その5
「よし」
腰の後ろに手を回してエプロンの紐を結ぶと、気合いが入った。
この数日というもの、朝昼晩の三食二〇人分の食事を作るのはアサヒにとって未経験の大仕事だったが、思ったより大変ではなかった。自分のものではない木製の腕もそれなりに思い通りに動くようになってきた。自作のエプロンと三角巾がやる気を高めてくれたからかもしれない。
この日も昼食を終えたあと、夕食の仕込みをするために厨房に立った。周りでは子供たちが後片付けや皿洗いなどをしている。年長の子供たちには畑に出て今夜の食材の収穫をお願いしている。
アサヒが料理当番になってからというもの、子供たちの表情が格段に柔らかくなったとは、老神父の言だ。そう言われて悪い気はしない。アサヒのやる気もぐんとアップした。
普段ならば夕食の準備はもう少しあとなのだが、実はこの日の午前中に畑でとあるものを発見し、それを活用するためにいつになく張り切っているのだ。
今、そのとあるものは鍋の中で水に浸されている。陶器製の鍋が見つかったので、今回はそれを出動させた。三〇分くらい前に入れたので、そろそろ大丈夫そうだ。
あらかじめ起動してある焼き石――アサヒには何度やってもこれを起動させることができなかったので、毎回子供たちにやってもらっている――を中火に調整して鍋を火にかける。
このまま沸騰するまで約一〇分待つ。その間に付け合わせを用意しよう。
テストで作っているだけなので、付け合わせは簡単に。
今朝摘んできた野菜を一口サイズに適当に切る。今回はオーソドックスにキュウリと白菜だ。
ボウルに入れて塩と短冊状に切った昆布(なんと、これも畑で採れるのだ!)を入れて揉み込む。
「ええと、何か重りになるものは……」
厨房の中を見渡すも、適当なものがないので外に出た。今日も木々の向こうに当面の目的地である世界樹が見えた。
厨房の前にある井戸のそばに適当な石が落ちていたのでそれを拾って、くみ上げた水でそれを洗っていると、人影がアサヒの上に落ちてきた。
「何やってるの?」
森の中で結界を作っているというリアが戻ってきていた。今日も変わらず漆黒の全身鎧を着ている。ここに来て数日になるが、未だにその中を見たことがないのだ。
今日などは太陽がさんさんと照りつけていて、黒い鎧で暑くないのだろうかといつも心配になってくる。水はちゃんと飲んでいるのだろうか?
「石を洗ってるんだよ。重しにしようと思ってね」
「重し?」
興味がわいたのか、石を洗い終えて厨房に戻るアサヒのあとをついてきた。
塩もみしたキュウリと白菜が入ったボウルを見て、リアは、
「サラダ作ったの? でも味付けが塩じゃちょっと物足りなくない?」
ボウルの中のきゅうりをつまみ、面頬の隙間から放り込みながら言った。普段のサラダはアサヒお手製のドレッシング(三種類)で味付けしてあるので、物足りないと思うのは当然だった。舌が肥えてきている。
「ああっ、まだ作りかけなんだよ。つまみ食いしないでよ」
「あら、そうなの? ……でもこれも悪くないわね」
言いながら、キュウリと白菜と昆布をひょいひょいとつまんで次々兜の中に放り込んでいく。止まる様子がないので、アサヒは隙を見て落とし蓋をボウルに割り込ませて洗ったばかりの重しを置いた。
「ああっ……!」
リアの悲しそうな声が聞こえたが無視。数時間後にはおいしい浅漬けができるだろうから、その時にまた食べてもらおう。
そうしている間に鍋のお湯が沸騰してきた。
「……こっちは何? なーんか地味ね。お湯の中に白いつぶつぶが入ってるだけだし」
などとのたまうリアを見ながらアサヒはふふんと鼻を鳴らす。これができた暁にはほっぺたを落とさせる自信があった。
「できたら教えてよね。味見してあげるから」
そんなことを思われているとも知らず、一言残してリアは再び森の中に入っていった。
ひとり残ったアサヒは料理を続けることにした。次はメインディッシュだ。
まず湯を沸かしてゆで卵を作る。並行して玉ねぎをみじん切りに、鶏肉を一口サイズに切る。そうしている間にゆで卵ができるので、これを潰しながらレモン汁とオリーブオイル、塩コショウで味を調え、タルタルソース(仮)が完成だ。
そろそろ火にかけたままの鍋がいい感じに仕上がってきたので、火から下ろして蒸らし作業に入る。入れ替わりに別の片手鍋を用意して、油を多めに引く。これに先ほどの一口サイズの鶏肉を入れて揚げ焼きにするのだ。
鶏肉に火が十分通ったら、砂糖、酢、醤油(のような調味料)を入れて味付けをする。とろみが出てきたら完成。
付け合わせの野菜としてキャベツを千切りにして盛り付けると、色合いもいい感じになった。
というところでタイミングよく子供たちが現れた。配膳を手伝ってくれるのはいつも年少の子供たちだ。年長の子たちは畑の世話をしたり、リアの手伝いで森に入ったりしている。
彼らに鶏南蛮とタルタルソース(仮)を運んでもらっている間に、本日の主役の登場だ。
蒸らしていた鍋の蓋をあける。もわっと音がしそうな勢いで湯気が立ちこめる。その中に控えるのは白く輝く米粒。
そう。アサヒは米を炊いていたのだ。
それは昨日の昼過ぎのことだった。その日の夕食の食材を確保するために、教会裏の何でも採れる畑に出向いたとき、見つけてしまったのだ。米を!
