その1
この国の王宮で働く住み込みの使用人の娘として生まれた彼女は、当たり前のように王宮のメイドになった。
メイドとして新しく雇われた者は一所に集められて研修を行ったあと、それぞれの部署へと配属になる。彼女とはそこで出会った。
「それでは、今日の研修を終わります。今日教えたことを忘れないように」
そう言った教官が研修室を出るまで見習いは一言も発してはならない。それがルールだ。
王宮で働く以上、定められた決まりに従うことは目上の者に従うことと同じくらい基本的なことだ。
教官の足音が聞こえなくなって更に少し待って、ようやく皆の肩の力が抜けた。前に一度部屋を出ていったと同時に騒ぎ出したら教官は部屋の外で様子を見ていた事があってから皆慎重になっている。
「はぁー、今日も疲れた」
「ねえ、さっきの食器の出し方についてなんだけど」
「このあとヒマ? いいお店見つけたんだけど、一緒に行かない?」
などと見習いメイドたちは皆、皆帰り支度をしながら、仕事終わりの楽しい時間を各々過ごしている。
「ねえ、サンピさん。このあと騎士見習いの人たちと食事に行くんだけど、どう? 女の子の数が足りなくて。ね?」
「ごめんなさい! わたしちょっと用事があるから! また今度誘ってね!」
そう言って彼女――メイド見習いのサンピは荷物をまとめていち早く研修室を出ていった。
「また?」とか、「もういいよ」とかいう声が聞こえてきそうだとは自分でも思っていた。
だが、「また」と言われようが気になったことを放っておくことなどできない。
なぜなら自分は、母のような立派なメイドになるのだから。
「ありがとうございました」
教官室にて教官に今日の疑問点を質問し終える頃には、外はもう暗くなっていた。
住み込みの使用人を両親に持つ彼女の家は城内にあるが、それでも夜道は怖い。自然と早足になってしまっていた。
中庭を抜けて騎士団の駐屯所の脇を抜け、中門をくぐった先に使用人の住宅街があり、そこにサンピの家もある。あたりに人の気配はなく、自分の足音と遠くで鳴く鳥の声だけが聞こえてくるのが余計に不気味だ。
「ん……?」
不意に足を止めた。土を踏む自分の足音が止まり、鳥の声だけが聞こえるはずなのだが、それ以外にも何かが聞こえたのだ。
何かが空を切る音。一回、二回、三回……。
気味の悪さよりも好奇心が勝った。
サンピは恐る恐る音のする方へと歩いていった。
そこは、中門から少し入ったところにある。
デッドスペースになっているためか、普段はあまり人の立ち入らない場所。
「こんなところがあったんだ」
デッドスペースになっているのだが、意外にも周囲は開けており、月明かりのおかげもあって見通しはよい。
「ふっ、はっ、はっ、ふっ……」
規則正しく聞こえてくる吐息。
そこにいたのは、訓練用の剣を振る一人の黒髪の騎士――服装からして騎士見習いか。
すでに長い時間続けているのだろう。剣を振るたびに周囲に飛び散る汗が月明かりを反射してきらきらと光っている。
「きれい……」
思わず口をついて出てしまった。慌てて口を塞ぐがもう遅い。
騎士見習いはサンピの方をじっと見ていた。
心臓の鼓動が高まる。体温が高くなる。顔が赤くなるのが自覚できた。
「…………っ!」
恥ずかしくなったサンピはその場から立ち去ろうと走り出した。
しかし、暗くて周囲がよく見えなかったからなのか、それとも視野狭窄に陥っていたのか、角を曲がる際に目測を誤って石造りの壁に派手に衝突してしまった。
「あ……う……」
暗かったあたりが更に暗くなる。身体が倒れていくのはわかるが、体が動かない。
そのまま城の石畳に叩きつけられる――
前に、ふわりと抱きとめられた。
「…………!」
息を呑んだ。鼓動がより高まっていく。失いかけた意識が急速に覚醒する。
そこには、先程の騎士見習いがいた。
倒れたサンピを受け止めてくれたのだろう。
憂いに満ちた月明かりで輝く黒い瞳がこちらを見ている。黒髪が少し目にかかっているのがまた神秘的だ。
体全体で受け止めてくれたのだろう。背中に当たる柔らかな感触。
「大丈夫……?」
柔らかいソプラノの声。
ん…………?
改めて騎士見習いを見た。
細い首、スラリとした指先、丸みを帯びた顎、そして背中に当たる胸の感触――
「って、女の子かいっ!」
これがコッパとの出会いだった。




