愛のため ④
近くにいた部下に芳原が命じる。芳原の側近は相手が王女であっても躊躇しない。
まずい、と思ったが、抵抗する間もなく腕を拘束された。まわりにいる民兵達はどうしたらいいかとためらい顔だ。
「みなさん、だめです。八雲はすでに戦っているんです!」
常磐は声を限りに叫んだ。
「私はみなさんに、高延王とともに西の海を見てくると言いました。その言葉どおり、一緒に見てきました。今、八雲はすでに戦っています。黒瀬もそうです。私が戻ってきたのは、みなさんの力を借りるためです。相手は黒瀬と八雲を上回るほどの大軍勢です。みなさんの力が必要なのです。一緒に戦ってください」
かすかな間が空いた。常磐には長い長い時間に感じられる沈黙だ。
「そうだ! 常磐様の言うとおりだ」
誰かが声を上げた。誰が言ったのかはわからなかったが、この最初の一声が呼び水になった。
一人が声をあげると、その声は次々に広がっていった。
みんなが口々に「黒瀬を助けよう」「おれ達も戦おう」と叫ぶ。その声は瞬く間に全体に広がっていく。
これは天からの声だろうかと思うほど、みんなの声が神々しく感じられる。
恐れをなしたのか、芳原の側近が常磐から手を離す。自由になった常磐は思わずその場にへたり込んだ。安心したら力が入らなくなった。
だめだ、まだ終わってない、と自分を励ますが、力が抜けて立てない。
そこに小柄な兵士が走り寄ってきた。へたり込んでいる常磐に抱きついてくる。
突然の出来事に常磐は反応できない。
「え、なに? 誰?」
でもこの感触に覚えがある。
「姉様」
小柄な兵士が顔を上げた。それは、咲耶だ。
「咲耶! どうして?」
「ごめんなさい、姉様。姉様が無事でよかった」
咲耶は目に涙をためている。
「私、お父様に言われてきたの。これを姉様に渡してくれって」
見せてきたのは父王から預かったという書状だった。
「どうして父上がこれを?」
「伯父様が国軍を連れて行ったのを知ったお父様が、こっそり追いかけていけと。姉様に会えたらこの書状を渡せと言われたの」
やはり芳原は王の許可なく国軍を動かしてきたようだ。
「一人でここまで来たの?」
そんなわけはないだろうと思いつつ、つい心配になって聞いてしまう。一時は咲耶に怒っていたのに、それはもう忘れてしまった。
「広沢と」
咲耶と恋仲の衛士だ。顔を上げてあたりを見ると、咲耶が走り出てきた方向に広沢の姿がある。
「よく二人だけで来たわね」
一人では馬に乗れない咲耶だ、広沢が乗せてきたのだろう。咲耶にとってはきつい旅だったはずだ。
「……のために」
小さく咲耶がなにか言った。
「ん? 聞こえない」
耳を寄せると咲耶は、「愛のために」と言った。
「愛?」
「お父様が、これを姉様に渡してきたら、私と広沢の仲を認めてくださると言うから」
あは、とつい声を出して笑ってしまった。
愛、愛ね、と心のなかで繰り返す。
自分が陥れた姉を前に愛を口にできるのかと驚く。清々しいほどに自分本位だ。
愛のために姉を敵地に置いていき、愛のために気まずいはずの姉のところに臆面もなく戻ってくる。
だけどそれが咲耶らしい。もはや怒る気にもなれない。
そして常磐は、屈託なく愛を口に出せる咲耶が羨ましくも感じる。
この国境まで常磐が必死に戻ってきた一番の理由は、やっぱり高延だ。高延を死なせたくない。
もちろん八雲や黒瀬のこと、暁津島のこと、戦っている一人ひとりの兵士のこと、すべてが大切で忘れたことはない。でも咲耶のように、ただ高延のためにと、一言で言い切ってしまえたらどんなに物事はすっきりするだろう。
「姉様が心配だったのもあるわ。ごめんなさい。私の役目を無理やり押し付けて。怒っている?」
「怒っていたけど、いいわ。もう気にしていない」
お陰で私は大切なものをいくつも手に入れた、と常磐は思う。
