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噂話 怪談と教訓、あるいは都市伝説

『子取り箱』

 その箱の唄を聞いた子は、取られてしまうかもしれない。

 だから近づくな。

 蓋を開けるな。


 その貝の箱はホラ吹きだ。

 小鳥のような唄声で、大事な物を取っていってしまう。


 耳に蓋はない。


 聞こえても、聞こえないふりをしろ。

 知らないふりをして、気取られるな。


 思い出せ。

 忘れるな。


 今度は、お前が閉める番だ。




〈後日、社交界ではこんな噂が流れていた〉


「ねえ、聞いた?」

「何を?」

「『子取り箱』の噂」

「『子守りの唄箱』なら知ってるけど」

「怖い話よ。その箱の唄声を聞くと、子供が泣き出したり」

「あら」

「パニックになって走り出したり」

「それは大丈夫なの?」

「亡くなった子もいるとか…」

「怖いわ。大人には聞こえないの?」

「聞こえる人もいるみたいだけど、子供の方が危ないみたい」

「それじゃ対処しようがないじゃない」

「でも急に子供が泣き出したら探せって」

「箱を?」

「そう。近くにあるかもしれないからって」

「もし見つけたら?」

「蓋を閉めろって」




「蔵整理で『子取り箱』が出たんですって」

「『子守りの唄箱』じゃなくて?」

「名前が変わったらしいわ」

「どうして?」

「美しすぎたから」

「まあ」

「『子守り』なんて名前じゃ、近づく人がいるでしょう?」

「確かに。ご利益がありそう」

「だから、近づかない名前にしたんですって」

「嫌な名前ね」

「だからいいのよ」

「でも誰が変えたの?」

「それが、ご婦人が決めたらしいのよ」

「それは……本気ね」

「ええ。ご婦人の本気は怖いわ」

「でもどうして、今さら名付け直しを?」

「ご婦人の美意識が許さないから」

「箱の存在を?」

「いいえ。それを使って子供の名に呪いをかける人間よ」

「だから呪い返してやったのね」

「……でもきっとそれで良かったのよ」

「どうして?」

「これで、箱も忘れ去られることはないでしょう」




「最近ね、知り合いが変なセミナーに誘われたの」

「また自己啓発?」

「『選ばれた血筋だけが聞こえる音があります』ですって」

「まだそんなこと言ってる人がいるの?」

「笑っちゃうでしょう?」

「笑えないわ」

「え?」

「その話、本物があるから」

「……」

「『子取り箱』を使うらしいの」

「箱を?」

「そうよ」

「子供を取る箱……」

「ええ」

「取られた子供はどうなるの?」

「さあ。でもはっきりしていることがある」

「何?」

「一度でもその音を聞いたら、その箱は子供を忘れないのよ」




「保育園でも一騒ぎあったらしいぞ」

「保育園で?」

「古い蔵から出た箱を飾ろうとしたらしい」

「縁起物としてか?」

「らしいな」

「で、どうなった?」

「子供が急に泣き出して、慌てて片付けたそうだ」

「偶然じゃないのか?」

「さあな。ま、その日のうちに箱は倉庫へ戻されたみたいだしな」

「……それ、泣き出した子供、名前はわかってるのか?」

「いや、聞いてない。気になるのか?」

「気になる人間にはな」

「……マズいやつか?」

「ああ。二重でヤバいやつだ」

「どういうことだ?」

「その子供を守るためには、身元を確認することになるだろう?」

「ああ」

「だが子供の名前を知った瞬間に、その名前が広まる危険性がある」

「……俺たちは、まだ名前を知らないし、泣いたのは箱と関係ないかもしれない」

「ああ。だが歌が聴こえない大人には、確認のしようがない」

「それ意味あるのか?」

「意味をつけるヤバい奴がいるんだよ」

「それはマズいな」

「ああ。耳がいいと見えなくても、見通した気になりがちだ」

「ストーカー予備軍だな」

「そう。しかも同類を探してるって噂だ」

「どうする?」

「ミミック討伐の勇者に相談する」




「でも、どんな唄なのか気にはなるわね」

「やめておきなさい」

「どうせ大人には聞こえないんでしょ?」

「大人もかつては子供だったのよ」

「それが?」

「思い出してしまうでしょう」

「子供の時は聞こえてたって?」

「ええ。美しい唄声だった、と」

「いいじゃない」

「確認したくなる」

「でも聞こえないわ」

「ええ。だから子供に聞かせたくなるの」

「自分の子供?」

「そう思うでしょう?」

「違うの?」

「『子取り箱』の唄ですもの」

「……もしも、大人になっても聞こえてたら?」

「……見たくなる。きっとね」

「箱を?」

「いいえ。その中身を」

「蓋を閉じたらいいのよね?」

「ええ、でも、貝は最後まで口を閉じない」




「そういえば」


 古参の女性が、グラスを静かに置いた。


「昔は、本当に子供を守るための箱だったのよ。」


 若い者たちが顔を見合わせる。


「助かった子もいたんですか?」

「ええ」

「蔵に閉じ込められた子がいたの」

「まあ」

「泣き声は届かなかったけれど、あの箱だけは歌った」


 だから見つけてもらえたのよ。

 という言葉に、静かな空気が流れる。


「だから『子守り』だった」


 誰も口を挟まなかった。


 少しして、別の古参が苦笑した。


「泥棒が開けたこともあったわね」

「あったあった」

「箱が鳴いた途端、何も盗まずに逃げていった」

「怖かったんですか?」

「いいえ」

「誰かに気づかれたと思ったのよ」

「だから子供は無事だった」


 これは祖母の祖母から聞いた話なのだけど、と続ける声も。


「山で、この声を聞いたら逃げなさいって」


 そう言って、箱の蓋を開けたこともあったそうだ。


 また少しだけ沈黙が落ちる。


 最後に古参の女性が、懐かしそうに笑った。


「昔は、あれに助けられたこともあったの」

「……」

「でも、人が変われば、道具の使い方も変わる」


 どこかで何かが爆ぜる音がする。


「だから今は『子取り箱』でいい」

「子供を守るための名前じゃなく」

「子供を近づけないための名前ね」

「近づいてしまった子供は、どうすればいいのかしら」

「泣かない」

「走らない」

「名前を言わない」

「蓋を閉める」

「それは大人の仕事では?」

「遅い時がある」

「閉める時に決して中を見ないこと」

「何が入ってるのかしら?」

「入っているなら、まだ鳴いてない」

「え?」

「呪いは目に見えない」

「……もし呪われたら?」

「倍返しするしかない」

「どうやって?」


 古参が言った。


「舌を引っこ抜くのがよろしい」


 誰かが思わず吹き出した。


 古参も、小さく笑う。


 そして思う。

 もう一つ、道具を用意しなくてはならない。


 蝋燭の火が静かに消えた。

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