救国の王妃
目を覚ました時、高延は防具をつけ直し、戦いの準備を終えたところだった。あたりはまだ暗い。
常磐が起きたことに気づいたようで、声をかけられる。
「すみません。うるさかったですか」
「いえ。まだ暗いのにもう準備ですか?」
「ええ。しかし、じき夜明けです。日の出とともに行動を開始します。目が覚めたならあなたも支度を。一緒に広間に行きましょう」
いよいよなのか、と思うと、緊張してきた。
支度といっても武装している高延と違って、常磐にはたいしてすることはない。髪を結び直して、服を整える。
「高延王、皆の用意が整いました」
谷尾が呼びに来て、常磐も一緒に広間へ行った。
広間ではすでに支度を終えた三国の武官達が座についていた。
作戦は昨日決まっているようで、軍議は最終確認のみ、まだ暗いうちにみんなは出ていった。
「あなたも、日がのぼったらここを出てください」
高延に念を押される。その様子を見ていた門脇もそばに寄ってきた。
「常磐様、気をつけてお戻りください」
門脇は暁津島の国軍を率いて山城の外へと出る。
「門脇殿こそ、どうぞ気をつけて。皆の武運を祈ります」
「ありがとうございます。常磐様のためにも初勝利を持って帰ります」
不思議と門脇は楽しそうだ。
みんながそれぞれの持ち場へと出ていき、主郭の広間は急に閑散とする。数人の兵士を残すのみだ。
「外に出ませんか?」
誘われて外へ行くと、空はまだ暗いものの、黒から群青へと変わりつつある。物見台から海を眺めると、仄暗い闇のなか海岸あたりに幾多の光が見える。
「向こうも準備の真っ最中のようだ」
高延の口調は軽い。
「高延様、私達が結婚したら、これからどうなりますか?」
不安を追い払いたくて、常磐は聞いた。明るい未来に思いを馳せたかった。
「あなたが私の妻になってくれるのなら、まずは暁津島に行って、父君にあいさつをせねばなりませんね。婚姻のお許しをいただかなければ」
そこで高延は常磐を見て、いたずらっぽく聞いてくる。
「許さないと言われたら、どうしましょうか」
「父が許さないと言っても、高延様を諦めるつもりはありません。それに高延様との婚姻が国を利すると思っているので、説得するつもりです」
「ふむ」
ややつまらなそうに高延が相槌を打ったので、常磐は言い添えた。
「私は高延様以外の方を夫にするつもりはありません。高延様が好きなので……」
最後のほうは蚊の鳴くような声になってしまった。こんなこと面と向かって言うのは恥ずかしかった。
「私もです、常磐。あなたを諦めるつもりはない」
高延が手をつないできた。
「私は暁津島の者達に、内政干渉の意志はないと理解してもらえるよう、努めねばなりませんね。あなたと私の婚姻で、暁津島の者が一番気にするのはそこでしょう。私はあなたの後ろ盾になりたいとは思いますが、政に意見する気はありません。あなたは暁津島王、私は八雲王だ」
暁津島王か、と常磐は改めてその役割の重さを感じる。自分に務まるのだろうかという不安も。
父から王の権限を譲り受けたとはいえ、まだ正式に王になったわけではない。
高延を伴侶にするといえば、常磐を引きずり降ろそうという動きが出てくるかもしれない。
「うまくいくでしょうか」
つい呟いてしまって、「ごめんなさい」と謝る。
「うまくいくように努めるしか、ありませんよね」
となりに目をやると、高延が微笑んでいる。
「そうですね、二人で乗り越えるしかない。ただ、協力者もいますよ」
「え、誰のことですか?」
「黒瀬王です」
意外な人物の名を言われて戸惑う。
「今回のことで黒瀬王はあなたにいたく感服したようですよ。これから私達は三国同盟を組むことになると思いますが、同盟は信頼関係が重要だ。常磐姫あってこその暁津島だと後押ししてくださるでしょう。私達の関係にとっても、間に黒瀬王が入ってくれることは均衡を保つのによいのではと思っています」
