三日目 少しの驚きとさらなる異変
なんと、8年ぶりの再開。
ピロピロピロ・・・。
静まり返った部屋の中に、私が昨日アパートから回収してきた目覚まし時計のアラームが、場違いに元気な音を立てていた。
昨日、二日目の調査報告を済ませた際、時田進士市長から手渡された鍵と住所のメモ。そこに書かれていた新築のマンション、今日からの私の宿舎だ。支給された寝具でぐっすり眠り、自前の少しくたびれたリクルートスーツに袖を通したところで、ピンポ~ンとインターホンの音が響いた。
玄関を出ると、見覚えのある少し型落ちした公用車のセダンが停まっていた。
「おはようございます、九戸さん。迎えにきました」
ドアを開けるとそこには、時田和真が立っていた。だが、その顔はどことなく青白い。目の下には、絵に描いたような濃いクマが居座っていた。
「おはよう、和真くん。……って、何その顔。幽霊かと思った」
「あはは、分かります? 実は昨日の調査データのまとめと、本部に提出する報告書の作成で、完全に徹夜になっちゃいまして。今、ちょうど夜勤明け状態なんです。九戸さんを本部に送り届けたら、僕は一度家に帰って泥のように眠る予定です」
「うわあ、お疲れ様……。運転、大丈夫? 私が代わろうか?」
「いえ、大丈夫です、慣れてますので、それにいまの僕の役目は九戸さんの調査のまとめですから」
つまり、和真君の仕事は私の調査待ちと言うわけだ。たしかに研究職は徹夜になることが多いけど…徹夜…サビ残…うっ。頭が…。
私は助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。車が静かに走り出す。
ここは黒野市郊外、時間停止の影響はここまでは及んでいない。
だが今走っている道路ー黒野市外環状道路ーの中央分離帯を挟んで時の境界が築かれているのだ。
窓の外から見える境界の向こうの黒野市の街並みは、昨日と変わらず高解像度の静止画のようにピタリと止まっていた。宙で静止した木の葉や、散歩の途中で固まった犬を見ながら、私はふと気になっていたことを口にした。
「それにしても、和真くんって、なんでそんなに物理に近いの? 昨日の報告書の専門用語もすごかったし」
「ああ、言ってませんでしたっけ。僕、市外の大学の理学部出身なんです。専門は物理学で。卒業してこっちに戻ってきてからは、個人的な研究を続けながら、父の手伝いをしてたんです。まさかその知識が、こんな異常事態で役立つとは思いませんでしたけど」
「へえ、物理学か。私なんて黒野工大の出身だけど、食品工学専攻だからさ。白衣を着て、毎日ひたすら乳酸菌の培養をしたり、食品の成分分析をしたりしてただけ。だから今回のSFみたいな現象、正直なところ完全に門外漢なのよね」
私はシートに背中を預け、自嘲気味に小さくため息をついた。
「食品工学ですか! いやいや、専門が違っても同じ理系じゃないですか。卒業後はやっぱり食品関係の会社に?」
「うん。この街の中堅食品メーカーに就職して、開発と品質管理を兼任で5年。……まあ、そこが絵に描いたようなブラック企業でさ。残業は毎月過労死ライン超え、有給は書類上だけの存在。メンタルがすり減って、先月ようやく逃げるように退職したの。で、絶賛失業中にこの世界停止でしょ? 踏んだり蹴ったりよ」
「5年も……。それは大変でしたね。でも、そんな状態からいきなり『不可視壁対策本部・調査団長』に大抜擢されるなんて、人生分からないものです」
和真くんは同情を寄せるように、けれど少しおどけた調子で言った。その横顔を見て、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。優秀な元調査団長と聞いて少し構えていたけれど、中身はただの「聞き上手な理系男子」だ。
「ねえ、和真くん。これからはさ、二人っきりの時は普通に話さない? 団長とか副団長とか、肩書きばかりだと肩が凝るし」
