二幕 厨房、あるいは調査
「厨房を直せるなら、ここの修繕も依頼したらよかったな」
「厨房のですか?」
「いや、建屋全体。見て貰えばわかるように、今、老朽化対策をしてる」
改めて部屋を見回すと、確かに一部の空間だけ光の滲み方が違う。
例えば壁の反射の具合だったり、窓からの光の透け感だったり、細かいところではドアの開閉の音や、床の板の矯正具合だとか。
「近いうちに一般解放して、見学してもらおうかと。まぁ、もう住めなくなったから、観光地として貢献しようかって感じだな」
男の少しだけ面倒くさそうな様子に、呆れ半分、苦笑半分といった感じで皆が頷く。
この街の悪口に、観光地はない、というのがある。
まことに不名誉なことではある。
他人から言われると、腹が立つ。
だが住民がそれを望んでいない雰囲気があるのも、また確かだ。
この街は今でこそ首都と名がついているが、それはあくまで暫定処置によるものだ。
震災の影響で首都機能を一時的に預かっているが、今でもトレンドは東にある。
ただそういった暫定システムというのは、意外に長く続いたりする。
例外処理が仕様に取って代わる可能性も出てきたのだとか。
たとえ国民が望まざるとしても。
母がゆっくりと口元を拭いた後に、詳しく続けた。
「ここも休憩室として、少し食事ができるようにしたりね。と言っても、全て解放するわけではないし、今日みたいに特別な日は一族が優先で貸切にできる。お料理は併設してあるレストランから運んでくることになるわ」
でも、と目を伏せる。
「あくまで対策であって、当時の館に戻るわけじゃない。暖炉も今日で終わりかしらね」
時代の変化は電気系統、主に照明器具に強く顕現する。
暖炉はその炎とそれが作り出す影は、その影響を受けにくかった。
しかし暖炉そのものがなくなるというのなら、文字通り部屋の空気が変わる。
熱が失われれば、急速に冷えるだけ。
「木造建築ですしね。残念ではありますが、厨房とか火の周りと水回りは、別にした方がいいと思います。その方がギャラリーにしたり資料を置いたり、貸し出しする時も安心です」
きっと賑やかになりますよ、と彼女が続けると、母は少し笑った。
「しっかりしたお嬢さんで安心しました。あの子の方がフラフラしてるわね」
あの子というのは、もちろん彼のことだ。
彼は嫌そうにしながら、説明からは逃げない。
「ドローン関係の事業届はちゃんと出してる。赤外線カメラを搭載して外観の調査や撮影。人が入れない床下なんかも潜れる」
「ドローンってラジコンとは違うのかしら」
先ほどのワインレッドのワンピースの女性が、素直に聞く。
「遠隔操作する時に使用する電波が違います。あとはラジコンとは違って、自律して動かすことも可能です」
「自律?操作しなくてもいいの?」
「あらかじめ動きを登録しておいたり、あとは指示に対して、ドローンが自分で考えて動いたり」
「まぁ。ロボットね。もしかして今日、持ってきてたりする?」
「ええ。なんなら今、呼んだら飛んできますよ」
彼の声は平坦で、冗談なのかそうでないのか判断がつきにくい。
「法律の範囲内でな」
釘を刺したのは今まで黙っていた男だ。
ネイビースーツにベージュのベスト。
おそらく今日の中で一番フォーマルな装い。
「では地下トンネルを走らせましょうか」
彼がここまで言うということは、冗談ではなかったらしい。
「トンネルまであるの?」
彼女が流石に驚いた様子で、彼に聞く。
「ああ。外交官とか海外からの客も多かったみたいだ。だから接待用の芸者とかを、そこから入れていたらしい」
母が少し困った様子で、それだけじゃないのよ、と補足をする。
「地下には小さいけど、ダンスホールと舞台があるから、役者や演奏者、もちろん荷物も出入りさせたりもしていたそうよ」
「なるほど。それは冒険し甲斐がありますね」
彼女が、納得したように頷いた。
この館が提供しているのは、親密さだ。
湿った空気と、産毛の焦げる秘密めいた匂い。
妙に肌に馴染む空気をしている。
「飛ばないの?」
先ほどの女性が、ドローンの話題に戻す。
「航空タイプが一般的ですが、キャタピラがついてる両用タイプがあります。床下はそっちの方が安全ですので」
グレイスーツの男が期待に満ちた眼差しで、彼に追加で質問をする。
「もしかして水中タイプも、持っていたり?」
