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第7話 竜の恥




 5月11日、月曜日。朝から風が強かった。


 演習場の吹き流しが、真横に張っている。


 午後の実技は組替え課目だった。


 演習場に1年が集まっている。竜科も騎科も、全員そろって風に髪を押さえている。吹き流しが時折ぱたぱたと派手な音を立てる。いかにも条件の悪い日だ。こういう日に限って、普段と違うことをやらされる。


 梶原教官が端末を片手に、短く説明した。


「今日は組替え課目を行う。自分の組以外の竜と騎手で飛び、合わせ方を覚える。計測鞍を使う。指示は以上だ」


 以上、である。いや説明が短すぎる。だがこの人の説明はいつもこうだ。必要なこと以外は言わない。その分、組の表は回覧で回ってきた。俺は首を伸ばして表を覗き込んでから、竜の姿になって地面に伏せた。


 鷲宮千景の名前は、別の中型の竜の欄にあった。俺の欄には騎科1年のまだろくに話したことのない女子の名前が書いてある。練習の騎手というやつだ。名前は知っている。授業で何度か見かけた。それだけの相手である。


 隣では真田が小型の竜の姿で、落ち着きなく翼を畳んだり開いたりしている。


「おいカケル、俺、知らねえ騎手だぞ」


「俺もだ」


「大丈夫かな、俺、18分しか保たねえのに」


「知ってる」


「知ってるじゃねえよ。励ませよ」


 励ましたところで騎乗時間は伸びない。真田は基礎が18分。今日みたいな風の強い日に、知らない騎手を乗せて飛ぶ。緊張するのも無理はない。俺だって、知らない相手を乗せるのは久しぶりだ。


 やがて騎手たちがそれぞれの竜の前へ散っていく。俺の前にも、ひとりの女子が立った。肩までの髪を後ろで留めて、飛行服の襟を直している。まっすぐこっちを見る目をしている。緊張しているのか、口がへの字に結ばれていた。


「乗せてください」


 知らない手が首の付け根に触れて、少し上ずった声が儀礼の形をなぞった。


「喜んで」


 彼女はふいと目をそらして、地上係のほうへ小走りで離れていく。いや、逃げなくてもいいのに。


 計測鞍が背に載った。


「鞍よし、竜環よし、手綱よし。騎手、よし」


 背中に重みが乗る。知らない座り方。重心の位置が、千景とは違う。当たり前だ。人によって膝の幅も座る深さも違う。俺は翼を広げて、地面を蹴った。


 風が横から押してくる。翼の端がびりびり震えて、体ごと持っていかれそうになる。背中の騎手が小さく息を呑んだ。膝がきゅっと締まる。必死なのが伝わってくる。悪くない。知らない相手でも、乗られている事実はやっぱり俺の胸を温かくさせる。


 気づけば尾の先が勝手に揺れていた。ああまただ。


 並んで飛んでいた真田が、横から早口で叫んだ。


「頼むから尾を振るな! お前が振ると俺まで変な気分になるだろ!」


 1本目を終えて俺は演習場の芝に降りた。翼を畳んだところで、風がまだ横から吹いている。背中の練習の騎手が鞍から下りて、小さく「お疲れさまでした」と言った。声がまだ上ずっていた。俺は「お疲れさまでした」と返した。それだけで、なんだか少し嬉しい。


 そこへ、地響きみたいな足音が近づいてきた。


 のし、のし、と芝を踏む重さが違う。見上げると、黒に近い紺の鱗が陽の下で鈍く光っていた。長く鋭い角。翼を半開きにして、ゆっくりと俺の前に出てくる。威嚇の形だ。あれは完全に威嚇の形だ。


 背中には騎科の白峰玲奈がいた。鞍の前に縮こまって座ったまま、手綱を胸の前で小さく握っている。何も言わない。何も言えない、のかもしれない。


 紺の竜は俺の正面で止まった。俺よりふた回りは大きい。


「首席の御堂冬馬だ」


 丁寧で、冷たい声だった。怒鳴らない。声を荒らげない。それが逆に、びりびりと腹の底に響く。


「天野。君は竜の恥だ」


 風が吹いて、演習場の砂をひとつまみ運んでいった。


 周りが静かになった。いや、静かになったんじゃない。俺の耳が勝手に静かにしたんだ。


 俺は首を上げて、御堂を見た。怒るでもなく笑うでもなく。正直、言われてみればそうだ。E判定の灰青。尾は勝手に揺れる。乗せてもらって喜んでる。竜の恥。うん。すごく、しっくりくる。


「そう見えますよね」


 俺は言った。心の底から。


 御堂の目がほんの一瞬だけ開いた。想定外の返事だったんだろう。そりゃそうだ。恥と言われて同意する竜、いるか。


 周りの竜科の男子たちがざわついた。


「おい、同意したぞ」「恥って言われて、はいって」「あいつ、正気か」「竜の誇りはねえのかよ」


 真田が小型の竜の姿で俺の横に来かけて、止まった。何か言いたそうだったが、まだ言わなかった。空気がそれを許さなかった。


 御堂は黙って俺を見ていた。翼はまだ半開きのままだ。白峰は鞍の上で、やっぱり何も言わない。


 御堂の目が、俺の横へ動いた。


 小型の竜、真田陸を捉えた。のしと半歩、巨体が向きを変える。白峰は鞍の上で縮こまったまま、小さな手で手綱を握り直した。


「18分の竜もいたね」


 御堂の声はやっぱり冷たくて丁寧だった。風がびゅうと吹いて、真田の翼の端を揺らす。


「乗せる騎手が気の毒だ」


 演習場の空気が、びり、と張りつめた。騎科の女子たちが黙る。竜科の連中が、ざわりと身じろぎした。真田はしばらく黙って御堂を見上げていた。それから、へらりと笑った。小型の竜の顔で笑うと、やけに幼く見える。


