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兵装の姫君、救国の王妃になる  作者: 松花春芳
すでに始まっている
32/45

すでに始まっている ③

 前線から帰ってきたという望月は、この一月を海風に吹かれたせいか、焼けた肌をした体格のいい男だった。歳は三十くらいだろうか。


 高延が常磐と門脇を望月に紹介すると、「遠路、ありがとうございます」と頭を下げた。


 乳兄弟である谷尾と同様、高延が特に信頼を置く部下とのことで、てきぱきと戦況について報告をしてくれる。


 戦況の報告はそんなに長くかからずに終わった。早く終わったというよりも、常磐が聞いていても役には立たないため、気を利かした門脇が細かいところは「あとで」としたからだ。


 黒瀬や八雲の戦力を黒瀬の地形に沿ってどう展開しているか、常磐が聞いたところで仕方ない。武官は武官同士でということだ。


 食事をとろうということになって、用意がととのうまでしばらく雑談をした。


「常磐姫、式部から聞いているかな。望月は式部の夫なんですよ」


 高延が教えてくれた。


 望月には、「今、式部に常磐姫の世話をしてもらっているんだ」と話す。


「そうでしたか。それは、妻がお世話になっております」


「いえ、世話してもらっているのはこちらのほうで。それにしても、式部はなにも教えてくれませんでした」


 言いながら、出発の時の様子が思い出された。


 あの時、式部は珍しく自分から常磐が西の海に行くことに触れた。西の海までは遠いのかと聞いたら、妙に遠い目をしてみせた。きっと望月に思いを馳せたのだろう。


 式部は夫が無事かどうか心配だろうに、常磐になにも言わなかった。


「なにか式部に伝言があれば伝えますよ」


「そんな、暁津島の王女様に伝言を頼むなど、畏れ多いことです」


 望月は丁重に断ってくる。


「ご遠慮なさらず。ああ、でも、谷尾さんは式部の弟でしたね」


 わざわざ常磐に頼むまでもないのだと気が付く。


「常磐姫は心の広い人だから、頼むといいよ」


 横で高延が笑っている。


「高延王もお人が悪い」


 どういうやり取りだろうかと見ていると、望月はばつが悪そうに言い訳した。


「私は義弟に嫌われているのです」


「あ。ああ、そういうことですか」


 つい納得して笑ってしまった。


 いつも感情を表さず冷静な感じの谷尾は、望月のようにいかにも男らしくはきはきとした人が苦手そうだと思った。


 それに自分こそが高延の一番の腹心だと思っているらしい谷尾には、高延が望月に寄せる信頼も悔しいのかもしれない。


 望月には高延が寄せる特別な信頼があるように感じる。それは多分、常磐が式部に感じるのと同じ、年長者に対する安心感だ。


 ムクリの脅威を見にきたというのに、城のなかに張りつめた空気はなく、穏やかな夕べだった。


 食事のあと、門脇は望月にもっと詳しい話を聞くと言ってその場に残った。高延も一緒に話を聞くという。


 常磐は一足先に部屋へ戻って休むことにする。


「部屋まで送りしましょう」


 そう言って高延は常磐についてきてくれる。


 廊下に出ると、日が落ちたあとのたそがれ時だった。西の空は赤いが、海は暗く沈んでいた。


 奥の館に入って、部屋の前まで来た。


「明日はまた同じ道を戻ることになります。ゆっくり休んでください」


「はい。おやすみなさい」


 戸を入ったところで振り返ると、ふいに一歩踏み込んできた高延に抱きすくめられた。痛いくらいに強い力だった。


「すみません。少しだけ」


 耳元で聞こえる高延のくぐもった声に、胸がきゅっとする。


 自分も抱きしめ返したくなるが、常磐は抑えていた。かわりに、高延の匂いを胸いっぱいに吸い込む。


 暁津島に帰ったら父王を説得して同盟を成し、そして高延の妻になるつもりだ。それまでは、抱きしめ返すのは我慢する。


 しばらくして高延は常磐を離した。


「勝手なことをして、すみません。どうしても、あなたに触れたくて。……よい夢を」


 薄暗くて高延の表情がはっきりとは見えなかった。多分いつもの穏やかな顔だろう。


「おやすみなさい」


 常磐は後ろ髪引かれる思いで部屋に入った。


 用意された寝台に横になる。高延がそばにいないことが寂しかったが、幸いなことに今夜は疲れていて、常磐はすぐに眠りに引き込まれていった。



   *



「常磐!」


 突然強く揺さぶられて、眠りは破られた。


「高延様?」


 目の前に厳しい表情の高延がいた。まだあたりは暗い。眠ってからいくらも経っていない気がするが、時間の感覚がはっきりしない。


「支度して」


 鋭く高延が指示してくる。


「どうしたのですか?」


「今すぐ、暁津島に帰るんだ」


「今? すぐ?」


 こんな夜になにを言うのだろうかと思うが、冗談ではないようだ。


「ここはもうすぐ戦場になる」


「攻撃が始まるのですか?」


「すでに始まっています。あなたをここに連れてくるのではなかった。おれは見誤りました。支度をしてください」


 促されて常磐は髪を結んだ。足元を整えようとするが、高延の持つ明かりだけでは薄暗く、それに我知らず手が震えて紐がうまく結べない。


「これ、持って」


 高延は明かりを手渡してきた。跪いて常磐の足元を整えてくれる。


「この音はなんですか?」


 さっきから人々の歓声のようなざわめきと、なにかを打ち鳴らす音が響いている。それは遠くから風にのって流れてくるようだ。


「その目で見たほうが早い。さあ、整えましたよ、立って」


 常磐は明かりを高延に返すと、寝台の下に置いた刀を手にとり立ち上がる。


「こっちへ」


 高延が常磐を連れて行ったのは海を見晴らす物見台だ。すでに幾人かの影がある。門脇と谷尾と望月のようだ。


 声と音は海から聞こえている。


 常磐が近づいていくと気付いた谷尾が場所をあける。


 そして常磐は、真っ暗なはずの海に絶望的な光景を見た。



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