二箱目 唄箱、あるいは鶏は歌わない
蔵というものは、日当たりの良い場所に建てられる。
湿気対策のためだ。
そのため窓も換気のために必要な数だけで、しかも小さい。
壁が厚いせいだろうか、
どんなに大きな蔵でも、天井が高くても、圧迫感が消えない。
その箱は蔵の扉から、まっすぐ入った突き当たりの壁に置かれていた。
横幅 約174cm
奥行き・高さ 約75cm
一般的な長持ちとほぼ同じサイズ。
木彫りの複雑な模様が、箱に陰影を作っている。
螺鈿などの艶やかな光の美しさとは違う。
だが、どこか触れてみたく暖かさのある箱だった。
それが隠されるでもなく置かれている。
蔵の客へ挨拶をするかのような佇まいだ。
蓋の周辺に施された彫刻は波の形をしており、それがシャコガイを連想させた。
風見鳥の男が一目で唄箱だと判断できた理由でもある。
「なんか、すごく重そうだよな」
「実際に重い。音を出すための共鳴の板が、内部で何枚も組み合わさっているんだ」
さらにその板の一枚一枚にも、複雑な模様が彫り込まれている。
そして板の組み方によって、さまざまな音を生み出すことができる、らしい。
「中はわからないが、かなり状態が良さそうだ」
彼がライトで箱を照らしながら言う。
箱の裏にまわる。
蓋の接合部には蝶番が付けられていた。
これも普通の長持ちにはない特徴だ。
「蝶番もメンテナンスされていたみたいだな」
これなら開く。
と彼は目を細めた。
それを見た風見鳥が、よし、と手を叩いて、また教科書を取り出す。
「じゃあ、念のために、今度は音について復習な」
唄箱が出す音は多くて四種類。
多くのはこの場合、段階によって次の通り呼び名がついている。
蓋を開くにつれて、より多くの人に聞こえる音へと変わっていく。
貝―― 一部の子供
魚―― 子供
鳥―― 大人
鶏―― 大多数
加齢による可聴域の変化によって、聞き取れる音も変化する。
特に『貝』は特に可聴域の広い人間が、幼少期にのみ聞き取れる特殊な音と言われていた。
逆に『鶏』は通常の大人であれば、必ず気づく警報レベルだが、老人の中には聞こえない者もいる。
「ま、要約するとこんな感じだな」
俺たちは『鳥』と『鶏』あたりを、気をつけてればいいだろう。
「油断しないほうがいいぞ」
と、彼が工具箱からマイクを取り出し、手早くスタンドにセット。
コードをアンプに繋げ、さらにそこからノートパソコンへ接続した。
「本当に教科書通りに音が出るとは限らない」
「なんだよ。いきなり大音量とかなるのか?」
「中の状態によっては、あり得るかもな」
「脅すなよ」
「怖がってるくらいの方が、雑にならなくていい」
さて、やるか、と彼が促すと、やっぱり俺か、と風見鳥の男が箱の前に膝をつく。
貝の模様で、一瞬わからなかったが、指をかけられうるように、深く掘りこまれている箇所がある。
指を掛け、力を込めると、ミシリと小さく音がした。
「怖いな」
「蓋そのものは軽いはず。気密性が高いから開きにくい」
空気が中に入ったら、音が鳴る可能性がある。
今は箱の音よりも、心臓の音の方が大きく鳴り始めたように感じた。
息を吐いて、指先に集中。
二の腕の筋肉を使って、蓋をあげる。
ほんの少しだけ蓋が開く。
ヒュオ。
という音ともに、一瞬、蓋が重くなった。
驚いて手を止める。
「……さっきの唄か?」
風見鳥の問いかけに、彼は首を振った。
「空気が引き込まれた音だろう。密閉性の高い箱でよくある」
「じゃあ、もう少し開けるぞ」
「ああ『貝』のところまでいったら合図する」
今回の箱は、側面に運ぶ時に棹を通す「棒通し」と呼ばれる金具がついていた。
ただ唄箱のそれは、運ぶためだけの金具ではない。