「それはありがたいことです。そんなふうに私を見てくださるなんて」
黒瀬王が常磐を認めてくれているとは知らなかった。この戦のごたごたに紛れて、まだゆっくりと言葉をかわしていなかった。
「すみません、私があなたを独占していたから。黒瀬王はあなたとゆっくり話したいようでしたよ」
高延がきまり悪そうに告白して、つい笑いを誘われる。
常磐が王になること、その常磐が高延を夫にすること、それによって国元で起こるだろういざこざを思うと、先行きを困難に感じていた。
でも王になるからには、足元のことばかり心配するのではなく、もっと遠くを見なければいけないのだ。私利私欲しか頭にない者達と同じ土俵で争うべきではない。
「この戦いが終われば、私達だけでなく国同士も新しい関係になります。これを期に関係を深めたいものです。協力し合えば、もっとよい国づくりができます」
なにごとにも前向きな高延と話していると希望が溢れてきた。きっと今日はうまくいくと思える。
「高延様は八雲王、私は暁津島王」
常磐は高延の言葉を繰り返した。
「そして、私が八雲王妃で、高延様が暁津島王配」
「そういうことですね」
もう空が白み始めていた。あたりは刻一刻と明るくなっていく。
「さて。そろそろ、向こうの城に下がってください」
高延がそう言った時だ。
「高延王、常磐様」
谷尾がとなりにきた。呼びかけてくる声がかすかに震えていた。
「ムクリ達の船が、離れていきます」
その報告に驚いて、常磐は海に目を凝らす。
ムクリの船が幾艘も海を埋め尽くさんばかりに停まっている。だが暗い海のなか、離れていく船影は見えない。
谷尾は目を細めて遠くを見ている。
「間違いありません。撤退です。ムクリが撤退しています」
谷尾の声は興奮で震えていた。
目を凝らしながら、息を飲んで海を見つめる。次第にあたりが明るくなる。
そして常磐の目にも、離岸していく船の姿が見えた。
二艘、三艘の列になって、ムクリ達が国へと帰っていく。夜明けにこちらからの攻撃がくると思って、朝一番に撤退を始めたのだ。
静かな感動が胸に染みこんでくる。
勝利した。
私達は勝ったのだ。
感動とともに、これで戦わなくてすむ、誰も犠牲にならなくてすむという安堵が広がる。
「高延様」
振り返ると、高延もこちらを見た。穏やかな笑顔だ。
その頬が見る間に明るく輝いて、朝日があたりを照らしていることを知る。
朝の光、新しい夜明けだ。
「戦は終わりだ。谷尾、皆に知らせを出してくれ」
「はい」とうれしそうにうなずいて、谷尾は数人の兵士を連れて、作戦終了の狼煙を上げに出ていく。
「ありがとう、常磐」
高延が常磐に向き直って、両手を握ってきた。
「戦わずして勝てた、これはあなたのお陰だ」
「そんな、私のお陰だなんて」
「いえ、あなたが連れてきてくれた援軍と、昨日の計略のお陰です。さすがは兵装の姫君だ」
真面目な顔で言うので、常磐は居心地悪くなってしまう。
「違いますよ。高延様のお陰だし、黒瀬王のお陰だし、なにより、戦ってくれた兵士や領民、一人ひとりのお陰です」
それに、とそこで言葉を切った。高延を見つめる。
「私はもう兵装の姫ではありません。王妃と言ってくださらなくては」
高延が面食らったように目を開いて、それからいつものように、はは、と笑った。
「あなたの言うとおりだ」
急に高延に抱き上げられた。腰から高く抱き上げられて、視界が広がる。
あたりにはムクリの撤退を知った兵士達の歓声が響き始めている。
「常磐」
抱え上げたまま、下から高延が見上げてくる。穏やかなやさしい笑顔だ。その目には常磐への愛と敬意が映っている。
「あなたは、救国の王妃だ」
(了)




