噂話 喫茶Somaの品、あるいは保守点検の話
「Somaって、社交界の連中が行って大丈夫な店なのか?」
「あそこは喫茶店だ。社交場じゃない」
「でも、ご婦人も来るんだろ」
「来る」
「ご婦人が来たら社交場になるだろ」
「ならないようにしてるんだよ、小熊が」
男たちは少し黙った。
「どういうことだ?」
「社交界では、席と役割がある。名前を呼ばれるには、自分が何者で、何ができて、何に価値があるかを示さないといけない」
「ああ」
「でも、Somaではまず客だ」
「客」
「コーヒーを飲む。厚焼き卵サンドを食べる。背もたれに体を預ける。深く腰掛けるなと言われても、喫茶店では座る」
「ご婦人は座らないだろ」
「ご婦人は別だ」
「別なのか」
「別だ」
「でも品はいるんだろ?」
「いる」
「喫茶店なのに?」
「喫茶店だからだ」
男の一人が、少しだけ顔をしかめた。
「わからん」
「社交界で品を失うのは、場を壊すからだろ」
「ああ」
「Somaでも同じだ。あそこは小さい。誰かが荒れれば、すぐ店全体に響く」
「なるほど」
「だから、あそこで社交界の顔をしすぎるのは野暮だ。かといって、ただの無礼な客になるのも下品だ」
「難しいな」
「難しい」
「じゃあ、どうすればいい?」
「コーヒーを飲め」
「それだけか?」
「厚焼き卵サンドも食え」
「それでいいのか?」
「最初はな」
「喫茶Somaには、作業着の客も来るそうね」
「来るわよ。昔ながらの喫茶店だもの」
「でも、社交界の方々も行くのでしょう?」
「ええ」
「混ざるの?」
「混ざるわ」
「揉めないの?」
「揉める時は揉めるわね」
「まあ」
「でも、作業着を笑った方が外へ出されるのよ」
「作業着の方ではなく?」
「当然でしょう。食べに来た人間と、笑いに来た人間なら、どちらが喫茶店の客だと思う?」
「それもそうね」
「それにね、作業着の客が本当にただの作業員とは限らないの」
「どういうこと?」
「社交界では素敵なあの方が、昼には油の匂いをさせてナポリタンを食べていることもあるのよ」
「まあ」
「それを見て、がっかりする娘もいるそうよ」
「もったいない」
「ええ。とても」
「でも、試されているみたいで嫌ね」
「試されているわけではないのよ。向こうはただ、仕事帰りにお腹が空いているだけ」
「それで?」
「勝手に落第するの」
「あの店、事故物件だったんだろ」
「そう聞くな」
「それを自分で直したのか」
「全部じゃないだろうが、かなり見たらしいぞ」
「電気は?」
「危ないところは業者に回したらしい」
「まともだな」
「まともだぞ、あいつは」
「名家のボンボンなのに?」
「工業系だったらしい」
「ああ、なるほど」
「喫茶店の床を見て、最初に言ったのが“ここに重いものを置くな”だったとか」
「家具屋かよ」
「じゃあ、社交界では何してたんだ?」
「同じことじゃないか?」
「同じ?」
「床が抜けそうな場所を見てたんだろ」
男たちは少し黙った。
「……比喩か?」
「たぶんな」
「小熊が聞いたら嫌がりそうだ」
「だろうな」
「社交界の人って、すぐ品とか言うわよね」
「言うわね」
「でもね、店で揉めたら外よ」
「外?」
「裏路地」
「そんな簡単に?」
「簡単でしょ。店の中でやったら、皿が割れるもの」
「でも、社交界では」
「ここは喫茶店よ」
「小熊くんが出すの?」
「出すわね」
「怖くない?」
「怖いわよ。でも、店の中で怒鳴る酔っ払いの方が困るわ」
「それもそうですね」
「それに小熊くん、椅子を直してから外へ出すタイプよ」
「そこは直すんですね」
「通路に残ってると危ないでしょう」
「現場ですね」
「現場よ」
「小熊くんって、結局、社交界では何をしていたんですか?」
「場を見ていたのよ」
「場?」
「誰が酔っているか。誰が出口を探しているか。誰が名前を悪く使っているか。どこで椅子が倒れそうか」
「それ、社交ですか?」
「社交ではないわね」
「では?」
「保守点検に近いかしら」
「保守点検」
「ご婦人の場の」
「それで喫茶Somaでは、本当に保守点検しているんですね」
「ええ。床を見て、棚を直して、換気扇を疑って、客席の動線を見る」
「同じなんですね」
「そう。同じなのよ」
「でも、社交界では花が折れないことで品を測られていた」
「喫茶店では?」
「コーヒーが冷めないこと。子どもが泣き続けないこと。静かな客が静かに帰れること。厨房が止まらないこと」
「それも品なんですか?」
「喫茶店の品よ」