こういった金具は長耳の犬のように垂れているのが常だが、この唄箱の多くは立ったまま固定されている。
よく見ると、四本の線が斜めに入っており、蓋の開き具合と音が対応するようになっているのだ。
目盛としての機能と、蓋が開き切らないためのストッパーとしての役割がある。
と彼が棒通しの目盛りを見ながら言った。
もう蓋は重くない。
逆に今度は、力を入れすぎそうな恐怖心が生まれる。
慎重に持ち上げる。
「止め」
鋭い声に、動きと息を止める。
彼はしばらくノートパソコンで、マイクから送られてくる波形を見つめる。
溜め息。
「ダメか?」
「まぁ、この環境とマイクじゃな」
「次はいけるんじゃないか?」
再び蓋を持ち上げる。
次は『魚』のはずだ。
子供だったら聞こえる可能性が高い。
静止の合図の後、また同じように蓋を保定。
彼が首を振った。
「やっぱり壊れてるのかもな」
と風見鳥は息を吐く。
見た目は綺麗でも、古い箱だ。
「……静かすぎる」
「鳴ってないなら、当たり前じゃないか?」
彼は首を捻っているが、風見鳥は構わず蓋を開ける。
そろそろ足が痺れてきた。
次の『鳥』は自分たちでも聞こえるかもしれない。
これで鳴らないなら、流石に壊れているはずだ。
「止め」
しばし沈黙。
何も聞こえない。
彼の反応から、マイクも何も拾っていないようだ。
残念だが、少し安堵する。
「壊れてる時は、壊れてる音がするものだが……」
彼はやはり納得していない様子だ。
「そんなことより、交代してくれ」
「ああ、ちょっと待て」
彼が硬めのクッション材を、蓋と箱本体の間に挟む。
これで蓋を支え続ける必要がなくなった。
風見鳥は立ち上がり、いったん腰を伸ばす。
蓋の重さは大したことないが、緊張していたのと、体勢が悪かった。
蓋の口は『鳥』まで開いた。
二重センチほどだろうか。
分かってはいたが、箱の中は暗い。
なんとなくシャコガイが、笑っているように見える。
「『鶏』まで開ける前に、中を確認するか」
と彼が小型のライトを風見鳥の男に渡した。
光を、箱の口の中に差し込む。
「おお。すごいな。漫画の集中線みたいな感じだ」
箱の内部、中央に向かって、無数の板が並んでいた。
蓋の角度、ライトの光量的に、箱の浅い部分までしか確認できないが、深い部分では、横列もあるのだという。
複雑な構造なのだということはわかった。
同じように覗き込んだ彼が唸る。
「これだけ状態が良くても、音が鳴らないのか」
やはり周囲の環境だけでは、説明がつかないようだ。
箱の隅から、中央へライトの光が流れる。
板はもちろん直線的だが、それが整然と、中央に収束する様は、滝のようにも、渦のようにも見えた。
そしてその落ちた先に、それはあった。
「ん?何か入ってるな」
手を箱の中に入れ、さらに光を当てる。
色は白に近い。
艶かしいまだら模様が光を反射する。
流線を立体物に仕立て上げるとこうなるだろう、と彼は思った。
法螺貝だった。
かなり大きい。
一番長いところで、手のひらの2倍はある。
幅はその半分ほどだろうか。
貝の箱の中に法螺貝。
マトリョシカだな、と風見鳥が口笛を吹いた。
隣の彼に声をかける。
「出していいだろ?」
「ああ、多分」
「歯切れ悪いな」
「このパターンを見るのは、初めてだ」
何かを入れられるような設計のものもある、と聞いたことはあったが。
と首を捻る彼に、風見鳥は笑う。
「箱なら、何か入ってる方が普通じゃないか?」
「確かに、それはそうだ」
「じゃ、出しますか」
と、風見鳥は作業用手袋の装着具合を確認した。
法螺貝は重かった。
作業前にプロテインを飲んでおけば良かったと後悔するくらいには、重かった。
