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噂話 雛、あるいは情報弾幕の話

「昨夜、一番面白かったのは誰だったと思う?」

「お嬢さん?」

「いいえ」

「小熊くん?」

「それも違うわ」

「では、ご婦人?」

「ご婦人はいつも面白いでしょう。そうではなくて」


 そこで、古参の女性は少しだけ笑った。


「雛たちよ」

「雛?」

「新しく来た方々。皿の外にいるつもりで、ずいぶんよく焼けていたわ」

「あら、物騒」

「炙り出し舞台ですもの」


 その一言で、場に立ち会った何人かが思い出す。


 昨日の社交場は、たしかに炙り出し舞台だった。


 皿に乗ったのは、お嬢さんと小熊くん。

 そう思っていた者もいただろう。

 けれど、実際には違う。


 皿を見ている者。

 皿に手を伸ばす者。

 香りだけで目を逸らす者。

 焼け具合を確かめようとして、自分の袖口に火を移す者。


 そういう者たちの顔も、あの場ではちゃんと照らされていた。


「最初に分かれたのは、密造酒の話だったわね」

「ああ、あれ」

「お嬢さん、実は密造酒がバレて逃げてました、って」

「戻ってきて最初にそれを言うの、いい根性だな」

「しかも、ご婦人がリークしたんじゃないかって、彼と話していると」

「……あの場で?」

「あの場で」

「ご婦人の名前を、そう使うのか」

「使える距離にいる、ということよ」


 古参の女性は、楽しそうに目を細めた。


「そこで笑えた人と、眉を顰めた人がいたでしょう」

「いたな」

「それが最初の火加減よ」

「ご婦人を軽んじていると思ったのか」

「たぶんね。けれど違うわ。あれは軽んじているのではなく、怖がりすぎていないの」

「一番難しいやつだな」

「ええ。教わってすぐできるものではないわ」

「そのあと、梅酒の宣伝をしていたな」

「ええ。そろそろ寝かせてた梅酒がいい頃合いだ、と」

「日常に戻ったと思ったら」

「スピリタスで漬けた、とっておきですって」

「物騒だな」

「古参のマダムが、ちゃんと物騒で素敵じゃありませんか、って笑っていたわ」

「それ、褒め言葉なのか?」

「もちろん」

「もちろんなのか」

「もちろんよ。あの子がただ無事だっただけなら、少し心配でしょう。でも、ちゃんと物騒だった」

「安心するところがそこなのか」

「そこよ」


 誰かが小さく笑った。


「新参には、どう聞こえたのかしら」

「ただの強いお酒の話じゃないか?」

「あるいは、危ない冗談」

「でも本当に梅酒なのよ」

「比喩ではない」

「比喩ではないからこそ、比喩にもなる」

「昨夜、そればかりだったな」

「ええ。密造酒も、梅酒も、お肉も、全部そう」

「本当の仕事の話なのに、ちゃんと刃物の音がする」

「料理人ですもの」

「怖いわね」

「頼もしいわね」

「その二つ、あの子に関しては近いのよ」




「女性の方はどうだったの?」

「あの、お嬢さんに顔合わせのことを聞いた方?」

「ええ。舌の先が少し割れていた方」

「言い方」

「実際、割れていたでしょう」

「まあ、そうね」

「あれも悪かったの?」

「悪くはないわ。必要な問いだったもの」

「必要?」

「あの子があの家に入るのか。あの家をどう見るのか。自分の立場を危うくしてまで、彼の横に立つのか」

「誰かが聞くべきだった」

「ええ。ただし、聞き方には品がいる」

「品はあった?」

「形はあったわ」

「中身は?」

「舌が見えたわね」


 少しだけまた笑いが起きる。

 きっと耳元まで、唇が裂けている。


「でも、お嬢さんは笑って返した」

「素敵なお家でした、でしょう?」

「指輪のお話もしてくださって、でも台座が合わなくて」

「台座ね」

「そこで止まれた人は、悪くないわ」

「止まれなかった人は?」

「指輪の台座の話だと思ったのではないかしら」

「それはそれで間違いではないでしょう」

「ええ。間違いではないわ。ただ、足りないだけ」

「足りない」

「フルコースでも足りない男」

「ご飯の用意がある女」

