四幕 金緑石、あるいは呼び名
「お嬢さんの意見も聞きたいわ」
と女性の一人が言った。
「これからこちらの人間になるのですもの、無関係ではないでしょう」
「要らぬ噂が出たら、厄介だし」
続く声は色とりどりだ。
名家の女性というのは、こういう場面で沈黙を許されない。
立場もあれば役割もある。
不公平だという気持ちもあるが、それに救われる場合もある。
主に自分たちが。
「私は気にしませんよ。それに彼の席が決まらないと、私も皆様のことをなんとお呼びしたらいいのか、わからないですから」
彼女は苦笑しながら続ける。
「彼から聞いたことがあるのは、ほとんどお祖父様のお話ばかりで……皆さんの人となりも何も知らないですしね」
彼女が本当に困っていると思ったのだろう。
親しげに言葉を舗装する。
「あら。お祖父様はそのまま呼ぶなら、私たちのことも難しく考えなくていいわ」
「そうよ。今まで通りでいいの」
「彼をお母様の亡くなった三男君と、思い違いしている人も、まだいるし」
兄弟が多ければ、誤魔化すのも難しくないと言っている。
一人っ子の彼女には、よくわからない。
「駄目ですよ」
と彼女は穏やかに言う。
「その子と彼を混ぜちゃいけません。それにお祖父様はちゃんと役割を演じ切ったはず。同じにしないほうがいいです」
「あいつは、シラを切り通しただけだ」
彼が低く言った。
「思い出もあるでしょ」
「自慢話と仕事と、女の話ばっかりだった」
「例えば?」
「見る目を養っておけ、とか」
「女の話?」
「全部だ」
彼がため息混じりに言って、彼女がクスクスと笑う。
いつもの流れだ。
この場がどんな場所かわからなくなる程度には。
けれどここは二人の自宅でもなく、社交界でもなかった。
集まった人間も。
彼女たちは火消しをしたがっていた。
自分たちに火線が伸びているのを、知っていたからだ。
だが、その描かれた模様はわからない。
ただかろうじて、自分たちへ伸びる線だけはわかる。
今ならまだ、辿れる。
だがそこに新しい線を引かれるとなると、どこへ逃げればいいのかわからなくなる。
それは防がなければならなかった。
「ええと、こう、ただでさえ、婚外の子というのは、目立つのよ」
「誰かに聞かれたりしたら、あなたも困ってしまうでしょう?」
「両親の名前を並べられない、なんて」
――汚染された噂を、別の話題に混ぜるな。
「結婚式もしないといけないし」
「自立した花嫁も素敵だけど、バージンロードは一人ではね」
「ベールダウンも大切よ。誰かいらっしゃる?」
――腐った名付けを、祝福の皿に乗せるな。
「台座がぐらついてしまったら、せっかくの宝石も収まりが悪いでしょうし」
「お仕事の時は必要ないでしょうけど、やっぱり似合うでしょって自慢しないとね」
「若い人の特権よ」
――毒のある言葉を、可愛い冗談として配るな。
「苦労はかけてしまうかもしれないけど、必要がないならその方がいい」
「指輪はもう決めたかしら?」
「なにかお好きな石はある?」
「誕生石は?」
宝石は美しい。
「誕生石はアレキサンドライトですね。好きですよ。彼との出会いもそこですし」
その由来も美しい。
「あら出会いも?」
「ええ。アレキサンドライト号という船に乗っていたんです」
だが宝石の逸話は、いつも少しだけ怖い。
「どんな船だったの?」
一言で言うなら、と彼女は前置きをする。
珍しい船でした、と。
「私の生まれたところでは、船には女性の名前をつけるんです。だからアレキサンドライト号なんて、皇帝由来の名前にするなんて珍しいなって。ジェンダーレスの流れもあったと聞いています」
「でも宝石の名前の船って素敵よね」
「宝石の場合はプリンセス・ダイヤとかクイーン・エメラルドとかつけるんです」
彼女は続けた。
「豪華客船って同じシリーズで何隻か作って、姉妹船にすることが多いんです。ただ、アレキサンドライト号はこの一隻だけしか作られなかった」
「どうして?」
「一点ものってやっぱり高いんですよ。もしくは何か特別な理由がある」
「まあ」
「この船の場合はタッチパネルとか最新の設備で面白くて。そういう試験的な船だったんです。ただやっぱり使い勝手が違うのか、インシデントが起きやすくて、ヒヤヒヤしながら務めていました」
だからあの船、一人っ子で良かったんです、と彼女が苦笑する。
「次の船は前の仕様に、だいぶ戻っているみたいですね。物理的なレバーとかスイッチって身体に馴染むので。ええっと、車だとミッション車の方が好きっていう人いるでしょう?」
黙っていた男性陣の何人かも少しだけ頷く。
「それからやっぱり男性由来の船なんてって、古い船乗りは嫌がってました」
「縁起が悪い?」
「そこまではっきりとは言ってませんでしたけどね。ただ呼び方がわからない、と。名前だってほんの少しの発音のニュアンスで、男性名に聞こえたり、女性名に聞こえたり」
アレクサンドル、アレクサンダー、アレックは男性名。
アレクサンドラ、アレハンドラ、レクシーは女性名。
アレックス、サーシャは共通名。
「だから本当に彼なのか彼女なのか、わからない。本当に同じ船の話をしてるのか、わからなくなるって。兄弟、姉妹はいないはずなのに」
一拍だけ沈黙。
「で、アクシデントでここに足止めされて、彼に親切にしてもらったんです」
彼女の声は明るい。
「しばらく帰ってこない間に、日本も色々と変わってて……途方に暮れていたんですが、彼が喫茶店やったらいいって言ってくれたんです」
場の空気が戻る。
どこに戻ったのかはわからないが、話題が着席したのは確からしかった。
問題なのは、その座り心地が席によって違うということだろう。
「ダメだ」
その声には動揺とハッキリとした嫌悪と、拒絶が含まれていた。
「アレキサンドライトはダメだ」
皇帝の名を否定するとは、誠にエレガンスではなかった。




