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三皿目 皿、あるいは消したい名前の話

 小熊の本名を、久しぶりに聞いた。


 いや、最近は噂話でよく耳にはしていた。

 自分たちは、そういう立場だった。


 だが、面と向かって彼がそう呼ばれているのを見るのは、ずいぶん久しぶりだ。

 もちろん、自分たちも、そう呼ばなくなって久しい。


 呼び止められた小熊自身も、一瞬、反応に遅れているように見えて、少し笑ってしまった。


 これはつまり、あれだ。

 プライベートでも、もう本名、特に苗字で呼ばれていないな。


 きっと喫茶店でも、何かしらのあだ名で呼ばれているのだろう。


 そういえば壁際の花なんて呼ばれてた時期もあったな。

 知ってるか?

 あれ、あんまりいい意味じゃないんだぞ。

 むしろ、かなり悪い。


 まあ、知ってるか。

 お前のことだ。

 どうでも良かったんだろ。


 けれど、お嬢さんが来て、あだ名がついて、それに文句を言いながらも受け入れている。


 自分たちも、話しかけやすくなった。

 お前も馴染みやすくなったはず。

 

 うまく言えないが、お前は変な奴だけど、面白い。

 いやむしろ雨漏りが直せる名家のボンボンなんて、面白すぎるだろ。

 もっと早く言えよ。


 もちろん悪い奴じゃない。


 だから、まあ、色々あったかもしれないが、帰ってきて喜ばしいとは思っている。


 たとえ身綺麗じゃなくてもな。




 会話がひと段落ついたタイミングで、声をかけた。


「おう、久しぶりだな」


 いつもの調子で肩を叩いたら、小熊の顔が少し止まる。

 

「……そこはまだ痛い」

「悪い。どこでやった」

「ドローンをキャッチし損ねた」

「……でかいやつか?」

「そこそこ」

「絶対、痛いやつだな」

「回転数が落ちきってなくて」

「もういい。詳しく話すな」


 ドローンを使ったシチュエーションとかは聞きたい。

 だが、リアルで痛々しいのは、ちょっと無理だ。

 

 実は、小熊の痛い話には定評がある。

 もちろん悪い意味でだ。

 正確に淡々と話すせいなのか、こっちの身体が勝手に痛みを生成する。


「角度が」

「やめろって」

「皮膚を」

「センシティブだぞ、その話」

「まだ何も説明してない」

「想像で十分痛いんだよ」


 男たちは顔をしかめた。


 だが、とりあえず小熊が無事に帰ってきたことは確認できた。


 多分、失踪してたのは、療養だったのだ。

 そういうことにしておこう。

 確認しようとすると、こっちの精神力が保たない。


 二本足で立って、ちゃんと口がきける。

 ならいいだろ。


「で、修羅場だったんだろ?」


 ひとりが軽い調子で言った。

 あえて軽い調子にしておかないと、重すぎる話だった。


 話題にしない、という選択肢はない。

 みんな、知っている。

 勘づいている。

 そして、暴きたがっている。


 この手の噂話は、一人歩きさせると炎上する。


「顔合わせだ」

「顔合わせで修羅場になるな」

「なったのは事実だが」

「ほらな」

「そもそも、なんでお嬢さんを連れて行ったんだ?」

「だから、顔合わせだったからだ」


 ここで軽口という形で聞き出しておいたほうが、小熊のためでもある。


 たとえ嘘でもいい。

 本人の口から出た話であることが、時に真実よりも重要になる。

 

 真実は重すぎる。

 そのまま流すには、毒が強すぎる。


 だが、本人が「顔合わせ」と呼んだなら、その皿に盛り直せる。

 少なくとも、社交界の食卓には出せる。


「そんなの、ただの名目だろ」

「名目でも、顔合わせは顔合わせだ」

「置いていく選択肢は?」

「なかった」

「なぜ」

「お嬢さんが連れて行けと言った」

「強いな」

「それに、連れて行かなければ、ご婦人の美意識に許してもらえない」


 あ、やっぱりご婦人の話が出てくるのか。


 そして、なんか普通に怖くて、重要な情報が出たな。

 これ、もしかしなくても俺たちにも関係あるやつだ。


「許されないと、どうなる?」

「抹殺される」

「……殺されるより悪そうだな」

「悪い」

「どんなふうに」

「席がなくなる」

「やめろ。社交界の死因として生々しい」


 社交界において、名前が呼ばれなくなる。

 席は用意されなくなる。

 紹介状も届かなくなる。

 噂にもならなくなる。

 失敗談としてさえ、流通しなくなる。


 まるで、最初からいなかったかのように。


 男たちは、少しだけ姿勢を正した。

 肝に銘じておくべき話だった。


 いやでも、百パーセントご婦人の美意識にお許しをもらう人生って、ハードモードすぎないか?