「えっ、いいんですか? じゃあ……お言葉に甘えて。僕も『九戸さん』って呼ばせていただきますね。……あ、でも、仕事の指示はちゃんとくださいよ?」
「もちろん。物理的なことは和真くんに頼りっきりになると思うからよろしく」
「任せてください。それに、食品工学の知識だってこれから役立つかもしれません。九戸さんがあの静止空間で活動を続ける以上、『食料』の確保と安全性の検証は絶対に必要なプロセスですから」
「……ふん、上手いこと言うじゃない。まあ、お給料分の働きはするわよ」
そんな理系同士の雑談を交わしているうちに、車は対策本部のある建物へと滑り込んだ。
「――というわけで、九戸調査団長。本日より正式に我が『不可視壁対策本部』の顔として、あの一切の時間が止まった未知の領域を切り開いていってほしい」
対策本部の一室。
古めかしい事務机を背に、時田進士市長は仕立てのいいスーツの襟を正しながら、いかにも政治家らしい朗らかな笑みを浮かべた。
「はあ、よろしくお願いします。……あの、本当に『問題が解決したら市役所の正規職員として採用』、っていう条件、忘れないでくださいね。契約書にも書いてもらいましたけど」
私は襟元を気にしながら念を押した。二十七歳、元OL、絶賛失業中。時間が止まろうがなんだろうが、無職に甘んじる猶予はない。背に腹は代えられないのだ。
「ははは、約束は守るよ。我が街を救う英雄を、無職のまま放り出すような薄情な真似はせんさ。なあ、和真」
市長が、私の斜め後ろで眠そうに目をこすっていた青年に視線を向けた。
「はい。僕からも、九戸さんの身分と今後の生活については、責任を持ってサポートすると約束します。父さん」
「うん、頼んだよ。……ん?」
私は、和真くんの言葉が脳を通過した瞬間、奇妙な引っかかりを覚えて動きを止めた。
今、この徹夜明けの副団長は、なんて言った?
「……え?」
私は、時田進士市長の顔と、時田和真くんの顔を、交互に三往復ほど見比べた。
言われてみれば、二人とも「時田」だ。昨日は混乱の極みにいたから完全にスルーしていた。だが、改めて並んだ二人を見ると、全体の線の細さや、どこか理屈っぽそうな眉の寄せ方がそっくりではないか。
「えっ、あなた達……親子だったんですか!?」
私の指差し驚愕ツッコミに、和真くんは「あ」と小さく声を漏らし、気まずそうに人差し指で頬を掻いた。
「あ、すみません。まだ言ってませんでしたっけ。その、時田進士は僕の実の父親です。公の場では一応、市長と部下として振る舞おうと思ってはいたんですけど、つい」
「つい、じゃないわよ! え、じゃあ何? 私、昨日から市長の息子さんをアゴで使って、車を運転させたり荷物持ちさせたりしてたわけ!?」
「いや、いいんですよ九戸さん! 今はあなたが団長で、僕が副団長ですから。手に負えない現場の度胸もありませんし……ね、父さん」
「これこれ和真、職場では市長と呼びなさい。九戸くんも、そんなに恐縮しなくていい。このバカ息子は物理の知識はそれなりだが、現場の度胸が足りん。君のような肝の据わった年上の女性に引っ張ってもらうくらいが、ちょうどいい教育になる」
市長は豪快に笑っているが、私は心の中で「コネ入職のエリートお坊ちゃんだったかー!」と頭を抱えていた。
「……はあ。わかりました。内容はともかく、仕事は仕事として割り切ります」
「そう言ってもらえると助かります、九戸さん」
和真くんはホッとしたように、眠そうな目を細めて笑った。
「じゃあ、僕は約束通り、一度家に戻って寝ますね。九戸さん、今日の調査も気をつけてください」
そう言って、和真くんはふらふらとした足取りで部屋を出て行った。残された私は、本日の調査ルートマップに目を落とした。
――ここからが、私の本当の『長い一日』の始まりだった。
これからは、少しずつ投稿していく予定。(ほんとか?)




