七日目 静止した迷路
昨日、和真くんの手で見事ロックが解除された郊外の地下扉。その先で私たちを阻んだのは、地下にまで侵食してきた「時間停止の壁」だった。
「ここから先は、私の領域ね」
一夜明け、装備を整えた私は、一人で郊外の洞窟へと向かった。
ハイテク扉を抜け、私は一人で「見えない壁」を通り抜けた。
身体が境界を跨いだ瞬間、空気が一変する。
「うわ……ずいぶん古ぼけてるわね……」
懐中電灯の白い光が照らし出したのは、ひび割れ、ところどころ鉄筋が剥き出しになった重々しいコンクリートの壁だった。
表面には長年の湿気で染み出したカルキの白い筋が残り、どこかカビ臭いような、セメント独特の饐えた匂いが充満している――ように感じるが、ここもまた時間が凍りついた世界だ。匂いすらも空気中に固着しているかのように動かない。
ハイテクで無機質だったあの金属扉の印象とは、まるでかけ離れている。
「ぼろほうきの趣味……ってわけでもなさそうだけど」
つぶやきながら足を一歩踏み出すと、床に落ちていたコンクリートの欠片が『カツン』と乾いた音を立てて転がった。私が触れたことで、その欠片の時間だけが束の間に動き出したのだ。静寂を切り裂くその音が、やけに鼓膜に響く。
気を取り直して一本道を少し進むと、すぐに最初の分かれ道にぶつかった。T字路だ。
「……右?」
右へ曲がり、少し進むと今度は視界を遮るようなカギ型の曲がり角が現れる。それを抜けると、またすぐにY字路。
移動のしやすさや効率なんて微塵も考慮されていない。まるで意地悪なパズルだ。
「何なのこの構造……。研究室へ繋ぐだけなら一直線で作ればいいじゃない。よっぽど入ってほしくないみたいね」
呆れながらも、私は腰のポーチから小さな手帳とボールペンを取り出した。
自分の歩幅でおおよその距離を測りつつ、「直進二十歩、右折、カギ型、Y字左」と幾重にも枝分かれする通路の形を手描きで正確に記録していく。
もし私でなければ、この静止空間の冷気と完璧な無音、そしてどこまでも続く古ぼけた迷宮に、あっという間に精神を削られていただろう。
だが、大学での研究とブラック企業で培ったタフさを舐めないでほしい。デスクワークで培った正確さと地道な作業は、私の得意分野なのだ。
さらに奥へと進む。
しかし、歩けば歩くほど通路は複雑さを増し、時には数分歩いた先が行き止まりになっていることすらあった。
ふと手帳に目を落とすと、自分がいま地下のどのあたりにいて、どちらの方角を向いているのかすら怪しくなってくる。
「……ハァ。広すぎるわね、ここ」
自分の腕時計の針は確実に三十分、一時間と刻んでいる。いつの間にか本来の時間はお昼を過ぎていた。
懐中電灯の明かりだけを頼りに、この不自然に入り組んだコンクリートの地下道をノープランで彷徨うのは、いくら私でも愚策だ。
「悔しいけど、今日のところはここまでね」
深追いは禁物。引き返す決断に躊躇はない。
私は描きかけの手製マップを見ながら引き返す。
何かしらのハプニングが起こることもなく、ただ一歩ずつ、静止した空間を踏み荒らしながら。
やがて「見えない壁」を通り抜け、地上へと脱出した。
私はそのまま本部へと戻り、本部職員の女性に引き継ぐ。
「これ、時田さんが見たら目のクマが濃くなりそうですね」
「そうね……とりあえず、引継ぎお願いします。私はもう一度黒野工大に行きますね」
「なにか気になることでも?」
「扉の位置と異変の中心が余りにもかけ離れてるのが、少し……いや、かなり疑問でして」
「なるほど……、解りました。お気をつけて」
私は、再び大学へと足を運んだ。
……結論から言って、無駄足だった。
大学内のどこを探しても、それらしい物は見当たらない。
「いや、冷静に考えたらあの二人、大学追い出されてるのに出入りできるわけないか」
恐らくだが、法木の家にあった物と同じ物――クロノタイトが取り付けられていた、あの機械――が、どこかにあると思うのだが……。
「やっぱり、あの迷路をクリアするしかないか」
私は、大学の2回目の調査を「何の成果も得られませんでした」と本部に報告し、家路についたのだった。




