満ちる ②
「向こうの城に、いつもより兵が多い」
となりで同じように暁津島の城を見ていた谷尾が呟く。
「兵が多い? そうですか? よく見えますね」
自分の国の城だが普段どの程度人がいる城か知らない常磐には、人の変化はわからなかった。そもそも遠すぎて、城のなかの兵の様子など見えない。
谷尾の顔が険しいことに気がついた。
「兵が多いって、どういう意味ですか? 暁津島がなにかすると思うのですか?」
向こうには門脇がいる。まさかと思うが、常磐を奪い返そうとなにか準備しているということだろうか?
「なにかことを起こすわけではないと思います。そんなことをすれば常磐様にも被害が及ぶことくらい、向こうもわかっているでしょう。ただ高延王には報告しておかないといけませんね」
「ずいぶんとあけすけに私に話すのですね」
「いざとなれば常磐様が彼らを止めてくださればいい。あなたが高延王の手をとればことは収まる」
出過ぎたことを言うと思いつつも、谷尾の言うことはもっともだ、とも思った。高延の話を聞いた後ではなおさら、暁津島と八雲で争っている場合ではないと思うからだ。
「そうですね」
素直に肯定すると、谷尾が驚いたように振り返ってきた。
「では」
この会話の流れの意味することに気が付いて、常磐は慌てて否定した。
「違います。そういう意味ではなくて。こんなところで戦を始められても、私も困るというだけです」
急に常磐は今夜のことが不安になってきた。
さっきは高延を拒否できずに、ついあいまいな返事をしてしまった。でもあれでは常磐が高延を夫として受け入れたと解釈したかもしれない。そうだとしたら、それはまずい。
なぜきっぱりと拒まなかったのだろう。一昨日の夜、あんなにも高延を許さないと思ったのに。
だけど知らなかったことを知り、見えなかったものが見えてくると、気持ちは変わっていく。
海の向こうからやってくる異民族の侵攻、すでに戦っている黒瀬、そしてそれを助けるために八雲も動く。そのために高延は暁津島と和平を成し、さらに同盟も結びたいという。
異民族の脅威が迫るなか、八雲との和平と同盟は当然だと思う。
だが、父の意見を確かめないわけにはいかない。
「常磐様、もういいでしょう? おりましょう」
呼びかけられて我に返る。さっきまで青空だったはずの空は夕方の色に染まっている。
「ごめんなさい、ぼんやりしていました」
櫓の上に一時間はいたのだろうか。
「考えごとに夢中でしたね」
「そうですね、ここは考えごとに向いています」
谷尾は肩をすくめる。
「見張りのための場所なんですがね」
「谷尾さんは高延王に仕えて長いのですか?」
物見櫓をおりて、部屋へ向かって歩いていきながら切り口を変えて聞いてみた。
「長いですよ。二つの時からです」
「二つの時ですか?」
驚いて聞き返した。
心なしか、谷尾は胸を張る。自分こそが高延の一番の腹心であると自負があるようだ。
「乳兄弟というやつですよ」
「ああ、なるほど」
高延と谷尾は、物心つく前からずっと一緒なのだ。
「私についてくれている式部も長く高延王に仕えていると聞きましたが、それより長そうですね」
「同じ時ですね。式部と同じ時から仕えています」
「同じ?」
「わかりませんか? 式部は私の姉ですよ」
谷尾はにこりともせずに言う。
「あー、確かに、似ています」
この八雲の城に来てから、常磐は初めて声をあげて笑ってしまった。
一見とっつきにくそうで生真面目な感じの谷尾と、人当たりよくやわらかな雰囲気の式部が姉弟だとは。でも言われてみれば確かに二人は似ている。切れ長の目元などが特に。
話をしていると部屋の前まで来た。
「谷尾さん、今日はありがとうございました」
振り返って礼を言うも、谷尾は「高延様からの言いつけでしたので」と肩をすくめる。
半日一緒にいたというのに結局そっけないままだ。
部屋に入ると式部はあたたかく出迎えてくれる。姉弟だというのにずいぶんと違うものだ。
「お疲れでしょうから」と式部は早めに夕餉を出してくれる。今日は外に出てあちこちを歩いたので食事もおいしかった。
食事が終わった後に式部から湯浴みをすすめられた。ずっと外にいたなら体が冷えただろう、と言うのだ。
入浴できるのはうれしいが、一昨日に続いてまた湯を沸かしたのだろうかと常磐は意外に思う。こんな山城で湯を用意するのは大変な手間だ。
やっぱり高延との婚姻を了承したと思われているのだろうか、と不安になる。
「あの、私、高延様との婚姻を決めたわけでは」
しかし式部は常磐の心配を汲んでやさしく微笑んだ。
「ご安心ください。お客様としてのおもてなしですから」
それで常磐は、安心してありがたくお湯を頂戴することにする。今回は二度目なので勝手もわかっていて気楽に入れた。
湯殿を出ると外はもうすっかり夜の気配だ。
部屋の近くまで来た時だ。向こうの廊下からも誰かがやってきて、常磐の部屋の前で止まる。その人の持つ明かりと、それが照らす影が揺れている。
「高延様」
式部が先に声をかけた。振り返った高延は表情をゆるめた。
「ちょうど今、声をかけようとしていたところだ」
どうしたものかという顔で、式部が常磐を見る。
常磐はしばし迷う。まだ部屋の外だ、今なら帰ってほしいと言いやすい。でも高延と話したいこともある。
「式部。今日はもう下がってください。ご苦労さまでした」
式部は驚いた顔でなにか言いかけたが、すぐに深々と礼をした。
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
下がっていく式部を見届けてから、常磐は自分で戸を開いた。




