出勤 飾り着、あるいは宝貝の使い方
連絡を受け、駐車場へ行くと、情報屋の男はすでに車の前で待っていた。
時刻は夕暮れ。
ようやく日の傾きと、時計の針が一致し始める季節だ。
遠隔で車のロックを外してやると、男は助手席に素早く乗り込む。
こちらが運転席に座り、エンジンをかけると、勝手にカーナビを操作する。
目的地は街の中心地。
夜が早いこの街の、それでも喧騒が途切れないエリアだ。
車を発進させ、流れに乗ったところで、男が口を開いた。
「昇進おめでとう」
「言っていたか?」
「スーツでわかる」
スーツというのはシンプルな装いに見えて、実は情報量が多い。
公私共に流通しているファッションだからだろうか。
どんなにカジュアルな着こなしでも、仕事の気配がする。
スーツの変化はすなわち仕事の変化だ。
そういう男の着ているスーツも、かなり良い仕立てだ。
そして所作と生地の皺に矛盾がない。
「お前の方が着慣れているな」
車に乗る前の、男の胸ポケットを思い出す。
花は挿していなかった。
現場帰りではないようだ。
男は肩をすくめた。
「店員に勧められたのを着ているだけだ」
「もし好みでないのを勧められたら、どうするんだ?」
と問うと、男は事も無げに言った。
「買わなければいい」
「それでは仕事で着られない」
「最近はレンタルもある」
この男らしい、と言えばらしい。
ならばスーツの着こなしは、服が馴染んだのではなく、その逆ということになる。
それが本人の嗜好で決まるわけではない、というのであれば、やはりブランドというやつは制服の機能がある。
名前にふさわしい振る舞いを、人間に強要する。
それができない場合を「服に着られる」と表現するのだろう。
「それでも他人の尺度で、金を払うことに変わりない」
警察という仕事柄だろうか、店員の判断基準を深読みしてしまって、なかなか気が進まない類のサービスだ。
かと言って、専門家の意見は重要でもある。
聞いてしまえば、無視はできない。
それでも借りは借りだ。
無視できない借り。
一番、厄介で後を引くやつだ。
「もともと社交界には、スタイリストの文化があるんだ」
「案外こだわりがないんだな」
「仕事着だからな」
男がネクタイを直しながら言う。
場にふさわしい装い。
相手の無礼にならない装い。
流行に乗った装い。
人の記憶に残る装い。
話題になる装い。
全て自己表現であり、自己防衛の機能がある。
そのどちらも貸し出すサービスがあるのだという。
エレガンス貸し出しサービス
「風見鳥の飾り着」
そしてそのサービスの利用者は、スーツだけでなく、物語を借りられる。
このサービスを流行らせた男の武勇伝。
サービス名の由来。
葉巻の煙の逃し方。
酒の値段と希少価値と味わい方について。
特定不能の色恋沙汰。
唐揚げのエレガンスな食べ方。
シミを隠すブローチ。
スーツの皺を作った人間の話。
特にポケットに回収されずに残されたヒヤリハットが、人気の秘密なのだと言う。
どこまでが比喩なのかは分からない。
「会員制のレンタルサービスだ」
「ほう」
「必要なら紹介するが?」
「毎日は無理だぞ」
警察官とはいえ、ただの公務員だ。
国民から防衛権など一部権利を借り、権限として加工し、仕事をしているにすぎない。
借りた物には利子が付く。
時に命をかけた働きを求められるのは、その利子の分だ。
ならば危険を引き受けられない警察官は、一刻も早く借りた物を返すべきである。
だからこそ、わざわざスーツにまで、借りを作りたくはない。
情報屋の男は笑った。
「イベントの時だけでいい。これから恥をかかないようにだ」
「スーツのランクか、話題か、どちらの意味でだ?」
「両方だ」
「お前もこれから社交界出勤か」
「スーツの時はだいたいそうだな」
カーナビの地図を見る。
