噂話 社交界の通貨、あるいはルースと呼ばれることの意味
今回は、初めての「噂話」です。
この社交場では、出来事が本人の知らないところで語られ、少しずつ姿を変えていきます。
時には、勘違いや誤った情報が混ざることも。
誰が語り、何が伝わり、何が伝わらなかったのか。
そんなお話も、時々挟まります。
「ねえ、ご婦人に名前がついたって聞いた?」
「ルースのご婦人、でしょう?」
「ええ。あれ、誰がつけたか知ってる?」
「あのお嬢さんよ。花の彼の」
「まあ」
「外から来た料理人が、ご婦人に名前を返したのね」
「ええ。しかもご婦人が受けたの」
「それが一番怖いわ」
〈別卓では、もう少し具体的な話になっていた〉
「ルースって、どういう意味なの?」
「宝石の、台座に乗る前のものよ」
「どうしてご婦人のあだ名に?」
「完成品には興味がなさそうでしょう、あの方。まだ余白のあるものを好むから」
「まあ、たしかに」
「しかも、固定されるのを嫌うでしょう?自分の置き場所を人に決めさせない」
「それをあのお嬢さんが見抜いたのね」
「ええ。お食事の好みから、だそうよ」
「怖いわ」
「そうね。でも正確でしょう?」
「だから受けたのね、ご婦人が」
「ええ。悪くないわ、って」
しばらく沈黙があった。
「あのお嬢さん、ただ連れてこられた人じゃないのね」
「ご婦人を名付けた時点で、もうそうじゃないわよ」
〈男性卓では、少し違う話になっていた〉
「あの方にルースのご婦人って名前がついたの、知ってるか?」
「ああ、聞いた」
「それからなんだよな、俺たちもルースって呼ぶようになったの」
「小熊のことか」
「ああ。だってぴったりだろ。まだ台座に乗ってないし、光り方だけはいい」
「でも本人は嫌がってるだろ」
「嫌がってるな」
「やめろって言ってたぞ」
「だから定着するんだよ」
笑い声が漏れる。
「でも、物みたいで失礼じゃないのか?」
「いや、悪い意味じゃない。まだ仕上がってないけど悪くない、の意味だ」
「雑な激励か」
「男の褒め言葉なんてそんなもんだ」
「小熊呼びは女性陣のものだしな」
「ああ。ルースは俺たち側の言葉だ」
〈女性陣の方では、ルースという言葉の残酷さの話になっていた〉
「でも、ルースって呼ばれるのって、少し残酷よね」
「どういう意味?」
「だってそれって、まだ完成品ではないって言われてるのよ」
「ええ」
「しかも誰かに仕立てられる前提で見られてる」
「まあ」
「しかもご婦人のお気に入りだとわかると、みんなルースって呼ぶようになるでしょう?」
「そうなのよ。あの方、最近またルースを拾ったらしいわよ、なんて言い方をする人もいるくらい」
「ひどい言い方ね」
「でも社交界ではわかりやすいのよ。まだ台座に乗ってない、でも価値はある、って意味だから」
息を呑む間があった。
「呼ばれる側は嫌かもしれないけれど」
「でも呼ばれない人より、よほど場に残ってるわよ」
「それが社交界ね」
「ええ。名誉と残酷さは、いつも同時にあるものよ」
〈その夜の噂は、また広まっていた〉
「あのお嬢さん、なんて呼べばいいのかしらね」
「名付けのお嬢さん、でいいんじゃない?」
「まあ、ぴったりね」
「ご婦人を名付けた人ですもの」
「しかも受けさせた」
「それが一番すごいのよ」
「ええ。名付けのお嬢さんが来る夜は、何かが変わるわ」
「そうね。言葉が育つのよ」
しばらく誰も何も言わなかった。
「ルースのご婦人って名前、かなり定着してきたわね」
「ええ。しかも派生してる」
「どういうこと?」
「ご婦人のお気に入りを、みんなルースって呼ぶようになったのよ」
「まあ」
「名前が文化になったのね」
「ええ。名付けのお嬢さん、怖いわ」
「でも嫌いではないでしょう?」
「ええ。参考にはなるもの」




