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加勢 ①

 真っ暗なはずの海を埋め尽くす、赤い光。


 ムクリ達の船の一艘、一艘に篝火が焚かれている。その数のおびただしいこと。ここに着いたばかりの時に見た船の数より、明らかに増えている。


「最初の侵攻の後、大きな戦いを仕掛けてきませんでしたが、増援を待っていたんですね」


 望月が誰にともなく言った。


「彼らはなにをしているのですか?」


 こちらを威嚇するような掛け声とともに、息を合わせて船になにかを打ち付ける硬質な音が響いてくる。


 普通なら夜の間は鳴りをひそめ、朝になってからあの大船団で総攻撃を仕掛けてくるものだと思うのに、自ら存在を知らしめている。


「私達に恐怖を植え付けて、戦意を削ごうとしているのでしょう。あれだけの大船団だ。息をひそめて奇襲をかけるより、恫喝で戦意を削ぐほうが戦いを有利に運べるという算段なのでしょう。こんなにすごい光と音だ。いやでも彼らを意識させられます」


 望月が答えてくれる。


 確かにその効果は抜群だ。常磐は海を埋め尽くす赤い光を前にして、身が竦む。黒瀬と八雲を呑み込んであまりあるあの大軍を相手に、これからどんな戦いが始まるのだろうか。


「ぼんやりしている暇はない。夜のうちにできることをしよう」


 常磐には後悔をにじませた高延だったが、すでに切り替えているようだ。皆を励ますように声を張った。


「望月、黒瀬の陣に行って、海沿いの村の者はこちらで引き受けると言ってきてくれ。あの辺りはすべて戦場になる。ただし、ここの門をくぐらせる時は一人ひとり、黒瀬の人間か確認しろ。混乱に乗じてムクリが紛れているかもしれない。言葉ですぐにわかる」


 高延の指示を聞きながら、常磐は考えていた。


 この暗闇のなか、やってきた援軍の存在をわざわざ明らかにして力の差を見せつけようとしてくるムクリ、その狙いはたんにこちらの戦意を削ぐことだけだろうか。


 恐怖心を植え付けて、深く人の心に入り込んだ次にすること、それは内部からの切り崩しではないだろうか。


 暁津島で常磐は散々見てきた。父王が体調を崩し寝込みがちになってから、王妃の一族、芳原の存在感が増して、忠臣達は一人、また一人と取り込まれていった。芳原は自分達の存在の大きさを誇示しながらの恫喝と調略に長けていた。


「高延様。この陽動は、黒瀬を切り崩そうとしているのではないですか?」


「内応を促すというのですか?」


「そうです。少なくとも、降伏を促すくらいはするかと。戦わずして勝つことが一番よいことです」


「それは考えられますね」


「黒瀬は大丈夫でしょうか? 弱った心に甘言が入り込むことは、誰にでもあります」


「……そうですね」


「高延様、私を黒瀬の王に会わせてください。暁津島に戻る前に、お会いしたいです」


 高延は厳しい顔をする。


「黒瀬まで下りるのは危険すぎる」


「でも直接お目にかかりたいのです。黒瀬王にお会いして、暁津島の援軍をお約束します」


「常磐様、勝手にそのような約束は」


 門脇が止めに入る。


「でも門脇殿、あのムクリの大軍を見て、援軍を送らないという選択肢はありません。あれは対岸の火事ではない、私達にも降りかかる火の粉です」


 火の粉どころではない、今、鎮火のために乗り出さなければ暁津島も飲み込んでいく業火だ。


「お言葉はありがたいが、あなたを黒瀬には連れていけない。それに、あなたは兵装の姫君として八雲では名が通っていても、黒瀬ではただの一王女だ」


 みなまで言わなかったが、常磐が援軍を約束しても仕方ないと高延は言いたいのだろう。常磐では信頼してもらえない、と。


 胸が塞がれるような苦しさを感じた。さらに高延は追い打ちをかけた。


「常磐姫、あなたは門脇殿とともに暁津島にお帰りください。谷尾が送ります」


「谷尾さんが? 高延様は」


「私は行けません。ここに残らなければ」


 その返答は当たり前のはずなのに、どうしてか、常磐は高延が一緒に来てくれると思い込んでいた。


 あの海を埋め尽くすムクリ達を相手に高延が戦う、そう思うと胸が潰れそうだ。


「望月、先に黒瀬に行ってくれ。常磐姫が言うように、降伏や内応の誘いがないか気に留めてくれ。私は常磐姫を送ってから行く」


 高延はそう指示する。


 は、と返事をした望月は一礼して行きかけるが、気を変えたらしく常磐の前で足を止めた。


「常磐様、先ほどのお言葉に甘えてよいでしょうか。式部に、私は元気だと伝えてください」


「は、はい」


 突然のことに戸惑った。


「他には」


「いえ、それだけです。常磐様、どうか帰路、お気を付けて」


 一礼すると望月はすぐに行ってしまう。


「あの」


 なにか言わなければと思った。


「望月殿も、ご武運を」


 月並みな言葉しか出てこない。


 去っていくその背を見送りながら、望月が式部への伝言を頼んだのは、常磐への気遣いなのかもしれないと感じた。なにか頼むことで、ここを去る罪の意識が減るようにと。


 そうだとしたら、情けない。これから戦いに挑もうとしている人に気遣われるとは。


「では常磐姫、行きましょう。馬場まで送ります」


 高延が促してくる。


 歩いていく間にも高延は谷尾にあれこれ指示している。その後ろ姿を見ながら、自分の甘さを痛感してしまう。


 こんな状況にもかかわらず、常磐は高延が一緒に暁津島との国境に戻ってくれると思っていた。常磐ののんきさを見透かして、高延はこの非常時に黒瀬王と会わせられないと思ったのだろうか。