 ……ダメだ。

 眩暈がしてきた。

 話を戻そう。


「それで、お嬢さんは何か言ってたのか?」

「お嬢さんが、俺を貰い受けると言ったらしい」


 一瞬、男たちは黙った。


 それ、俺たちも一度は言ってみたいやつ。


「……お嬢さん、カッケェな」

「それは、そうだな」

「いや待て」


 別の男が眉を寄せる。


「なんで伝聞調なんだ」

「確かに。お前、その場にいたんだろ?」

「いた」

「じゃあ聞いただろ」

「彼女はテーブルの下にいた。俺は直接は見ていない」


 それはあれか?

 地震でもあったのか?

 お前んち限定で。


 いや、待て。

 もしかして内部告発の内容、人工地震的な話か?


 いやいやいや。

 考えるな。

 そっちに行くと戻ってこられない。


「……テーブルの下?」

「ああ」

「顔合わせで?」

「ああ」

「それ、やっぱり俺たちの知ってる顔合わせじゃないな?」


 このやりとり、なんか前もやったな。


 でもしょうがない。

 テーブルの下の顔合わせなんて、そんなマナーは知らない。


「なんでお前の冠婚葬祭、毎回そうなるんだよ」

「毎回ではない」

「葬式でご婦人と出会って、謝肉祭で勇者になって、顔合わせで彼女がテーブルの下から貰い受け宣言だぞ」

「並べるな」

「並ぶんだよ」

「並べると、だいぶひどいな」

「並べなくてもひどい」


 その原因は、お前の説明能力がポンコツなせい、な気もするが。


「それで、お嬢さんは無傷なのか」

「ほぼ」

「ほぼ?」

「料理人の範囲だと本人は言っている」

「それは本人の申告だろ」

「そうだ」

「で、お前は怪我してる」

「ドローンを」

「その話はするな。痛い」


 テーブルの下に避難。

 そして、小熊は怪我。


 これはもしかしたら、本当に物理的な修羅場だった可能性があるな。

 それは確定させたい情報だ。 


 ちょうどいい噂話がある。

 ちょっとカマをかけてみるか。


「もしかして、消火器が大活躍したりしたか?」

「……なんで知ってる?」

「お嬢さんの消火器捌きは軍人並みだって聞いたことがある」

「誰から」

「社交界ぼや事件に立ち会った人間から」


 ああ、と彼が頷く。

 そして目を細めて、なぜかちょっと機嫌が良くなっている。


「今回も速かったな」

「やっぱり物理的に修羅場だったんだな」

「燃えていたからな」

「比喩じゃないよな?」

「火災対応も料理人には必要だ」

「料理人じゃなく、お嬢さんの話だろ」

「お嬢さんが物理的に弱い、って想像できるか?」


 想像してみる。


 たとえば、お姫様抱っこされているお嬢さん。

 うん。

 これはいい感じだ。


 でも次の瞬間には、


「あっちに消火器あったから、走って」


 とか言いそうなんだよなあ。


 おんぶもいい。

 ぎゅっとしがみつくお嬢さん。

 可愛い。


 でも、やっぱり、


「あの、お肉、美味しそう」


 とか言いそうなんだよなあ。

 比喩じゃなく。


「無理だな」

「農家で船に乗ってて、料理人で、肉も魚も捌くんだろ」

「しかも消火器が軍人並み」


 農家であれば重機。

 船であればボート。

 料理人なら包丁。

 狩猟免許も持っていると、聞いたことがある。


「むしろ弱かったら、設定に無理があるな」

「本人の前で言うなよ」

「言わねぇよ。怖いから」


 そこで、ひとりがしみじみと言った。


「……お前、なんで生きてるん?」

「俺は消火器を向けられてはいない」

「そういう問題じゃない」

「お嬢さんは敵じゃない。俺を殺されないようにしてくれたしな」


 男たちが身構える。


 修羅場にしても物騒な単語が急に出たな。

 これはあれか?

 不慮の事故の方か?

 それ、俺たちが耳に入れて大丈夫なやつか?

 後で消されたりしないか?


 確かに気にはなる。

 小熊が話す気なら、聞いてやらないと男が廃る。

 

 でも、心の準備ができていない。


 深呼吸……よし。


「……誰から?」

「ランチビールの奥さんから」


 お前んち、そんなファンシーな暗殺者いるん?


