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W線上のアリア  作者: 雪見桜
プロポーズから始まるボーイ・ミーツ・ガール
16/18

その5

「……………………」

 アサヒの耳は今、シャワーの音に支配されている。もしかしたらゾウのように耳が大きくなっているかもしれない。

 この世界〈ジルシー教会〉では食べ物だけでなくお湯も潤沢に出るようで、客室に専用の風呂場が設置してある。しかもシャワーに湯船がある充実ぶりだ。

 しかし今、アサヒにはその幸運に浸っている余裕など微塵もない。


 もちろん、今風呂場に入っているのはリアだ。

 ファンから『かわいい』と評される二一歳男性少女漫画家であるアサヒとて、女性を意識しないわけではない。むしろ、年相応の興味はあるわけで。

 ただ、自分から何かアクションを起こすだけの度胸も経験もなく、ただ客間のベッド――幸いなことに、これはダブルベッドなどではなくシングルサイズが二個置いてあった――に腰掛けて小さく縮こまるばかりだった。


 シャワーの音が止んだ。全身が耳になっていると過言ではないアサヒは敏感にそれを察知した。

 永遠にも思える数分間が経ち、風呂場の扉が開かれる音が聞こえた。アサヒが生唾を飲む音が心臓の音に混ざって聞こえてきた。

 が、次の瞬間――


「――って、鎧着てるんかーい!」

 アサヒはベッドの上でずっこけた。風呂場から出てきたのはこれまでと同じ、ある意味この半日で見慣れた漆黒の全身鎧姿のリアだった。

「……? どうしたの? お風呂空いたけど、入らないの?」

「行きます! 行きますよ!」

「…………?」

 これまでの緊張は何だったんだとリアからすると理不尽な思いを募らせ、アサヒは大股でひとり広場に入っていった。


 アサヒが風呂場に入ったのを確認してから、リアは客間に備え付けてある椅子に腰掛け、分厚い本を取り出した。勇者フレスベルグと戦っていたときに使用していた本とは少し異なる装丁の本が客間のろうそくに照らされている。

 ぱらぱらと紙をめくって目的のページを開くと、そこに書かれている魔法文字に鎧の指を当てる。指が当てられた文字が光り出すが、先の戦いとは異なり、傍目には何も変わっていないように見える。


「……問題なさそうね」

 リアはその鋼の頭を空中に彷徨わせるように動かした後で安堵したかのようにそう言った。〈ジルシー教会〉全域に張り巡らされている索敵の魔法陣によるレポートを受け取ったが、勇者以降、W線を越えてくるものはいなかった。

「それにしてもあのアサヒって人……」


『俺と結婚してください!』

 今思い出しても顔が赤くなる。全身鎧のおかげで表情を悟られないことに今日ほど感謝したことはない。

 もちろん、あれは絶妙のタイミングで彼が転移してきただけの話で、他意がないということはリアとて百も承知だ。それはアサヒ自身も認めていたことだ。

 しかし今まで魔法の研究と実践一筋だった彼女にとって驚天動地の出来事だったのだ。


「落ち着きなさい、落ち着くのよ、リア。あなたにはやるべき事があるの。〈マギア〉の皆のためにも、あの子のためにも、それだけは忘れちゃ駄目」

 大きく息を吸って、少しずつ落ち着いてきた。

 そんな折――


「ぎゃあああああああ!」

 風呂場の方から叫び声が聞こえてきた。むろん、アサヒの声だ。

「何!? 何があったの?」

 その声を聞くや否や、リアは即座に立ち上がると、本を片手に声のした方へと走っていった。

「アサヒ、どうしたの? 大丈夫?」

 扉を開けてアサヒの無事を確かめる。――が。


「うわあああああああ!」

「きゃあああああああ!」

 出会い頭に叫ぶアサヒとリア。アサヒは股間を隠し、リアは後ろを向いた。

 そう、アサヒは今入浴中だったのだ。

「な、何よ……。突然大声出したりして、びっくりさせないでよね。虫でも出たの? 軟弱でホントやんなっちゃう」

 照れ隠しなのか、リアは後ろ向きのまま早口でまくし立てる。


「いや、その……ごめん。びっくりしたもんだから、つい。でも、これちょっと見てほしいんだけど……」

「はぁ!? 何言ってんの? そんなもん見たくないわよ」

「いやでもこれ、どう見てもおかしいんだって。リアならこれの原因がわかるんじゃないかな?」

「なんであたしが? 知らないわよ。見たことないし!」

「そっかぁ……困ったなぁ。一応商売道具だったんだけどな」


「は? 商売道具? あんた漫画家ってもしかして……」

「いやでも右手も左手もこうなんだよ。困ったなぁ」

「右手も左手も……って、え?」

 リアが振り向くと、そこには困った顔で両手を眺めているアサヒがいた。いつの間にか彼の腰にはタオルが巻かれていてひと安心した。


「手がおかしいって? ちょっと見せてみなさいよ」

 リアが言うと、アサヒは素直に両手を差し出した。

 お世辞に鍛えられているとはいえない胸筋からつながる細い二の腕と肘のちょうど間ほどに明確に線が引かれていた。太陽の下に出ていない者特有の白い肌が、その線を境に褐色に変わっている。


 異なるのは色だけではない。その表面は肌特有の柔らかく滑らかな質感ではなく、硬く、何本もの平行な曲線模様が全面に渡って波打っている。木目だ。まるで腕の形に切り出した木をやすりで磨いたようであった。


「これは……」

 それを見た瞬間、リアの声色が真剣なものに変わった。アサヒの手を取り、真剣にそれを眺める全身鎧。

 リアはこの腕を見たことがあった。アサヒと入れ替わりにいずこかへ消えた勇者フレスベルグ。彼の腕そのものであった。


「取り敢えずアサヒ」

「なにかわかった? 僕の腕、元に戻るかな?」

「まずはお風呂に入ってきなさい。そのままだと寒いわよ」

「え……? わわっ!」

 自分が今半裸だと思い出したアサヒは、慌てて風呂場の奥へと引っ込んでいった。


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