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退勤 入会資格、あるいはエレガンスの使い方

 使者は手紙を渡した後、階下の受付カウンターへ立ち寄っていた。

 ご婦人の場への入会方法を問い合わせるためだ。


 スタッフは首を横に振った。


「入会資格をお持ちでない方には、ご案内することができません」

「その資格についても、お聞きしたいのですが」

「そちらも私どもからは、説明できない決まりとなっております」


 使者は頷いた。

 相手からすれば、紹介者である顔も連れず、一人立ち寄った一見の男。


 身なりは整えてきていた。

 だがスーツからは、まだ制服の匂いが抜けてないのかもしれない。


 つまり、まだ個人として信用を着れていない。


「では、こちらについて伺いたいのですが」


 黄色のコインをカウンターに滑らせる。


 スタッフがコインとこちらを見比べた。


「照合させていただいても?」

「どうぞ」


 コインをトレイの上に乗せる。


 どこかの端末から高く、短く、電子音が鳴り、スタッフが頷く。


「大変、失礼いたしました」


 こちらへどうぞ、とカウンター奥の扉を指し示した。




 別室はさほど広くはなかったが、ガラス張りのテーブルと壁にかけられた海の絵、そしてゆったりと身体を受け止める一人がけのソファが開放的だ。


 それでもやはりどうしても、秘密めいた空気を感じるのは、スタッフルームへの扉が視界に入るからだろうか。


 スタッフを待つ間、トレイの上に置かれたコインを眺め、あの男のことを考える。


 ここへのコネクターとして利用した顔から聞いた話では、名家のボンボンでご婦人のお気に入りという紹介。


 社交界の客たちからは、壁際の花、小熊、ルースという単語。

 料理人の女を溺愛しているらしいこと。


 身辺調査としては喫茶店のオーナーと、何やら便利屋のような仕事を掛け持ちしているらしい情報。


 そして噂話としては、勇者であり、ヒモであり、呪いの生産者。


 知っていた話と、知らなかった話。

 知りたくなかった話と、知らせ方がわからない話。


 品の良さと、ガラの悪さと、どこか浮世離れした雰囲気。

 そして妙な気前の良さ。


 それらに服を着せると、あの男になり、加工すると、このタンポポのコインが生成されるらしい。


 根も葉もないが、花はある。

 そんな男。




「先ほどのコインについてですが」


 その女性スタッフは、分厚いカタログ冊子を手に現れた。

 受付スタッフなどはクラシカルなドゴール帽をかぶっていたが、彼女は違う。


 黒のスーツ。

 ネームプレートと首に巻いたスカーフがなければ、客と見間違えるかもしれない。


 マネージャーもしくはコンシェルジュ、といったところだろうか。


 なんとなく、後者の方がエレガンスだな、と使者は思った。


 コンシェルジュは向かいの椅子に着席し、言った。


「初回の入会資格として、ご使用いただけます」


 入会登録をする時に、一緒に入会時のコインを登録するのだという。


 つまり誰からの信用で、この場に名前を通すのか、ということを、システムに残す。


 この場らしい、嫌なシステムだ、と思った。


 顔に連れられた客は、入会するかどうか、何度かの訪問の過程で決める。

 通常なら客がその場を気に入れば、入金をして、入会する。


 決定権は客にある。

 だってそうだろう?

