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中毒の始まり、あるいは感想文

 野獣になったのは、たぶんショックだったと思う。


 でも、王子なら王子の仕事をした方がいい。


 城には使用人がいる。

 食事もいる。

 暖炉もいる。

 客も来るかもしれない。


 顔は、鏡を見なければわからない。

 バラは、見ていれば散る。


 だから、バラを見ていればいいと思った。

 あれは、散るところまできれいだと思う。


 魔女は、たぶん性格が悪い。


 わざとみすぼらしい姿で城に来て、断られるような形で試している。

 それは試験というより、騙し討ちだと思う。


 ただ、置いていったバラのセンスはいい。


 魔女は、いくらでも美しくなれる。

 たぶん、醜くもなれる。

 浮浪者の姿にもなれる。


 つまり、姿を選べる。


 それなのに、姿を選べない相手に向かって、見た目で判断するなと言うのはずるいと思う。


 王子は、美しいから傲慢だったのかもしれない。

 でも、魔女もだいぶ傲慢だ。


 知らない人間を城に入れない判断自体は、間違いじゃない。


 もちろん、追い返し方はダメだったとか、魔女にも言い分はあると思う。


 でも、魔女も悪い。


 最初から試すつもりで来ている。

 断られたら呪うつもりで来ている。


 それは、訪問ではなく罠だ。


 ただし、バラのセンスはいい。


 一番かわいそうなのは、薔薇だと思う。


 魔女の呪いのために手折られて、野獣には毎日睨まれている。


 本当なら庭で咲いて、蝶を呼んだり、花束になって誰かに贈られたりしたはずだ。


 バラは、何も悪くない。


 あれは、散るところまできれいなのに。




 祖父はそれを読んで、しばらく黙っていた。

 母は悲しそうな顔で聞いていた。




 母は花を生ける人だった。


 折れた茎を隠すのがうまかった。

 咲く前のつぼみを待つのも、枯れた花を捨てるのも、静かにできる人だった。


 子供の頃から、花は好きだったと思う。

 ただ、生け花の何がきれいなのかはよくわからなかった。


 花を美しいとは思う。

 だから、最後まで見ていたかった。


 花が変わっていくのを見ていると落ち着いた。

 けれど母は、花が枯れる前に仕舞ってしまう。


 それが怖かった。


 自分も変わってしまったら、どこかに仕舞われてしまう、と不安になった。

 抗議をして、おそらくそれが原因で、母は伏せった。


 自分が壊したとは思わない。

 でも、自分が触った。


 触れば動く。

 動けば、壊れることがある。


 祖父は、それを再現性と呼んだ。


 だから距離を取った。

 母とではなく、家と。




 祖父の葬式で、一度だけ家に戻った。

 戻った、と言っても、ほんの数日のことだった。


 香の匂い。

 黒い服。

 泣いている顔。

 泣いていない目。


 それだけで十分だった。


 最初は、少し見ただけだった。

 少し調べただけだった。


 けれど、奥があるとわかると戻れなくなった。


 見えてしまったものを、見なかったことにはできなかった。

 だから調べ続けた。


 家の中から。

 家の外から。


 空いた席と、放棄された役割。

 それから、席を私物にした人間。


 誰がその席にいるべきか。

 誰が席を空けたのか。

 空いた席に、誰が入り込んだのか。


 自分の席ではない。


 けれど、空いていることはわかる。

 腐っていることもわかる。

 誰かがそこに勝手に座ろうとしていることもわかる。


 席に座る者の責任もわかる。


 その席にいるなら、仕事をしろ。

 できないなら、どけ。


 腐っているなら、座るな。

 その席ごと廃却処理に回せ。




 祖父が生きていた間、家はまだ蓋をされていた。

 腐ったものも、自分も。


 けれど蓋は、仕組みではなかった。

 祖父だった。


 祖父が死ねば、それだけで外れるものだった。

 その蓋がなくなった。




「壊れたものを見る目は悪くない。だが、人を壊れたものとして見るな」


 そう言って祖父は、自分を工業系の学校に入れた。


 理由を、当時の自分は解らなかった。


 ただ、そこでは壊れたものを壊れたと言ってよかった。


 接触が悪いものは、接点を磨けばよかった。

 役割を果たしていない部品は、交換すればよかった。


 人間には、それをしてはいけない。

 人間を部品のように扱わない。