「誰、それ?」

「喫茶店の常連だ」


 なんで顔合わせの修羅場の話を聞いてるのに、喫茶店の常連が出てくるんだよ。


 話の接続がおかしいだろ。


「……常連に殺されかけてるのか、お前」


 突っ込みたいのをギリギリ堪えて、話を促す。

 こういう時は否定しちゃいけない。

 話を聞く時の基本だ。


「いや、条件を出されていた」

「条件?」

「お前は死んでもいい。彼女は無傷で返せ、と」

「怖いな、その常連」

「名目なんて無視して、騙し討ちすればいい、とも言っていた」

「生活者の知恵が物騒」


 男は、首を傾げた。


 なんだか、お嬢さんの武勇伝ばかりストックされていく。


 いやいや、小熊。

 お前の話をもう少ししよう。

 でないと、噂のバランスが悪い。


 もちろん、ドローンの痛い話以外で。


「そういや、さっき新参に話しかけられてただろ」


 多分、家のことを聞かれていたはずだ。


「なんか変なこと聞かれなかったか?」

「家が大変ですね、と」


 その聞き方は直球すぎるだろ。

 この場では自殺行為だぞ。

 よりによって、その話題を。


「失礼な奴だな。で、なんて答えたんだ?」

「まあ、大変だったと答えた」


 そりゃ、お前はそうだろうよ。


「……続きはあるよな?」

「どうするんだ、と聞かれたから」


 新参、踏み込むなあ。


「彼女の籍に入るつもりだ、と答えた」


 彼はさらりと言った。


 男たちは黙る。


 最初に言ってた貰い受け宣言、比喩じゃなかったのか。


 いや、だがしかし社交界において、名家の名を捨てる。

 肩書を捨てる。

 後ろ盾を捨てる。

 捨てると……ん?

 この場合、どうなるんだ?


 内部告発は多分、小熊がやった。

 顔合わせも多分、修羅場だった。

 不慮の事故は、不慮の事故だ。

 たぶん。


 つまり、気に入らない実家を内側からも外側からも潰しておいて、自分はお嬢さんのところに入れてもらうのか。


 それって、かなり凶悪じゃないか?

 悪いやつじゃないと思ってたけど、ちょっと撤回していいか?


 小熊が首を傾げる。


「これを言うと、皆、黙るな」

「……そりゃな」

「本名で呼ばれたことなんて、ほとんどないのにな」

「それは……お嬢さんの名付けが強すぎるんだよ」

「……お嬢さんの名付けは、もういい」


 ん?

 声のトーンが変わったな?


 っていうか、俺ら、なんで睨まれてるんだ?

 さっきまで上機嫌で物騒な惚気を話してたじゃないか。


「勇者は嫌だ」


 彼は、心底嫌そうに、そして切実に続けた。


「苗字が変わるんだから、リセットでいいだろ」


 男たちは顔を見合わせ、笑った。

 そんな都合のいい話はない。

 

 まあ、ご婦人に抹殺されたら、勇者どころか全部消えるんだろうけど。




 しばらく、いつもの押し問答が繰り広げられた後、誰かが思い出したように言った。


「そういえば、別の名前も出てたな」

「やめろ」


 彼は即座に言った。


「まだ何も言ってないだろ」

「嫌な予感がする」


 では、発表する!


「破壊神」

「荒ぶる者」

「クラッシャー」

「闇のルース」


 さあ、勇者よ……自ら名を選ぶのだ。


「……それ、言ってて恥ずかしくないか?」


 彼が本気で引いた顔をした。

 よく見ると、本当に一歩下がっている。


「やめてくれ」

「そんな目で俺たちを見るな」

「イケメンの目力、だめ、絶対」

「顔は関係ないだろ」

「ある。今のはある」

「冷静な顔で正論を言うな。傷つくだろ」

「傷つくなら、最初から言うな」

「それはそう」

「まあ、外には出せないな」

「名付けた側に悪名がつく」

「言うのも聞くのも恥ずかしい」

「名付けとして三重苦だな」


 ならば、結論は一つ。


「だから勇者でいいだろ」

「そんなわけないだろ」

「でも、もう通ってる」

「だから嫌なんだ」


 彼はすこぶる恨めしそうだった。


 男たちは、それを見て笑った。

 いつもの流れだ。


 そして笑いながら、ちゃんと見ていた。


 お嬢さんは、女性たちの輪で笑っている。

 ご婦人も、そのそばで楽しそうにしている。


 彼は怪我をしている。

 それでも立っている。


 なら、まあ。


 よくやったのだ。


 本人がどれだけ嫌がっても。

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