目的地までは、さほど遠くはない。
だが帰宅ラッシュで、道が混み始めている。
タクシーも多い。
この場合は通勤ラッシュか。
男の顔見知りも、その中にいるのかもしれない。
男が出入りしている社交場は謎が多い。
いや、そもそも社交界そのものが、閉じられたコミュニティーネットワークであることは共通だ。
だがそれでも、あの場は他とは違う。
匿名のコミュニティーというわけではない。
仮面パーティーでもない。
噂話はよく流れる。
ご婦人と呼ばれる女主人の存在。
美意識の掟。
情報の通貨。
あだ名の文化。
そして、名付け。
平安貴族と社交界文脈の混ざり物。
国家権力側が入り込めない場であることも、謎を深めている。
もちろんそれは権力側からも、距離を置いているというのもある。
そうでなければ、社交界はあっという間に汚職の現場になる。
海外での大スキャンダルを思い出す。
それは望ましくない。
双方において、だ。
だが情報に価値があるのは、社交界だけでなく、警察組織もまた同様だ。
となると正しく接続できる人間が重宝される。
あの場には、少し暗い人間も出入りしている。
正確には暗がりにアクセスできる人間だ。
自分にとっては、この男だ。
だから男は自分の部下でもなければ、外注スタッフでもない。
勝手に自分に仕事を持ってくる。
どこかから得た情報を、自分で仕事にして、きりがつくと引き継ぎに来る。
こう言葉にすると、どっちが上司で部下かわからなくなる。
どちらでもないが。
付き合いが長くなれば、少しばかり私的な話もする。
情報の加工方法について、などだ。
情報を情報のまま売買するのは安い。
仕事に加工した方が、付加価値が高い。
と男は端的に答えた。
おそらく男が出入りする場では、基本中の基本なのだろう。
情報をどう扱い、加工するか、で品位が問われる。
位が高い方が、質の良い情報が手に入る。
普通ではない。
だが意味のない物差しに従う男でもない。
ならば「品位を問うてみる」しかない。
と、言葉の意味を調べたことがあった。
品位にはエレガンス、という意味以外にも文脈があるようだ。
含有率。
鉱石に、目的とする成分がどれだけ含まれているか。
そういった査定の現場でも使われる。
男が言った通り、情報を情報のまま売買するのは安い。
鉱石を掘り出しただけなのと同じだ。
そこから不純物を取り除き、使える形にする。
金であればインゴット。
さらに信用を付与し、流通できる形にしたものがコインだ。
コインになれば、そこには金そのものの価値だけではなく、発行した者の信用や、流通した場所の情報まで付与される。
つまり情報量が多くなる。
そしてその情報の信用を担保するのが、名付けだ。
同じ情報でも、誰が言ったかで扱いが変わる。
「男が言った」と「警察官が言った」では違う。
情報そのものは一文字も変わっていないのに。
そして通貨が最も価値を生む場面は?
仕事だ。
良質な情報を初期投資として使えば、その後の生産性と品質が上がる。
そして仕事は、さらなる通貨をも発生させる。
男が出入りしている社交場は、その理屈で動いている。
そして品の位と書く通り、エレガンスにはランクがある。
情報の品位。
それがあの場でのヒエラルキーだ。
流石に情報屋である男が発行するコインは、金属の金では作られていないだろう。
さらに希少性が高く、扱いに危険を伴う鉱物で作られているのはわかる。
それがあの社交場において、どのランクに属しているのかはわからないが、決して低くはないはずだ。
そのコインで、呪いの一つや二つ、作り出すことができるほどには。
やはり普通の情報屋ではない。
でも他に名前がない。
自分では思いつかない。
ま、普通は警察官が運転する車両を、タクシーの代わりにはしない。
……いや、本当に足にするだけじゃあるまいな?