見た目はそのまんまイネでありながら、刈り取ると殻がひとりでに外れて精米になるという都合の良さ!
子供たちに聞いてみたところ、昔からあったけど食べ方がわからなかったので放置していたらしい。
ならばと腕まくりをしてやる気を出して炊いたのだ。
あらかじめ目を付けておいた小さな樽に鍋からご飯をうつしておひつとして使用する。
本当は焼き魚と玉子焼きとおひたしと味噌汁を用意して和定食を再現したかったのだが、さすがに味噌が用意できないのと、ここ数日の献立で焼き魚の人気がないことはわかっていたので人気のありそうな肉料理である鶏南蛮にしたというわけだ。
アサヒがおひつを抱えて食堂に行くと、すでに彼以外の全員が集まっていて、彼がやってくるのを今か今かと待ち構えていた。
「では、皆が揃ったのでお祈りを……」
老神父が言ったところでアサヒが「ちょっと待ってください!」と止める。
お茶碗がないのでお皿にご飯を盛り付ける。皆、興味津々でそれを見ていた。米の使い方がわからなかったのだ。白飯など食べたことがないのだろう。
「それでは、いただきましょう。神に感謝を。いただきます」
「「「いただきまーす!」」」
食前のお祈りが終わり、老神父の許しが出た子供たちが一斉に料理に手を伸ばす。
「うまっ、うまっ!」
「これ、おいしい!」
「おにくー!」
「おかわり!」
「早く食べないと、なくなっちゃうよ!」
育ち盛りの食欲は凄まじい。いつものことながら、驚くほどの勢いで夕食に取り憑いている子供たち。用意してあった料理がみるみるなくなっていく。
だが、彼らの腕が伸びるのは鶏南蛮ばかりだ。ご飯や浅漬けに手を付けてくれる子はまだいない。
「こっちもおいしいから、食べてみてよ」
言いながらアサヒは自分のご飯を口に入れる。
鍋で炊くのは久しぶりだったが、少し弾力があるもちもちした食感。思ったより上手に炊けていた。うん、我ながらおいしい。
しかし子供たちの動きは鈍い。やれおいしくなさそうだの、やれ肉の方がいいだの散々な言われようである。
だがそのうち、一人の子が好奇心からかご飯を口にし始めた。が――
「味がない」
そんな、ばかな……。彼女に続いた他の子らの感想も似たようなものであった。
アサヒ、〈ジルシー教会〉に来て初めての挫折である。コンテがボツにされた時よりもショックだった。
「私は好きですよ、この味。何やら安心します」
と老神父がフォローしてくれたが、リアの感想はというと――
「あれだけ手間かけて、この味? とんだ期待外れだわ」
更に追い打ちをかけられたのであった。
その後、アサヒは手を替え品を替えご飯を「おいしい」と言わせるためにがんばった。
その結果、チャーハンやカレーライスは好評を得たが、ついに白飯を「おいしい」と言わせることはできなかった。
そのまま一週間が過ぎ、ついに出立の日がやって来た。




