが婚姻を考える基準は、自分の気持よりも国益にかなうかどうかでしょう。だから、あなたの気持ちをはっきり言葉で知りたくなりました」


 確かに常磐にとって国益が第一だけど、でも高延が好きだ。


「ここが戦場でなければ、今すぐ押し倒すのですが」


 高延がまた横になる。


「止まれなくなりそうだから、やめておきます」


 そんなことを言われると、となりにいていいのか迷ってしまう。常磐が体をおこしたままためらっていると手を引かれた。


「きて。大丈夫ですよ。あなたがそばにいるのに、この胸に抱けないほうが辛い」


 そうしてまた最初のように脇に常磐を抱え込む。


「この城でこんなふうにあなたと過ごせるとは、思いもしませんでした」


「私もです」


「勝ちますよ、必ず。おれ達は勝ちます」


 耳元で低く話しながら、高延はゆっくりとした手つきで常磐の髪の毛を梳く。


「だからなにも心配しないで。おれを信じていてください。あなたは暁津島王として、ゆったりと構えていればいいんですよ」


 まるで子守唄のように高延が何度も繰り返す。聞いているうちに常磐の不安は消えていく。


 明日、高延は勝てる、そう信じられる。


 高延の心地よい体温とやさしい声が眠りへと引き込んでいく。


 いつの間にか、常磐は穏やかな眠りについていた。



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