と不安になったところで、男が持っていた紙袋を掲げる。
「『子取り箱』について追加情報だ」
「『子守りの唄箱』だろう」
「レンタルサービスがあるらしい」
車の速度を落とす。
左折指示を出す。
自転車の巻き込み確認をし、曲がり角を曲がった。
西日が眩しい。
メガネには可視光線対応の調光レンズが入っている。
だが色が変わるまでは時間がかかる。
言葉の意味と意図を混ぜないためにも、迂回が必要だ。
「スーツではなく?」
「箱だ」
「誰が貸した?」
「さあ」
「どこが借りた?」
「確認できたのは保育園だな」
「いつ使われた?」
「入園のための面接があったらしい」
「鳴ったのか?」
「子供は泣いたようだ」
「その名前は?」
「リスト化されていた」
「それが目的か……」
「おそらくな」
「いつ頃から名前を収集していた?」
「さあな」
『子守りの唄箱』の時は、確認されなかった情報だ。
『子取り箱』だったから、噂になった。
「買取りサービスもあるらしい」
もう一度、今度は右折をする。
「『子取り箱』のか?」
「いや、これは『唄箱』だな」
この男が『唄箱』と言っているということは、『子取り箱』誕生のきっかけになったあの箱だ。
「持ち主に話は聞けるか?」
男は頷いた。
「客として通しておく」
「……何のだ?」
「エレガンス貸し出しサービス」
「……風見鶏だったか」
「ニワトリ、と書くなよ」
「なぜ?」
「そいつが、鶏を嫌いだからだ」
「味か?アレルギーか?」
「いや、歌わないからだ」
「分からん」
「鶏肉アレルギーだと、たしか魚も食べられないな」
「……心当たりがあるなら検査しろ」
「その検査キットなんだが……」
男が書類が入っているであろう紙袋を探る。
取り出したのは、5センチ程の白い楕円の塊だった。
「作った」
「……検査キットを?」
「正確には検出装置だ」
「……アレルギーの?」
「『貝の歌』を検出できる」
「ちょっと待て、その音は一部の子供にしか聞こえないはずだ」
そのせいで、蓋の開いた箱を見つけても、大人では確認できなかった。
ただ縁起物の箱が置かれているのだけなのか、唄を流しているのか、聞こえる誰かを探しているのか、もしくは蓋を閉める人間を炙り出しているのか。
左ウインカーを出す。
ゆっくりと歩道を横切り、ハンバーガー店のドライブスルーに入る。
マイクに向かって注文をしたあと、そのまま進み、順番を待つ。
少し時間がかかりそうだった。
隣の男を見る。
男がその白い塊を差し出したので、受け取る。
白い、シンプル極まりない造形だった。
手で握り込んで、既視感を覚える。
ちょうどワイヤレスイヤホンと充電器がこのサイズ感だ。
楕円の一番長い場所にスリットがある。
ただの切り込みではない。
内側に巻くような構造で、それが左右に二つの部屋を作っている。
その構造にも、見覚えがある。
「子安貝だな」
「ああ、確かに似てるな」
「そうデザインしたんじゃないのか?」
「偶然だ」
男が使い方を説明する。
このスリットの両端を指先でつまむように持つ。
本体には可能な限り触れるな。
スリット面を検査したい対象に向ける。
『貝の音』が鳴っていたら、共鳴する。
「精度は?」
「防音の効いた静かな部屋なら、入っただけで指先に伝わるかもな」
「そうでないなら?」
「かなり接近しないと無理だ」
だから箱の場所を特定する装置というよりは、箱が『貝の音』を奏でているかの検査装置として使うのがいいだろう。
と、そこで窓口へ呼ばれた。
少し右に寄せつつ、車を進める。
窓を開けると、排気ガスと動物性油の匂いがまとわりつく。
二つ紙袋を受け取り、一つは後部座席に、もう一つは助手席の男に渡す。
「アイスコーヒーは奢りだ」
「どうも」
ドリンクホルダーに二つのカップが並んだのを見て、車を発進させた。
男がストローを取り出し、それがプラスチックなのを確認して、安堵の息を吐く。
紙ストローは不味い。
だがスーツを汚さないためには、どちらであろうと、使わざるを得ない。
そう、使わざるを得ない。
使い方はさっき聞いた。
使う場所は、もちろん箱のあるところだろう。
では次は?
使い所だ。
子安貝の見た目をした装置。
最古の通貨の形をした装置。
現代の通貨は、素材そのものの価値より、そこに乗せられた信用の方が大きい。
さらに人間はそこに欲望を乗せる。
人前で無闇に金銭を見せびらかすものではない。
だが目の色を見るにはいい。
「何も言ってこない奴が危ないな」
とこちらの思考を読み取ったかのように、男が言った。
「……止める奴じゃなくてか?」
「それは分かりやすいだろ」
「確かにな」
上層階にある、あの部屋の箱を思い浮かべる。
シャコガイが笑っていた。
「色々と聞いてくる奴だったら、教えてやればいい」
「何をだ?」
「制作方法だ」
日はすっかり沈んでいる。
信号で止まる。
「いいのか?」
「俺一人じゃ、もうこれ以上は検証できない」
「どういうことだ?」
「装置は作れた。だが、別の条件でも使えるか確かめたい」
「何が必要なんだ?」
「比較できるデータだ。一番持っているのはそっちだ」
「何のデータだ?」
男は目だけでこちらを見て言った。
「対照群」
質問をしようとして、喉が渇いていることに気がついた。
まだ信号は赤だ。
コーヒーをストローで吸い上げる。
氷の音と酸味が喉の奥を流れていく。
紙ストローで飲むアイスコーヒーは不味い。
だがもしプラスチックストローの存在しない世界に、生まれていたとしたら?