「それで、これはなんなのかしら」
父王が咲耶に褒美をちらつかせてまで常磐に届けさせた書状だ、なにが書いてあるのだろう。
そこに。
「常磐様!」
門脇の声。咲耶が「やば」と呟いて常磐から離れた。
「大丈夫ですか、常磐様」
大丈夫です、といいながら顔を上げると、門脇のとなりにはなんと谷尾もいる。橋を渡ってきたのだ。そして気づく。
「さっきの第一声、谷尾さんですか?」
谷尾が常磐を助け起こそうと手を差し出してくる。
「そうです。私です。暁津島の兵のなかだ、ひやひやしましたよ」
そうか、そうだったのかと納得して、常磐の口元には自然と笑みが浮かんでしまう。心からの安堵が広がる。
「あ、先にこれを」
谷尾の手をとる前に、くしゃくしゃにならないようにと書状を門脇へ渡した。
「これは王からの書状ですか」
門脇はすぐに気づく。
「見てよろしいですか?」
「ええ、読んでみてください」
谷尾に助けられながら常磐は立ち上がった。
「なんと書いてあるのですか?」
振り返ると、強張った顔の門脇が突然、常磐に跪いてきた。
「どうしたのですか」
常磐はびっくりする。門脇が跪いたまま顔を上げた。
「常磐様を次の王に、と」
その声は低く抑えていたのに、なぜかよく響いた。
周囲にいた兵士達が静まり返り、それから「常磐様が王に!」という囁きがさざ波のように広がった。
少し離れたところで呆然としていた芳原が近づいてきて、書状を門脇から引ったくった。
「暁津島は古来より長子継承を旨とする。よって次期王は第一子、常磐とする。すでに常磐は王の務めを担いつつある。今、この時より、全権を委譲する……」
呆然と読み上げたあと、芳原は力なく膝から崩折れた。
それは常磐に忠誠を示すためではなかったが、芳原が膝を折ったのを期に、常磐を中心にして兵達が順に跪いて頭を垂れる。あたりの異様な雰囲気にのまれ、咲耶すらも膝をついたほどだ。
常磐もまた茫然とその光景を見つめていた。
なんだか現実の光景に思えない。この川岸を埋め尽くす兵士のことごとくが常磐に膝をつき頭を垂れている。
「常磐様、皆になにかお言葉を」
頭を下げたままの谷尾が囁いてきて、常磐ははっと我に返る。
「父より王の全権を委譲していただきました」
話し始めると、自分が震えているのに気がついた。
自分が譲り受けた権力の絶大さと、その責任の重さに震える。常磐はこぶしを強く握り込んで震えを止めた。
「私は今この時より、暁津島王として、この暁津島のために生涯を捧げると約束します。そしてみなさん、私の王としての最初のお願いです。私とともに西の海に赴き、ムクリと戦ってください。黒瀬とともに、八雲とともに、戦いましょう」
言い終えて、ここで反応が来ると思ったのに、あたりは静まり返ったままだ。
あれ?と焦る。
「常磐様、立ってもよろしいですか?」
と門脇の助け舟。
「どうぞみなさん、立ってください」
そう呼びかける。
門脇と谷尾が立ち上がり、つられて皆が立ち上がると、そこからは「暁津島王、万歳」の大合唱になった。
「西の海への援軍を出すなら、その軍の将は私にお命じください」
門脇が申し出て、もちろん常磐に異論があるはずもない。西の海の援軍の編成について、門脇がとり仕切り始める。
横からの視線を感じてとなりを見ると、心底ほっとした様子の谷尾がいた。
「本当にありがとうございます、常磐様。これならきっと間に合います。八雲も黒瀬も救われます」
常磐もうなずいた。
「そうですね、きっと、間に合いますよね」
本当はまだなにも終わっていない。戦いはこれからだ。それでも、今日できることはやりきった。やりきったのだ。
夕日が空を赤く染め始めていた。
あの夕日の方向に、高延がいる。援軍を連れて戻る。だから、どうかそれまで頑張ってほしい。
高延を死なせない。絶対に間に合わせる。高延も国も守ってみせる。