 客なのだから。


 だが、この場では違う。

 客がこの場にふさわしいか、値踏みするのは、他の客だ。


 客であって、客でないものたち。

 招かれ、席に座り、テーブルを囲う者たち。

 強いていうなら食客。


 どういう基準かは、わからない。

 だがこの場の人間に、ふさわしいと判断されると、文字通り信用が渡される。


 クレジット機能を持ったコインが。


 ただそんな物を、あまり関係の深くない人間に渡すのはリスキーだ。

 だから初手で持ち帰れないように、入会証明で使用し回収する。


 つまり、入会証明を信用で購入する。

 エレガンスで結構なことだ。


 もちろん、客がまだ体験入会の時に、高い酒などを購入することもあるだろう。

 だがそれはそれを見抜けなかった人間が悪い。


 信用を渡す、ということはそういうことだ。


 そしてポイントは、この場に連れてきた顔が、必ずしもコインを自分の客に渡すわけではないということ。


 顔もまた客を見る。

 客の、この場での振る舞いを。


 例え自分が連れてきた人間であっても。

 社交界、いやご婦人の炙り出しの舞台で、どう踊るのかを……。


 それにしても、と使者は少し気分が晴れる。

 なぜなら得をしたからだ。


 一枚のコインで二つの答えが返ってきた。


 聞きたかったことは、入会の方法と、コインの使い方。

 これはもともと、二つ別々の問いだった。


 普通ならば一つの問いには、一つの答えが返ってくる。


 一枚のコインで一つの決済。

 先ほどあの男も、二本の葉巻を二枚のコインで決済していたのを、思い出す。


「では入会すると、コインは回収されるのですね」


 質問ではなく、確認のつもりだった。


「いいえ」


 コンシェルジュは首を横に振った。


「登録後にコインは、お返しいたします」


 言葉に詰まった。

 質問の仕方が悪かっただろうか。


 彼の混乱を見てとったのか、コンシェルジュが続けた。


「そのコインで年会費をお支払いいただくのでしたら、回収されることになりますが」


 混乱は解消されなかった。


 何から、どうやって、質問をすればいいのかわからない。


 コンシェルジュを見る。

 ネームプレートが光る。


 そこで自分に言い聞かせる。

 自分は、まだ客だ。

 であれば、彼女の言葉の流れで質問をしても大丈夫だろう。


「年会費の支払いにも使える、と」

「はい」

「一枚で?」

「人によります」

「……支払い枚数も?」

「はい」


 返事が短いのはありがたい。

 こちらも短く続ける。


「二枚なら二分割」

「はい」

「三枚なら三分割」

「そうです」

「同じコインを二枚なら?」

「同じ方が分割払いですね」


 コンシェルジュはそこで、ふふふ、と笑いをこぼす。

 失礼しました、と言うが、それでも唇に形が残っている。


 その詫びだとでも言うように、サラッと彼女は言う。


「皆様、事業を起こす方に、十二枚のコインを集めるまでは、やめておきなさい、とおっしゃるそうです」

「一ヶ月分の参加費用を受け持ってくれるツテを、少なくとも十二人得てからにしなさい、ということですね」


 そうすれば何かあった時でも、一年間この場に他人の信用で繋がることができる。


 このコインは資産ではない。

 クレジットだ。

 他人からの与えられた、可視化された信用。


 本来であれば目に見えず、前借りすることはできない物。

 存在しないとされているものなら、没収されない。


 それを渡される意味とは?


 ――使用後に手元に残ったとしたら、それはどこかにツケが回った可能性を考えないといけない。


 誰が言ったんだったかな。

 と使者は半分、現実逃避気味に思う。


 半分は自分。

 だが自分は詩人ではない。

 元ネタを一度、確認する必要がある。


「後日、手続きに来てもいいですか?」

「はい。有効なコインであれば」

「……有効期間があるのですか?」

「期間というより、状態ですね」


 コインはクレジット機能を持っているが、それはこの場の決済システムを通して行われる。

 どこに繋がっている?

