六日目 休息と停滞
これから毎週水曜21時に投稿します
汚屋敷探索の翌日の朝、私たちは市の郊外にある隠れ家風のレストランへと足を運んでいた。
昨日の探索で心身ともにすり減っていた私にとって、この時間はまさに砂漠のオアシスだった。
「ふう……生き返る」
目の前に置かれた温かい食事とコーヒーの香りを吸い込みながら、私は思わず深い溜息を吐き出した。
向かいの席に座る和真くんも、どこかホッとした表情でカップを包み込んでいる。市長の息子という重い仮面を外し、今はただの疲労困憊した青年としての顔に戻っていた。
「まったくです……カップ麺とコンビニ弁当以外の食事とか、1月ぶりくらいですよ」
「それは、この仕事と関係ないよね?」
「あはは~~~、それにしてもお疲れ様です、九戸さん。……こうしてまともな椅子に座って、温かいものを口にするだけで、自分がまだ人間だったんだって実感しますね」
「ほんとそれ。あの汚部屋の臭いが、まだ鼻の奥に残ってる気がするもん」
私は苦笑しながら、カップを口に運んだ。
元・中堅食品メーカーのOL。理不尽な上司を相手に弁護士を立てて慰謝料をふんだくってやった私のタフさも、異様な日常の前では、さすがに削られつつあった。けれど、前にいるこの3歳年下の青年――徹夜明けでクマを作りながらも、私の調査についてきてくれる和真くんの存在が、不思議と心の支えになっていた。
「ねえ、和真くん」
「はい?」
「こういう状況になってなかったらさ、和真くんは今頃どんな人生を送るはずだったの? 市長の息子として、お堅いエリート街道まっしぐら、とか?」
「そんな大層なもんじゃないですよ。卒業後は、趣味の延長みたいなものも含めて、ひたすら電気や機械いじりをして暮らしてましたし。……なんというか、地味に引きこもるタイプの理系ですね」
「へえ、意外とインドア派なんだ」
「こう見えてずっと研究室と部屋の往復でしたから。……ま、そのおかげで、変なとこで役立つ資格とか持っちゃいましたけど」
からかうように笑うと、和真くんは少し照れくさそうに鼻を掻いた。
これがいけなかった、和真くんからの質問に私は思わず食事を吹き出しそうになった。
「ところで寿美香さん、彼氏とかいるんですか?」
「ぶふっっ!ーーーい、いきなり何を?!」
私の顔を見て少し意地悪な笑顔を浮かべ……
「いや、寿美香さんだったら、そりゃ居ますよね。すいません変なこと聞いて」
「……居ないわよ……」
「……え?」
「そりゃ、大学の時には居たわよ。けどほら、就職先がブラックだったでしょ。それが原因でね……」
思わず遠い目をする。いやぁ、テンプレの「私と仕事どっちが大事なの?」を私が聞く側になるとは……
和真くんも憐れむような眼でこっちを見てるし……
「あ~~~……なんかすいません」
「いいのよ、済んだことだし。ところでーー」
「僕はフリーですよ!彼女いない歴=年齢です!!」
食い気味に来たわね。しかもそんなこと堂々と言うかね?
「ずっと研究研究で、気がついたらこうなってました」
そう言いながら、デザートのケーキを口に運ぶ和真くん。
「そ、そう……お互い大変ね……」
そんな会話を交わしながら、食事を終え店を出た。
「それじゃあ僕は家に帰りますね」
「ええ、おやすみなさい。私は本部に行くわね」
任務を離れた束の間のインターバル。二人の間にあった「市長の息子と単なる雇われ調査団長」という垣根は、いつの間にか溶け落ち、確かな信頼関係へと変わり始めていた。
というか和真くん、いつの間にか私を名前で呼んでなかった?
まあ、うん、私に慣れて来たってことよね。
だが、休息の時間は長くは続かなかった。
拠点に戻った私を待っていたのは、冷徹な現実だった。外部の専門機関から入った連絡によれば、法木博士の残した資料の解析には、予想以上の時間がかかっているという。クロノタイトの性質や膨大なデータの精査も含め、結果が出るまで数日の足止めが確定していた。
私は今日の夜勤で出てくるであろう和真くんを待ち、話し合うことにした。
そして……
「数日足止めって……じっとなんてしてられませんね」
「そうね。解析の途中経過だけでも、動けるうちに動かないと」
焦る気持ちを抑えきれず、私たちはあの洞窟のハイテク扉へと向かった。
これまでの解析で、法木の助手・地ノ里のアパートに残されていたスマホが、あの扉の「鍵」であることだけは特定できている。
「スマホをカギにしていたとは……」
「にしても、地ノ里って人は迂闊ですね。今時ロックも掛けていないとは……」
「まぁ、その迂闊さのおかげで、手がかりが見つかったんだけどね」
顔認証や指紋認証……どころか数字パスワードすら掛けていないとか、控えめに言ってアホ過ぎるというか、なんというか……
しかし、冷たくそびえ立つ扉の前に立ち、スマホをかざしてみても――扉は何の反応も示さなかった。
「……あれ?」
何度か扉の受信部にスマホをかざすも、無機質な静寂が返ってくるだけだ。
私が苛立ちを隠せずに歯噛みする横で、和真くんが端末と扉の構造を細部まで観察し、やがて青ざめた顔で致命的な事実を突き止めた。
「寿美香さん……ダメです。これ、通信の問題じゃありません」
「どういうこと?」
「……電源が来ていません。この扉の制御システム、電力供給がすべて『停止空間の内側』から行われているんです」
外側からどれだけスマホをタッチしても、肝心の扉側のシステムがシャットダウンしていれば意味がない。それは完全な「物理的な詰み」だった。外の世界から電波は届いても、電力を通す回路は内部の停止世界に閉ざされている。
「なんてこと……! 鍵があっても、扉そのものが動かなかったら意味ないじゃない」
これじゃお手上げね、どうしよう?と考えていた時、和真くんの目が、理系としての鋭い光を帯びた。
「……待ってください。電気が来てないだけなら、話は単純です」
「は?」
「外部から、直接電力を入れればいいんですよ」
呆然とする私をよそに、和真くんは不敵に笑ってみせた。
「――配線工事は僕の得意分野です。電気工事士の資格も持ってますし」
「え?前の仕事って電気屋さんじゃないよね?」
「ああ、趣味ですよ趣味」
趣味で取る資格かしらね?でも……
その頼もしすぎる言葉に、私の胸の内で止まっていた歯車が、再び激しく音を立てて回り始めた。
「寿美香さん、本部に連絡入れました。防災倉庫から発電機を持ってきてもらいます」
「了解、いったん戻って出直しましょう」
力業での解決。それこそが、この停滞した状況をブチ破る唯一の手段だ。
私たちはすぐさま拠点へと引き返し、発電機を積んだトラックに乗り換え、洞窟へと戻った。
恋愛描写って難しいね。




