その5
全身鎧は手に持った分厚い本をひらき、ぱらぱらとページをめくった。そしてあるところでページを繰る手を止める。
そこには文字がびっしりと書かれていた。フレスベルグは知るよしもなかったが、それは特定の世界で魔法を記述するために開発された特殊な文字であった。
全身鎧がその籠手の指先で文字に触れると、黒いインクで記述された文字が淡く緑色に発光し始めた。その指を文字の流れに合わせて沿わせると、文字列は順に緑色から赤く変わっていく。
それらが全て赤色に染まったとき、変化が現れた。
「!!」
勇者の目が見開かれた。全身鎧が持つ本の前にこぶし大の火の玉が現れたからだ。
「な……魔法!?」
そうしている間にも火の玉はどんどん大きくなる。やがてそれは全身鎧の兜ほどの大きさになると、勢いよく射出された。
「…………!!」
それを可能にしたのはひとえに勇者の並外れた動体視力があってこそだろう。
ギリギリのところで身体をよじって火の玉をかわしたフレスベルグであったが、しかしさらなる脅威に腕だけの土巨人に握られた状況の中、絶望感すら味わうのであった。
「ま、待て……!」
目の前で成長する数十の火の玉を前に、粘っこい汗を垂らしながらフレスベルグは言ったが、全身鎧はまるで聞く耳を持たない。
「いやよ。待たないわ」
どこか嬉しそうな声色で全身鎧が言った。もしかすると鎧の中は満面の笑みなのかもしれない。そう言っている間に火の玉はみるみる成長していく。
それらはやがて兜ほどの大きさまで成長したかと思うと――
「いけ!」
全身鎧の号令と共に火の玉は一斉に勇者に飛んで行った。
「くそっ、舐めるなよ! オレは世界樹の勇者フレスベルグだ!」
たとえ隔絶されたスピードでも、来るとわかっていれば対処できる。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
フレスベルグは世界樹の剣を振り回した。めったやたら振っているように見えて、実際は火の玉のひとつひとつを見極め、命中弾のみを正確に弾いていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
火球と世界樹の剣が衝突して生じた煙が晴れたとき、そこには無傷の勇者がいた。
「ど、どうだ……。てめーの魔法なんて……何度でも……ぜえぜえ……」
「あら? その割には息も絶え絶えだけど?」
嘲笑するように言いながら、全身鎧はさらに本に指を這わせる。全身鎧の周囲に再び数多くの火球が現れた。
「いつまで耐えられるかしら?」
まるで捕らえた獲物をいたぶる猫のような全身鎧。勇者は険しい目で全身鎧を睨みつける。勇者にとって最悪なことに、全身鎧の声には微塵も疲れは感じられず、それがハッタリだとは全く思えないのだ。
それでも挫けることはないのが勇者の勇者たる所以だとは彼の信念だ。
「てめーのへっぽこファイアーボールなんざ、何発でもはじき返してみせるさ」
「あらそう」
たとえ隔絶されたスピードであっても、来るとわかっていれば対処できる。逆に言うと、不意を打てばいくらでも当てられるのだ。
全身鎧が本に這わせていた人差し指をぴんと弾くと、その瞬間、発生途中の火球のひとつが突然勇者に向けて飛んで行った。
「ぶべっ!」
火球が勇者の顔面に命中し、およそ勇者らしからぬ声が漏れた。
「てめっ! 不意打ちとは卑怯だ……ぶばっ……!」
勇者の言葉を遮るように火球がもう一発命中する。
「てめー、いい加減に――」
「ああもううるさい」
全身鎧が呆れたように続けざまに指を弾くと、生成途中の火球が次々飛んで行き、すべてが勇者の顔面に命中した。
「……………………」
火煙がかき消えた後に現れたのは、若干煤だらけになりながらも相変わらず無傷のフレスベルグの顔面だった。もっとも、彼の表情はこれまで見たことのないほどの仏頂面であったが。