そう風見鳥は感じた。
おそらく体勢も悪ければ、箱の中のスペースが広くない、というのも原因だ。
上蓋に法螺貝が接触しないように。
途中で落とさないように。
箱の中で持ち上げることには成功した。
次は箱の外に慎重に引き出す作業だ。
と、蓋の出口まで来たところで、問題が発生した。
「おい、小熊」
ライトで手元を照らす彼にヘルプを出す。
「これ、通らないぞ!」
蓋の開いた隙間よりも、法螺貝の幅の方が大きい。
いや、サイズがぴったりすぎる。
風見鳥の手が震え始めている。
これでは箱と接触させずに取り出すことはできない。
「ちょっと待て」
彼が素早く立ち上がり、蓋に手をかける。
「『鶏』まで蓋を開ける。音が鳴るかもしれない」
もう少し耐えろ、との言葉に風見鳥の男が悲鳴をあげる。
蓋をゆっくりと開ける。
本来なら警報レベルのモスキート音が鳴るはずだ。
「……やはり、鳴らないか」
蓋は全て空いていた。
棒通しの金具がストッパーになっていて、これ以上は開かない。
『鶏』の位置まで開いていることは、間違いないはずだ。
けれど、自分たちの耳には何も聞こえてこない。
息遣いだけが、差し込む光に浮いた細かな埃を揺らしている。
蓋から手を離さずに床に置かれたパソコン画面を見る。
波形には、二人の息遣いや衣擦れ以外、何も現れていない。
「なら、もういいだろ。出すぞ」
もう腕が限界だと呻いて、風見鳥の男が彼の返事を待たずに、法螺貝を箱の外に出し始める。
急いていた。
だから動きは早かったし、少し雑だった。
法螺貝が蓋を潜るときに、蓋を支えていたクッション材を引っ掛けた。
それは硬めとはいえ、クッション材はクッション材だ。
何かを傷つけることはない。
だが、注意が逸れた。
法螺貝を取り出す方も、蓋を支える方も。
そしてそのタイミングは、法螺貝が完全に箱の中から出た時と同時だった。
一瞬、蔵の音が消えた。
全てが遠く後ろに、引き抜かれていったようだった。
こめかみの奥。
歯の奥。
顎の関節。
耳の裏。
頭蓋の内側。
通ってる神経を撫でられる感覚。
頭が痛い時に、ここを刺し抜けば楽になりそうだ。
そんな凹みが、頭のどこかにないだろうか。
そこが鳴った。
二人とも声は出せなかった。
その代わり体が動いた。
風見鳥の男は法螺貝を胸に引き寄せ、そのまま後ろに倒れる。
意識はちゃんとあった。
だから咄嗟に自分の臍を見て、後頭部を浮かせる。
小熊の彼はかろうじて、蓋からは手を離さなかった。
ゆっくりと、しかし開けた時よりは素早く蓋を閉める。
必要が無いのはわかっていたが、蓋を上から強く押さえた。
しばし沈黙。
遠くで犬が鳴く声がする。
低いモーター音は車だろうか。
人の掛け声も聞こえる。
今日はゴミ回収の日だ。
パトカーのサイレンの音。
風見鳥の男は蔵の天井を見ながら――
小熊の彼は蓋を押さえた自分の手を見ながら――
音が戻ってきているのを確認した。
「……ちょっと、外見てくる」
と風見鳥が上半身を上げる。
慎重に法螺貝を床に置いて立ち上がった。
小熊の彼が頷いた。
「俺は念の為に蔵を見ておく」
蔵も年代物だ。
壁くらい剥がれているかもしれない。
風見鳥は足をもつれさせながら、独りごちる。
「あれが、唄だって?」
そして思い至る。
貝も魚も、歌っているかはわからない。
それがわかるのは、子供だけ。
大人にわかるのは鳥の歌声のみ。
しかし……。
「鳥は鳥でも『鶏』は唄わない、か」
鶏のあれは叩き起こすための叫び声だ。
「……それは法螺貝の役目だろ。ホラ吹きめ」
蔵の外は晴れていた。
なんとなく、どこまでも逃げていける気がした。




