その3
改めてW線を越える。
それまでは暖かな春のような陽気の昼の時間帯だったが、一歩を超えた瞬間、それは一変した。
「…………!!」
そこはモノクロームの世界だった。見渡す限りの雪原の中に、ぽつぽつと氷の花を付けた木々が立っている。
〈ジルシー教会〉では昼だったはずなのだが、こちらでは太陽は見当たらず、代わりに真っ暗な夜空が広がっている。夜空には一面の星々が瞬いており、その中でも一際大きな輝きである月の光が雪原を照らし、雪原もまたうっすらと光っている。
何もかもが〈ジルシー教会〉とは異なっていた。しかし、何より違ったのは気温だ。
「…………さむっ」
急激な温度の低下を感じたアサヒが身を小さくして震えた。常春の〈ジルシー教会〉とは異なり、突き刺すような寒さがアサヒを襲う。息も驚くほど白い。
「これ、着なさいよ」
そう言ってリアが袋から毛皮を取りだしてくれた。老神父が入れてくれたものだ。
「いいよ。大丈夫。君が着ればいいよ」
「あたしはいらないわ。この鎧の中、暖かいのよ」
「そ、そうなの?」
「そう。すごいでしょ。だからあたしのことは気にしなくていいわよ。でもありがと」
じゃあ遠慮なくとアサヒは毛皮を受け取り羽織ってみた。何の毛皮かはわからなかったが、想像以上に暖かくて人心地付けた。
振り返って見ると、つい今まで滞在していた〈ジルシー教会〉へのW線は存在せず、ただひたすら雪原が広がっているだけだった。
「これが、認識を阻害するということ……」
手を伸ばしてみると、W線があると思われる部分でくっきりと手が消えている。その向こう側は木の手でもわかるほど暖かい。
今はそこに〈ジルシー教会〉が『あることがわかっている』ので手を突っ込むことができるが、わかっていないとそもそもそこに行こうという気すら起こらないらしい。
ほんの一〇日ほどしか滞在していなかったが、そこで出会ったもう再会することのできない無邪気な子供たちと優しく穏やかな老神父のことを想いながら彼らの世界の空気を掴み、それを持ち帰るように引き抜いた。W線を境にきれいに消えていた手が元に戻った。
「…………行こうか」
しばらく手を見つめてから、絞り出すように言った。リアはアサヒがそう言うまで何も言わずにじっと待ってくれていた。
「吹雪く前にどこか街まで行きたいところね」
リアのあとを追ってアサヒは〈スラーヴァ〉での一歩を踏み出した。
こうして、アサヒとリアの世界樹を目指す旅が始まった。
「そういえば……」
雪を踏みしめる音をバックにアサヒが口を開いた。
「何?」
「さっきリアが言ってた『オイゲン助祭』って誰?」
「えええええええええええ!?」
リアはあれだけ名残惜しそうにしていた人物の名前を知らなかったアサヒに驚愕する。しかもアサヒは彼のことを神父だとばかり思っていたが、神父ですらなかったのであった。
「思いっきり先が思いやられるわ……」
雪原に残った足跡のひとつが一歩分だけ、よれたような動きをしていた。