「お肉を捌く料理人」

「そして、台座の合わない指輪」

「まあ、物騒な献立」

「でも、きれいに出てきたわ」


 古参の女性は目を細めた。


「あの子、面白いわね」

「今さら?」

「わかってはいたけれど、昨夜は特に」

「どう面白いの?」

「冗談で場に入り、梅酒で火をつけ、惚気で刃を受け、宣伝で皿を返した」

「密造酒からお肉まで」

「ええ」

「新しい方々は、どこまでわかったのかしら」

「人によるでしょうね」

「お肉の仕事は?」

「比喩ではないわ」

「でも比喩にもなる」

「だから怖いのよ」

「新参には、ただ少し物騒な料理人に見えたかしら」

「それならまだいいわ」

「まだ?」

「ただの若い女に見えたなら、危ない」

「彼女が?」

「自分がよ」


 その言葉に、誰かが口元を押さえた。


「皿に乗せるつもりで、乗せられる」

「炙り出し舞台ですもの」

「客席だと思っていた場所にも、火は届くのね」

「届くわよ。袖口から」

「嫌な舞台ね」

「でも、よく見えるでしょう」


 紅茶と酒の匂いが、奇妙に混じる。


 噂の小さな輪は、昨夜の場を思い出しながら、それぞれの視線で皿を見ていた。


「小熊くんの方はどうだった?」

「情報量が多すぎた」

「それは聞いたわ」

「あれ、嘘は言ってないんだろうな」

「でしょうね」

「嘘をつかずに、話せる範囲で正直に話すと、ああなる」

「つまり?」

「情報弾幕」

「まあ」

「顔合わせだった。修羅場だった。お嬢さんはテーブルの下にいた。消火器が速かった。ランチビールの奥さんに殺されないようにしてもらった。彼女の籍に入る。勇者は嫌だ」

「待って」

「待てない。こっちも待てなかった」

「情報が多いわ」

「だから核心に迫れない」

「なるほど」

「本人はかなり整理して話したつもりだと思う」

「それが一番怖いわね」

「怖いというか、強い」


 そこで、年嵩の女性が少しだけ首を傾げた。


「でも、消火器の話は、少し喋りすぎではなくて?」

「喋りすぎだな」

「顔合わせの説明に必要だったのかしら」

「必要ではない」

「では、どうして?」

「自慢だろ」

「自慢?」

「お嬢さんが格好よかったんだろ」

「まあ」

「本人は、事実を述べただけだと言うでしょうけれど」

「絶対に言う」

「しかも、あれは速かった、って少し機嫌よく言ってた」

「それは惚気ね」

「武勇伝じゃないのか?」

「惚気よ」

「武勇伝でもあるだろ」

「惚気で、武勇伝なのよ」

「最悪だな」

「最強でしょう」


 女たちは笑った。


「自慢するなら、もっと上手にするべきね」

「小熊くんにできる?」

「無理ね」

「無理だな」

「だから面白いのよ」

「自慢するな、って言ったらどうなる?」

「それも事実だ、と返すでしょうね」

「最悪だな」

「最強でしょう」


 同じ言葉が繰り返されて、また笑いが落ちた。

 噂話には笑顔という取り皿が必要なのだ。


「ご婦人の皿とは別の強さね」

「いや、あれは皿というより」

「何?」

「トルコライス」


 その場が、一瞬静まり、それから少し遅れて今度は盛大に崩れた。


「トルコライス」

「全部乗っている」

「顔合わせも、修羅場も、消火器も、ドローンも、常連も、勇者も?」

「全部」

「白磁の皿ではないわね」

「違うな」

「でも食べられる」

「腹にはたまる」

「小熊くんには、むしろそちらの方が食べやすいのかもしれないわ」

「だろうな」


 古参の女性が、少しだけ頷いた。


「男性陣も、よくやったのよ」

「おや、褒められた」

「雑だったけれど」

「褒めてないな」

「雑だからよかったの」

「どういう意味だ」

「あれを美しく聞かれたら、小熊くんは逃げ場がないでしょう」

「それはそうだな」

「でもあなたたちは、痛い話に怯え、消火器に驚き、ランチビールの奥さんで迷子になりながら、最後に『よくやった』と言った」

「迷子は余計だ」

「事実でしょう」


 言われてあっさり頷く。


「事実だな」

「それで十分よ」

「十分なのか」