 常磐は後ろを歩く門脇に歩調を合わせた。


「門脇殿」


「わかっています、常磐様。私達にできることは、一刻も早く暁津島に戻り援軍を連れてくることです」


 先ほどは援軍の約束をすることを止められたが、門脇も同じ気持ちでいてくれるのだ。


「よかった。援軍を送るのに反対なのかと」


「そんなことはありません。この戦は明日の暁津島かもしれない」


 門脇は声をひそめた。


「黒瀬と八雲が潰されれば、次は暁津島の番だ。あの大軍を前に、暁津島単独で立ち向かうのは厳しい。それならば今、両国とともに立ち上がらなくては」


 門脇の思いは、常磐のように純粋に黒瀬と八雲を心配する気持ちではないのだろうが、ともかく目指すものが同じで安心する。


「そうですよね。よかった、門脇殿が同じ思いでいてくれるなら、心強いです」


 馬場ではすでに鞍をつけられた馬が待っていた。


「常磐姫はこの馬に」


 高延が馬番にかわり馬の手綱を押さえてくれる。乗り込む前に、高延と向かい合った。


「高延様、私は必ず」


 必ず援軍を連れて戻って来る、と言うつもりだった。だから信じて待っていてほしい、と。


 でも高延は言わせなかった。


「常磐。言わなくていい。なにも約束しないでいい。おれはあなたが無事に暁津島に着いてくれればそれで満足だ」


 まただ。なぜまたそんなことを言うのだろうか。


「どうしてですか? 私を、暁津島の援軍を待つとは、言ってくれないのですか?」


 兵装して自軍を鼓舞する常磐だからこそ、高延は信頼に足ると認めてくれたのではないのだろうか。


 高延は常磐の力を認めてくれたのだと思っていた。それならば、兵装の姫として兵を率いてきてくれるのを待っていると言ってほしかった。


 高延が困ったように笑う。


「ここにない戦力をあてにして戦うことはできない」


 やさしい声音だったが、高延の厳しい決意が伝わってきた。


「誰かの助力を期待して戦うことは危険だ。それは士気を下げ、死力を尽くす覚悟を萎えさせる。私達は暁津島が動くことを期待しない」


 静かな瞳で高延は見つめてくる。それはすでに覚悟を決めた人の目で、常磐は怖くなる。


 高延の言わんとすることは理解できる。目の前の明らかな危機に対して、約束は役に立たない。そして約束は儚いものだ。高延はそれをわかっている。


 だけど高延の厳しさが悲しかった。自分が役立たずだと感じる。


 高延は困ったような笑顔のまま、常磐を引き寄せ小声で囁く。


「それに、もし暁津島が軍を出してくれるとしても、あなたはここに戻って来てはいけない。兵装の姫君としてのあなたの勇気は買います。でもおれは、あなたに、戦場に立ってほしくはない」


「どうして」


「あなたが好きだ。だから、あなたには安全な場所にいてほしい」


 真っ直ぐな高延の視線が体の奥まで貫くようだ。


「…………」


 言いたいことはたくさんあるのに、言葉にならない。


 常磐だって高延に言いたい。


 そばにいてほしい。


 どうか、死なないでほしい。


 高延に抱きついてそう言いたかった。もちろん、そんな泣き言は言えるはずもない。


「私は、私のできることをします」


 せめて自分の思いを伝えたくて、常磐は言った。


「どうか、ご武運を」


 それ以外に言葉がない。あと必要なのは、行動だけだ。


「ありがとう。あなたも気をつけて」


 あくまでも穏やかな高延は、心の揺れを見せない。


 手を借りて馬に乗る。


 高延がずっと見つめてくるのがわかったが、常磐は胸が苦しすぎて見つめ返すことができない。見つめ返せば耐えきれなくなって、その胸に縋りついて「一緒に来てほしい」と言ってしまいそうだ。


「行ってくれ、谷尾」


 高延の合図で谷尾が馬を進める。常磐の乗る馬もつられて動き出す。


 高延の姿が後ろへと、一歩、二歩、と遠ざかる。


 その時になって、常磐の胸に強烈な後悔が襲ってきた。


「高延様」


 振り返ってもう一度高延を見ようとしたが、あたりは松明の明かりだけで暗い。数歩離れただけでもう高延の姿は闇のなか、はっきりと見えなかった。


 どうしてしっかりと高延を見つめ返して、その姿を目に焼き付けておかなかったのだろう。


 今ならまだ間に合う。


 もう一度高延の姿を見たい。


 その首筋に抱きつきたい。


 高延の体温をこの体に刻み込みたい。


「常磐様、危ない。しっかり馬を操って!」


 門脇の声にはっとする。


 常磐は視線を前に戻して、手綱を握り直した。


 一体なにを考えていたのだろう、と自分自身に愕然とする。今生の別れかのように振る舞うのは不吉だ。高延の姿を目に焼き付けてどうしようというのだ。それが高延の最後の姿だとでも?


 馬鹿なことを考えるな、と自分を叱咤する。今生の別れになどならない。させない。そのために、常磐は行くのだ。


 だけど勝手に溢れてくる涙は止めようもなかった。手綱を握る手にこぼれ落ちる。


 高延と離れることが苦しい。そばにいてほしかった。そう思ってしまう自分の弱さがいやになる。


 常磐は歯を食いしばって、嗚咽が漏れるのだけはこらえた。


 涙は止まらないけれど、それでも顔を上げて前を見る。


 高延のために、暁津島に帰らなければならない。それが常磐にできる唯一のことだ。


 そしてそれは高延のためだけじゃない、八雲のため、黒瀬のため、ひいては、暁津島のためだ。



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