「流石にそこまでは専門外ですね。興味はありますが、まだ法律も追いついていないので」
「なんだ。思っていたよりも、しっかりしていた」
失礼な言い方ではあったが、誰も咎めず、柔らかい笑いの中で肯定する。
彼も気にした風でもない。
「しっかりしていたら、手紙を受け取った時点で返事を寄越す」
異論を挟んだのは父だ。
「あの、お前が持たせた、貝の変なオブジェはなんだ?」
招待状をもって来た使者の顔がよぎる。
可哀想に、きちんと仕事をしたようだ。
「ああ、あれは3Dプリンタの試験モデルだ。曲線が多くて、機械の調子を測るのにちょうどいい。ああいうオブジェのデータが登録されてるサイトがあって、最近ではデータの販売も盛んだ」
嘘ではない。
実際に試験モデルとして好評だ。
「それだけか?」
「ネットのマニアの間で流行ってたんだ。ランキングの上位にあった。無料だったし」
「流行ってる?」
「二百パーセントで出力して置物にしたり、音を聞かせると共鳴するとか言ってる奴もいる」
「……共鳴?」
「手持ちの音源では何も起きなかった。ネットなんてそんなものだ」
「持ち帰らせた理由になっていないな」
彼が肩をすくめた。
「俺の仕事を説明する手間が省けると思った。なんならそれもデモンストレーションできる」
それを聞いて、グレイスーツの男が純粋に驚いた様子で聞く。
「3Dプリンタも持ってきてるのか?」
うっかり口を挟んでしまった、というのが顔に出たが、やはりここでも彼は気にしない。
「はい。そこまで大きな機材でもないので。現地でドローンが故障した時に部品を書き出せるので便利です」
彼があまりにスムーズに説明をするため、男も会話を続けざるを得ない。
「宇宙ステーションでも使われているとか」
「ええ。交換部品や工具を現地で作れる利点がありますからね。素材や用途には制限がありますが」
「そうか。それも地球から遠隔でデータを飛ばせばいい」
「はい。車の中にウォーミングアップは済ませてスタンバイさせてあります。モニターがあれば、そこに書き出し風景をリアルタイムで映してもいいですよ」
男が感心した様子で、面白いな、と呟く。
ぐるりと部屋を見まわし、本気でモニターの設置場所を考える。
暖炉の横に、絵も飾ってないエリアがあった。
彼が目で追ってふと首を傾げるが、それを父の声が引き戻す。
「箱の前で使えと言ったそうじゃないか」
当主という存在の一番の利点は、話を変えても文句を言われないところだな。
と彼は思った。
鶴の一声というやつだ。
祖父さんは狸だった。
父の歳には引退をしていたし、話の流れは読むタイプだった。
流れの先に、穴を掘ったり、掘らせたり。
彼がため息をつきながら答える。
「ああ、あれもオブジェの説明文に書いてあったんだ。賽銭箱の前で使うと、ご利益があるとか。流石に賽銭箱は持っていない」
「お前は、なぜ賽銭箱だと思う?」
「子安貝を通貨にしている地域もあるから、それを元ネタにしたジョークなんじゃないか?」
テキストだけ見たならば、ユーモアラスな会話。
ネットの奇妙なオブジェデータの話。
だがこの二人の間では違う。
それは他の人間にもわかったようだ。
それでも口に入れた肉は噛まないといけない。
「手紙の返事より優先するべきことか?」
「そんなにそのオブジェの実態が気になるなら、正式に調査依頼をしてくれ。報告書として献上する」
「仕事の依頼なら返事をするのか」
「する」
「親からの手紙にはしない」
「……」
「そういうところを言っている」
肉を飲み込むタイミングだった。
ついでに息も。
「今、家が揺れているのは知っているだろう」
「半分くらいは、自分達のやらかしが原因だろう」
「残りの半分はなんだ?」
「さあ。心当たりがあるなら、追加調査を請け負ってもいい」
「ここでもやはり仕事か」
「俺に何をやらせたいのか伏せているからだ」
「自分が何なら貢献できる、と言ってこなかったな」
「だから調査ならできると、今、言っている」
「身内相手でも、できるのか」
「できる」
「やった、じゃないな?」
「ああ、調べた」
一瞬、食卓から音が消えた。
消えると重くなるのは、音の不思議な現象の一つだ。
「俺自身について、な」
彼はそこで、ナイフとフォークを置いた。
「俺の席を、どうするつもりだ?」




