休憩 吊るし首、あるいは雀の涙
男が去った後、彼はテーブルの上に残された手紙に、ようやく手を伸ばした。
憂鬱ではあるが、そろそろ来てもらわないと困る一通ではあった。
正確には、この経路で来てもらう必要のある手紙。
ここであれば、どこかに痕跡が必ず残る。
しかも、悪趣味のおまけ付きで――
スーツの内ポケットに手紙を仕舞う。
そのタイミングで彼の前の椅子に、影が断りなく腰を下ろした。
「ねぇ、本当にリーズナブルになるの?」
影というには華やかだ。
だが花というには騒がしい。
「何がだ?」
「ボトルよ、勇者のボトル」
口火の雀羅、または、雀の姐さん、と呼ばれている古参の女性だった。
古参といっても、年齢はわからない。
いつも首元や手元を、襟、袖、レースで隠し、アクセサリーで視線を逸らしてくる。
だが彼女がご婦人よりも年上か年下かでボトルトスをして、席を失った人間の数なら知っていた。
どちらの年齢もわからないから、本来は成立しない賭けだ。
そう反論することは容易い。
けれど噂話を集める動機としては理解できる。
「聞いてたのか」
「聞こえるように話してたくせに」
しかも、と雀の姐さんは続ける。
「値段を跳ね上げたでしょ」
「好きな値段の酒で、ボトルトスすればいい」
――ボトルトス。
共同購入という名を被った合法賭博。
賭けるのはコインと信用。
占うのはもちろん噂話だ。
報酬は割り勘された酒と、帳簿に刻まれた名前と数字、そして名誉らしきもの。
やり方は簡単。
ボトルの首にコインを、メダルのように結いつけるだけ。
指定の人数、あるいは時間で締め切り招集。
ボトルの首にコインをかけ、なおかつ召集に応じた人間のコインで、割り勘決済する。
「安酒ですむ内容じゃなかったわよ」
「あんたが高い酒を飲みたいだけだろ」
「正確には、高くて、美味い酒の、最初の一口、ね」
と修正しつつ、雀の姐さんは一枚のコインを弄ぶ。
――コイン。
クレジットカードの決済サービスを、物理的なコインに分割したもの。
この社交場で使用されるメインの決済方法だ。
自分で色や紋章を選べ、発行数も自由。
決済の際の認証が不要なため、譲渡することも可能。
リテラシーが右か左か占う機能が、標準搭載されている。
「今日のボトル、トスしてあったのに立ち会えなかった」
「べつにゼロ円決済になるだけだ」
「雀さんは『噂を肴に高い酒を一緒に飲みませんか?』と発案したくせに『出資をパスしました』って残るのよ」
ボトルの首と帳簿に!と睨みながら葉巻に火をつける。
トスした人間が開栓に立ち会えば、そのコインでペイして乾杯。
立ち会わなければパスとして0円決済され、記録だけ残る。
悔し涙を飲めばいいだけ。
記録とは?
もちろん帳簿と、ボトルの首にメダルのごとくかかったコインだ。
実際に支払い義務を果たしたコインの横に、不義理のリボンをつけられたコインがぶら下がる。
もちろん、やむを得ない理由でパスする場合もある。
だがその真相はやはり噂話の中なのである。
「いつ呼び出しがあっても飛び立てるように、短い葉巻にしてるのに、意味ないわ」
彼女が吸っている葉巻は、燃焼時間7分のショートタイプだ。
彼の葉巻は終わっている。
立ちあがろうと腰を浮かせたところ、雀の姐さんが片足を伸ばして行く手を阻む。
トン、とつま先が床を鳴らす。
エナメルのバレエシューズ。
ヌーディーなくすみカラーが、艶やかに光る。
ヒールはあるが、軽やかだ。
「パスした人間の次のボトルに、出資者がどれだけ集まると思ってるのよ」
「知らん」
「私が次のボトルを立てるには、まだ火力が足りない」
わかるでしょ、と睨まれ、彼がため息をつきながら、もう一度席に着く。
その息に煙が含まれてないことを確認して、雀の姐さんが葉巻を差し出す。
「いらない」
「何よ。副流煙でも満足できるの?」
「コインを分けた意味が無くなる」
「あら、お嬢さんの帳簿にもつけたのね」
「ああ。一本分な」
「一本分?」
「そうだ」
「イケメン奥義の浮気潔白証明用ゼロ円決済じゃなくて?」
雀の舌は小さいというが、よく回る。
「彼女には了承を得てる」
「そういう問題じゃないわよ」
「葉巻としては高いが、高額決済じゃない」
「金額まで帳簿に証拠を残さないとまずいの?」
情報量は多ければ多いほど高値がつき、分散されればされるほど価値が下がる。
安全保障になるかは、その時次第だ。
「喜べ。高い酒が飲めるぞ」
「飲みたいけどね。不発だったら私が死ぬのよ」
「財布がか?」
「急性アルコール中毒で、よ」
「高い死因だな」
「噂話としては、安い」
私のくたばった理由なんて、それくらいの価値よ、と煙を摂取し、
「でも、勇者は違う」
と雀の古参は灰色の息を吐く。
「実はすでにあなたの首には、たくさんのコインがぶら下がってるのよね」
「派手な吊るし首になりそうだ」
「お洒落でしょ」
「コインの柄による」
「言葉に気をつけなさいな。足元のお馬さんの機嫌が、すこぶる悪いみたいだし」
「楽しくていいじゃないか」
「ええ、人の不幸は蜜の味。でもまだ怖くて石を投げられない」
「なぜだ」
「罪状が読み上げられてないからかしら」
「必要か?」
「だって場合によっては、酒に毒が盛られそう」
「まだ封も開いてないしな」
そう言って彼が、手紙をしまった内ポケットあたりを軽く叩く。
「戻ってはくるんでしょう?」
「生首か、首なし、どっちがいい?」
「イケメンだから生首一択」
即答したあと、何気なく聞く。
「お嬢さんは?」
「戻す」
「今のでコインが増えたわね」
よろしい、よろしい、と言いながら、腕を組んで考える。
考えつつ、参考までに問いかけた。
「献杯の酒は何がよろしくて?」
返事は期待してなかった。
「ウィスキー」
頭の中で開いていたドリンクメニュー。
ページを捲る手がとまった。
「……それ銘柄を逆引きしないといけなくなった」
値段はピンキリ。
でもどうせ、イケメンからの指定ならテッペンから。
ウィスキーならば長く保管できる。
つまり、長期でコインを募集できる。
開封したあとも、急いで飲み切る必要はない。
そして何より少量でも飲み方次第で、どのようにも変化させられる。
そう、噂話のように。
「そうか。よかったな」
「本当にリーズナブルになるの?」
「集めろ」
「出資者を?噂話を?」
「両方だ」
出資者が多ければ多いほど、一人あたりの負担は軽くなる。
高い酒ほど多くの人間が乗れば、それだけ一杯はリーズナブルになる。
ただし、そうなればなるほど、飲める量は少なくなる。
さらに厄介なのは、トスした人間が必ずしもペイするとは限らない。
もちろんパスと言っても、処理としては決済だ。
たとえゼロ円だとしても。
だから実際にペイする金額は、封を開けるその瞬間までわからない。
「ボトル一本で首は足りる?」
「相手次第だ」
トスする人間は集めすぎるのも良くない。
人が集まれば、噂話と情報が集まる。
デマも危険情報も、お友達だ。
「逃げ出す人間が多くなっても困るのよ」
「数があれば、魔除けにはなるだろ」
ゼロ円決済のコインでもな、と今度こそ彼は煙を纏って立ち上がった。