「まあ、18分ですけど?」


 声は軽かった。いつもの早口のツッコミより、ずっと静かなのにやけに通る声。笑い返したはずなのに、目だけが笑っていない。


 俺には見えていた。真田の尾の付け根が、こわばっている。翼を畳んだまま、小さく震えている。自分のことを竜の恥と言われたときは、まあそう見えますよねで済んだ。でも、これは許せない。


 俺は首を上げた。声は、荒らげない。代わりに敬語が増える。


「御堂さん」


 御堂の目が、ゆっくりと俺へ戻った。


「陸のことは、訂正してください」


 風が砂を運んで真田の鱗にぱちぱち当たる。御堂は俺を見下ろしたまま、微動だにしなかった。翼は半開き。黒に近い紺の鱗が、陽の下で鈍く光る。


「訂正する理由がない」


 冷たい声。でも、卑怯な言い方ではなかった。あくまで事実として、真田の騎乗時間が18分だと言っている。それが逆に、腹の底を冷たくさせる。


「気の毒、は余計です」


「そうかな」


 御堂は首をかしげた。大げさでもなく、小ばかにしたふうでもない。本当に、そうかなと言った。


「18分しか飛べない竜に乗る騎手の負担を思えば、事実だろう」


 真田が、俺の横で小さく息を吐いた。笑いの形に開いた口が、ゆっくり閉じていく。尾の先が、地面を一度だけぱたりと打った。


「カケル、いいよ」


 真田が低い声で言った。


「お前が怒ることじゃねえ。俺は18分だ。それだけだ」


「陸、黙ってろ」


 俺は言った。真田がぴくりと翼を揺らす。俺は御堂から目を離さない。


「お前がどう思われても、俺は黙ってられない」


 御堂が、半歩、前へ出た。芝がのし、と沈む。俺も、首を引かなかった。真田の尾の付け根が、こわばったままだった。空気が重い。風の音だけが、やけに大きく聞こえる。


「課目を続けること」


 短い声が、すぐ後ろから落ちてきた。


 振り向かなくても分かる。梶原教官だ。眼鏡の奥の目が、御堂を見て俺を見た。それだけだった。


 御堂は、一拍おいてから言った。


「失礼した」


 梶原教官に軽く頭を下げた。真田のほうは見なかった。それから背を向けて、のし、のしと去っていく。白峰の背中が、どんどん小さくなる。


 俺は地面に伏せたまま、前肢の爪を芝に食い込ませていた。


「……お前、怒ると敬語なんだな」


 真田が、ぼそりと言った。


「うるさい」


「こええよ、静かに怒るの。でもありがとよ」


 尾の先が、まだ、ふるふると震えていた。今度は嬉しさじゃない。俺は何も言わず、空を見上げた。


◇


 組替え課目が終わって、俺は人の姿に戻り、格納庫の壁に背を預けて座り込んでいた。風がまだ強い。砂が頬に当たって痛い。


 課目の終わりに梶原教官が読み上げた数字を、俺も聞いていた。鷲宮千景、別の中型の竜、同調率31%。


 千景が来た。俺の正面には立たない。半歩ずらして、横を向いたまま。


「なぜ怒らない」


「え」


「自分のことは。竜の恥と言われて、なぜ怒らない」


 声は低くて短い。怒っているのは千景のほうだった。なんでだ。


 俺は壁から背を離した。


「俺の分は、本当のことなんで」


 千景の目が、ほんの少しだけ動く。


「E判定なのは事実ですし、尾も勝手に振れる。恥って言われても、そう見えますよねって思います。実際そうなんで」


 千景は黙った。


「でも陸の分は違います。あいつは18分を笑われる筋合いがない。一生懸命飛んでるのに、気の毒って言われる話じゃないです」


 千景はそれきり、何も言わなかった。


◇


 夕方の連絡は、竜科と騎科の1年が演習場の端に並んで聞く。


 風はまだやまない。吹き流しが真横に張ったまま、ばたばたと派手な音を立てている。俺は人の姿のまま、列の端で空を見ていた。真田が隣で髪を押さえながら小さく欠伸をしている。


 梶原教官が端末を見ながら、短く告げた。


「来週、浪速竜騎大学との合同演習を行う。各国の留学生団も参加する」


 一瞬の静寂。それから、1年の列がざわりと揺れた。


「浪速って、あの叩き上げの」


 真田が早口で言う。声が半分風に食われている。


「ああ」


 俺は頷いて、風の強い空を見上げた。雲が速い。西から東へ、ちぎれたまま流れていく。


 今日は笑われた。真田は笑われて、千景は黙った。それでも知らない騎手がまた来るのだと思うと、胸の奥が少しだけ浮く。尾は人の姿だから隠れている。それでいい。いや、隠れてるんじゃなくて今は生えてないだけだ。


「大丈夫かよ、お前」


 真田が横目で俺を見る。


「何が」


「顔が緩んでる」


 俺は口元を手で押さえた。


 浪速竜騎大学。叩き上げと、各国の留学生。来週、知らない騎手が山ほど来る。

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