 それを学んだ。


 なら、仕事の方を人間に寄せすぎてもいけない。

 人間を替えられないなら、仕事を替えられる形にしておくしかない。


 特に大きな仕組みでは。


 誰か一人がいなければ動かないものは、仕事ではなく詰まりだ。

 才能ではなく、危険箇所だ。


 仕事の属人化の行き着く先は、組織の私物化と、人間の搾取だ。




 祖父の時代なら、それでも仕事になったのだと思う。


 少し荒くても、動かせる者には置き場があった。

 壊れたものを壊れたと言い、動かないものをどかし、役割を果たさないものを替える。


 それで済む場所があった。

 それで済む時代があった。


 けれど、今は違う。


 仕事になる前に、仕事の方が終わる。

 問題になる前に、席がなくなる。

 役割になる前に、仕組みが変わる。


 祖父も、それを知っていたのだと思う。


 祖父は、自分を家から遠ざけた。

 家を、自分から遠ざけた。


 自分の特性を人に向けるよりは、家に向けた方がましだ。

 だから人ではなく、家へ返す。

 ただし、証拠と手続きを添えて。


 もちろん、本当は家にも向けない方がいい。

 下敷きになる人間は、必ず発生するからだ。

 それはわかっていた。




 現場に手を出すつもりはなかった。


 情報を拾う。

 裏を取る。

 書類にする。

 しかるべき中央システムに投げる。


 そのつもりだった。


 でも、現場が燃えているのを見てしまった。


 配線が危ない。

 導線が死んでいる。

 出口が塞がっている。

 人が倒れている。

 証拠が消える。

 誰かが変な手順で動いている。


 こうなると、身体が勝手に動いた。


 壊れたものを仮固定する。

 逃げ道を開ける。

 危ないものをどかす。

 記録を残す。

 人を外に出す。

 最低限、死なない形にする。


 トリアージと応急処置。


 それを現場や他人に対してしているのか。

 自分に対してしているのか。

 わからなくなっていった。


 危険な癖には特徴があるらしい。


 暴きたい。

 所有したい。

 壊したい。

 救いたい。

 もっと奥を見たい。


 それらが止められない。

 そして、エスカレートする。


 あの現場対応は、そういった類のものだ。




 家の案件は、一つ厄介なことがあった。

 時間をかける必要があるということだった。


 一つ何かを切るだけで、隠れていた負荷が噴き出す。

 誰かが倒れる。

 別の誰かが責任をかぶる。

 昔の傷まで再起動する。


 そんな危険があった。


 だから、家を調べる過程で出てきた余剰も調べることにした。


 ついでだった。


 長期の案件は、細かく切る。

 短期の案件を複数持つ。

 トラブルには適時対応する。

 一つ一つ閉じていく。


 現場管理の基本だ。


 そうしておけば、自分が保たなくなった時にも、どこかで盤面を閉じられる。




 コレクション癖はないと思う。


 戦利品が欲しいわけでもない。

 金目のものには興味がない。


 でも、現場を閉じた感覚だけは、少しだけ手元に置きたかった。

 時間を稼ぎたかった。


 そして、現場に花があった。


 花なら、数日で枯れる。

 花なら、世話ができる。

 花なら、綺麗だ。

 花なら、最後まで見届けられる。


 そういえば、あちら側の協力者に言われたことがある。


「捨てろ」

「まだ終わってない」

「終わってるだろ」

「枯れる途中だ」

「それを見るな」

「なぜ」

「人に説明できないからだ」

「咲いてる時だけ見るのか」

「普通はそうだ」

「変だろ」

「お前の方が変だ」

「枯れるのも花だろ」

「正論みたいに言うな」




 それでも少し、止めようと思った時期がある。


 時間でも、法律でも、時代の変化でもいい。

 中央システムのほうで家を壊してくれるのを待つ。


 それまで、なんとか凌ぐ。


 それができるかもしれないと、期待した時期があった。


 だが遺伝子検査の結果を知った時、身体は勝手に書類の封筒の封を閉じた。


 母が生みの親ではないことは知っていた。

 父親の顔は知らないはずだった。


 例外処理は、一度だけでいい。

 何度もやれば、それは手順になる。

 手順になれば、また誰かに継がれてしまう。


 それだけは避けなければならない。

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