 それはもちろん、クレジットカード会社だ。


「発行者が退会された場合、そのコインは無効になります。その他、紐づけられたクレジットカードの利用状況・規約等によって、ご利用いただけない場合があります」


 つまり、コインと紐づいているクレジットカードが使えなくなったら、使用不可である。


 退会。

 自己破産。

 紛失。

 更新ミス。

 そして死亡。


 ようやく馴染みのある仕様が戻ってきた。


 それならば、と使者はポケットから銀色の薄いケースを取り出す。


「もし本契約する場合、あなたにお願いできますか?」

「私に、ですか?」

「ええ。今日、説明を受けたのはあなたですから。可能なら名刺をいただきたい」


 取り出した名刺を見て、コンシェルジュの顔が一瞬だけ止まる。

 そして柔らかく破顔した。


「もちろんです。本来は、そのようにしていただくのが一番助かります」


 彼女も名刺ケースを取り出す。


「時々、コインの交換を持ちかけられることもあるんですよ」

「交換?」

「私のものと、お客様のものを」

「……応じるんですか?」

「まさか」


 スタッフもコインを所持しているのか、という驚きはもうなかった。


「金ではなく、あなたとの関係を買おうとしている?」

「そういう言い方をされると、非常に嫌ですね」


 と言うものの、顔には出さず、彼女は続けた。


「コインそのものを欲しがる方より、コインを渡したという事実を欲しがる方のほうが、厄介な場合が多いです」

「……面倒なものを支給されていますね」


 コンシェルジュは頷く。

 そして魔法の言葉を言った。


「はい。でもエレガンスではあります」


 対する自分は


「お互い、雇われは大変ですね」


 これが精一杯だった。




 ホテルから出て、夜の街を歩く。

 オフィス街を抜け、喧騒が落ち着いた先に、さらに暗い一角がある。

 公園だ。

 敷地内に科学館や美術館があり、広い敷地に何体も奇妙なアート作品が立っている。

 そのうちの一つの前で立ち止まる。


 スマホを取り出し、テキストを打ち込む。


 本日、正式な入会資格を受け取りました。

 後日、本契約の手続きを行うか、検討中です。

 今回以降、あなたの紹介を使用する予定はありません。

 契約分については、当初の条件どおり精算します。


 送信して、しばし待つ。


 本来であれば、電話をするところだったが、今回の顔はまだ会場にいるかもしれない。


 その可能性があるなら、こちらからコールするのは、エレガンスではなかった。


 だがそれも杞憂だったようだ。

 既読とほぼ同時に、着信のベルが鳴る。


「何したの、あんた」


 若い女の鋭い声が吐き出される。


「手紙を渡した」

「それだけ?」

「葉巻もご馳走に」

「それでなんで会員資格を持って帰ってくるのよ」

「入会資格を得たことまでは、今後のこともあるのでお伝えしました」


 電話の向こうで、女が鼻で笑う。


「別に次のパーティーで会ったとしても、何も言わないわよ」

「噂話になると、まずいのでは?」


 カップルを装って入ったのに、次のパーティーでは別のコインで他人顔。


「よくあることよ」

「顔を金で売買するのも?」

「そうよ。でも、コインは違うのよ」


 信用の売買は御法度。


 顔を売った、現金で買った、は風の噂だ。

 けれど、コインを売った、買った、使った、となれば帳簿に残る。

 風の噂が情報になる。


「だから変な気を使わないで。コインに関しては嘘をつくな」

「悪い人間から、正直者であれ、と言われるとは」

「私の顔を貸したんだ。入会資格に関しても口外するな」

「わかってますって」


 きっと彼女もどこか外なのだろう。

 口が悪くなっても、咎める人間もいない。


「で、誰にどんなコインをもらったのよ」

「知っているでしょう?」

「どのコインで入会するつもりかって聞いてる」

「そんなにもらってませんよ」

「もらってくれないと、それはそれで困る」

「なぜ?」

「見る目がない、と思われると品位が下がる」


 少し考えて答える。


「黄色い花のコイン」

「……裏は?」

「綿毛です」


 向こうから、ため息。


「ちゃんとタンポポって言いなさいよ」

「なぜ?」

「文脈が読めないって悪評が立つ」

「女性陣で?」

「そんなところよ」

「デメリットは?」

「電話を切られる」


 と、言われると同時に、通話が終わった。


 使者は気にした風もなく、スマホをポケットにしまう。


 あの時に通された部屋での出来事を思い出す。


 分厚いファイル。


 大量のコインのデザイン案と色見本。

 現物のサンプル。


 特に種類豊富なのが、花のカテゴリー。

 季語で並ぶという徹底ぶり。


 春のページにその花のモチーフは登録されていた。


 横からのカット。

 長い茎。

 ギザギザの葉。


 タンポポのモチーフだった。


 トレイの上に置かれたコインと、そのページのデザインを見て、コンシェルジュが教えてくれた。


「そのコインの意匠は、汎用花の菊ベースですね」


 なぜか慰めるような声音だった。


「お刺身についている、食用菊に見た目が近いので、タンポポとして使われたのかもしれません」

「何のためについてるんでしたっけ?」


 思わず、そんなことを尋ねた。


「確か、殺菌作用があるとか」


 花びらは食べることができるらしい。

 花占いとコイントス、どちらの方が正確だろうか。


 自身の今後について占うために、一度デパ地下あたりで入手するべきかもしれない、と使者は本気で考えながら、帰路についた。

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