不味いも何も、比較する物がなければ、その味の違いに気づかない。
もちろん男は、ストローの話をしているのではない。
音の検出装置とデータの話をしている。
自分たちは、子供の頃には箱の唄を聞いていた。
大人になると聞こえなくなる。
それはこの街では、よく知られた現象だ。
だから「聞こえない」と言える。
何が聞こえないのか、知っているからだ。
では、そもそも箱の存在を知らない人間は?
聞こえないのか。
聞いたことがないのか。
聞こえていても、それが何なのかわからないのか。
耳の性能が同じとも限らない。
同じ質問をしても、同じ意味で答えているとは限らないのだ。
そして男が接触し、深く関わった人間。
なおかつ警察が、大量の検査データを保持している集団。
「アレキサンドライトか」
思わず小声になった。
後ろからクラクションが鳴る。
信号機の色はいつの間にか緑に変わっていた。
車を発進させながら、ファイル名を脳内で検索する。
『豪華客船 アレキサンドライト号 集団幻覚事件』
昼と夜でその輝きを変化させる鉱石の名の船。
「昼のエメラルド、夜のルビー」と呼ばれ、皇帝の名前を持つ宝石。
その船で起きた奇妙な事件。
船に乗るまでの記憶には、奇妙なほど整合性があった。
ところが、船内で起きた出来事だけは違う。
同じ場所にいたはずの人間たちの証言が、まるで噛み合わない。
集団幻覚。
そう呼んでおく方が、生還者たちにとっても都合がよかった。
少なくとも今は。
「あちらでは船には、女性の名前をつけることが多いと聞いた」
客船のクルーたちとの世間話で仕入れた情報だ。
初耳だった。
少なくとも自分は。
アレキサンドルは男性名。
アレキサンドラは女性名。
男も頷きながら、ひとりごちた。
「今夜のあいつのドレスは何色だったかな」
男の目的地は花屋の前だった。
カフェが併設されていて、社交界出勤前の待ち合わせ場所として、ちょうどいいのだと言う。
「あいつ、もう飲んでるな」
と、窓の外を確認した男が、流石に呆れた声で言った。
運転席からは見えないが、きっとテラス席あたりに姿があるのだろう。
男が珍しく急いだ風に、コーヒーを吸い上げる。
自分は男から渡された検出装置を掌で握る。
男はもう少し小型化したい、と言っていたが、案外これはこれで収まりがいい。
そういえば、子安貝には宝貝という呼び名もあったな。
中国語でパオペイ。
封神演義を思い出す。
縁起が良さそうである。
『子守りの唄箱』も昔は縁起物だった。
と、気づいたら口に出してしまっていた。
「昔は唄を聴き分けた人間を『声なきもの、そして口を閉ざすものの声を聞く者』と言ったもんだ」
もちろん男も知ってはいるはずだ。
身辺調査は済んでいる。
「……もしそれの元ネタが斎藤緑雨なら、それは明治時代に作られた価値観だな」
『刀を鳥に加へて鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。聲ある者は幸福也、叫ぶ者は幸福也、泣得るものは幸福也、今の所謂詩人は幸福也。』
箱そのものが作られた理由ではない。
と男は続けた。
「箱はともかく、あの棒通しの目盛りは、比較的、新しい物が多い」
明治期以前に棒通しには、目盛こそあれど『貝』も『魚』も『鳥』も『鶏』も何も示唆されていないのだという。
「今は箱の前で、叫んでも泣いてもいけない。見つかって、捕まったら、話す言葉の全てに意味を求められる」
確かに声ある者は幸いだが、だからといって詩人が幸福なわけではない。
自分の詩が、他人に正しく解釈されるとは限らない。
誤って、歪むくらいなら、口を閉ざしたほうが幸福なのかもしれない。
今はそういう時代だ。
コミュニケーション。
自己表現。
SNS。
時代は口をこじ開けようとしてくる。
コーヒーを飲みきったらしい男がシートベルトを外す。
「ごちそうさま」
と律儀に言ってくる。
苦笑が漏れた。
「料理人によろしく言っておいてくれ」
「ああ」
男がそれだけ頷いて、素早く外に出る。
ドアを閉める音を聞いて、車を発進させる。
ルームミラーからチラリと後ろを確認すると、料理人の女がカフェから出てくるのが見えた。
赤いドレスだった。