「あの人には、たぶん」


 男たちは少し黙った。


「つまり、昨夜の新参たちへの評価は?」

「そうね」


 古参の女性は指を折る。


「まず、本名で呼ぶのは早い」

「はい」

「家の話を直球で聞くのは危ない」

「はい」

「ご婦人の名前が出た時は、眉ではなく耳を動かす」

「難しいな」

「密造酒の冗談で怒らない」

「怒ったら?」

「まだ青い」

「スピリタス梅酒で引かない」

「それは引くだろ」

「引いてもいいの。でも、笑える人の顔を見なさい」

「なるほど」

「台座という言葉を、指輪だけで受け取らない」

「難易度が高い」

「フルコースが足りない男の話を、食欲だけだと思わない」

「それは……まあ」

「お肉の仕事を、ただの宣伝だと思わない」

「比喩じゃないのに?」

「比喩じゃないからこそよ」

「消火器の話を聞いたら?」

「惚気だと思いなさい」

「物理的すぎる惚気だな」

「小熊くんですもの」

「説得力がある」

「そして、勇者という名が嫌がられても、すぐ引っ込めない」

「それはただの嫌がらせでは?」

「愛嬌よ」

「最低だな」

「社交界ですもの」


 誰も、それ以上は否定しなかった。


「でも、新参たちにも見込みはあるわ」

「そうなのか?」

「ええ。逃げなかったもの」

「逃げるべきだったんじゃないか?」

「時にはね。でも昨夜は、見ていることが大事だった」

「焼けるのに?」

「少し焦げるくらいが、ちょうどいいのよ」

「雛なのに」

「だからよ。火を知らない雛は、いずれ自分で巣を燃やすわ」

「怖い教育だな」

「社交界の教育なんて、だいたい怖いものよ」


 その場にいた若い女が、小さく息を吐いた。


「では、昨夜のあれは試験だったのですか?」


 古参たちが、彼女を見る。


 責める目ではなかった。

 けれど、逃がす目でもなかった。


「試験というより、食事ね」

「食事」

「出されたものを、どう味わうか」

「残してもいいのですか?」

「もちろん」


 古参の女性は微笑む。


「ただし、何を残したかは見られるわ」


 若い女は、少しだけ背筋を伸ばした。


「では、何を食べるべきでした?」

「全部ではないわ」

「全部ではない」

「昨日の皿で食べるべきだったのは、ひとつだけ」

「何ですか?」

「二人は戻ってきた、ということ」


 男が続けた。


「小熊は立っていた」


 別の女が言う。


「お嬢さんは笑っていた」


 年嵩の男が笑った。


「ご婦人が楽しそうだった」


 最後に、古参の女性が言った。


「なら、その席はまだある」


 若い女は黙った。


 それは、昨夜の噂の中で一番わかりやすく、一番重い結論だった。


「細かいことは?」

「いずれわかるわ」

「わからないままでも?」

「それで生き残れるなら、その方がいいこともある」

「では、噂は?」

「流れるわ」

「どんなふうに?」


 古参たちは顔を見合わせる。


 そして、誰からともなく笑った。




「顔合わせだった」

「修羅場だった」

「お嬢さんは料理人だった」

「スピリタス梅酒は、ちゃんと物騒だった」

「消火器は惚気だった」

「小熊くんは、やっぱり小熊くんだった」

「ご婦人は、ちゃんと見ていた」

「新参たちは、少し焦げた」

「そして?」

「勇者は戻ってきた」

「本人が嫌がりますよ」

「嫌がる元気があるなら、なおさら結構」


 真実ではない。

 嘘でもない。


 あの夜の出来事を、場にいた者たちがそれぞれ食べられる形へ盛り直したもの。


 白磁の皿。

 トルコライス。

 スピリタス梅酒。

 底に少しだけ残った何か。


 どれも同じ食卓に並んでいる。

 炙り出し舞台とは、そういう場所だった。


 演者だけでなく、客も焼ける。

 皿に乗るつもりのなかった者まで、いつの間にか味を見られる。


 それでも、席が残るなら上等だ。


 昨夜の結論は、たぶんそのくらいでよかった。

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