第十話 レオン
翌朝。
レオンは宿を出た。
女将が帳場にいた。
「おはようございます」
「おはよう」
いつもなら。
名前が続いた気がした。
レオンさん。
そう呼ばれていた。
今日はなかった。
別に。
毎朝必ず名前を呼ぶわけではない。
外へ出る。
パン屋の主人がこちらを見る。
「今日は早いね」
「ああ」
それだけ。
ギルドへ行く。
受付嬢が顔を上げる。
「おはようございます」
「おはよう」
やはり。
名前はない。
レオンは少しだけ気になった。
掲示板から依頼を取る。
簡単な護衛。
受付へ持っていく。
「こちらですね」
「ああ」
「署名をお願いします」
レオンは筆を取った。
《レオン》
書く。
受付嬢が紙を見る。
少し。
止まった。
「何」
「いえ」
「名前、忘れた?」
受付嬢は困ったように笑った。
「一瞬だけ」
「そう」
「顔は分かるんですけどね」
レオンは何も言わなかった。
依頼は問題なく終わった。
王都へ戻る。
報告。
報酬。
そのまま酒場へ行った。
主人が言う。
「いらっしゃい」
レオンはいつもの席に座る。
料理が来る。
肉。
パン。
水。
食べる。
途中。
レオンは紙を出した。
《レオン》
と書く。
少し見て。
その下に。
《俺の名前》
と書いた。
主人が皿を下げに来る。
「最近、よく書いてますね」
「ああ」
「何を?」
レオンは紙を見た。
「名前」
主人が覗き込む。
「レオン」
声に出した。
レオンは顔を上げた。
「知ってる?」
「何を」
「その名前」
主人は少し考えた。
紙を見る。
レオンを見る。
「あなたの名前ですよね」
「紙を見る前から?」
主人は黙った。
少しして。
「……どうでしたっけ」
レオンは紙をしまった。
「いい」
それ以上は聞かなかった。
夜。
宿へ戻る。
机。
紙を並べる。
《ガルド》
《エルネはいた》
《ミリアはいた》
《暁の剣》
《パーティー名》
《俺は一人ではなかった》
そして。
《レオン》
《俺の名前》
レオンは長く見た。
ガルド。
遠い。
エルネ。
遠い。
ミリア。
遠い。
暁の剣。
何かの名前。
レオン。
自分。
これは。
まだ。
すぐ分かる。
レオンは新しい紙を出した。
《俺はレオン》
書く。
その下に。
《みんなそう呼んでいた》
と書こうとした。
手が止まった。
本当に。
そうだったか。
最近は。
誰も呼ばない。
前は。
呼んでいた。
たぶん。
レオンは少し考えて。
《俺はレオン》
だけ残した。
翌朝。
紙を見る。
《俺はレオン》
意味は分かる。
すぐに。
宿を出る。
女将。
「おはようございます」
「おはよう」
ギルド。
受付嬢。
「おはようございます」
「おはよう」
今日も。
誰も。
名前を呼ばなかった。
レオンは依頼を一枚取った。
受付へ。
署名。
《レオン》
受付嬢が読む。
「ありがとうございます」
それだけ。
レオンは少し待った。
何もない。
「この名前」
受付嬢が顔を上げる。
「はい?」
「俺の名前で合ってる?」
受付嬢は紙を見る。
それから。
レオンを見る。
「はい」
「すぐ分かった?」
少し。
間があった。
「紙を見たので」
レオンは何も言わなかった。
書類を受け取る。
外へ出る。
街道を歩く。
途中。
紙を出した。
《レオン》
見る。
自分の名前。
まだ。
分かる。
でも。
前より少しだけ。
文字として見える時間が長くなった。
レ。
オ。
ン。
名前。
自分。
その順番で。
意味が戻ってくる。
レオンは紙を折った。
鞄にしまった。
夜。
宿。
机。
《俺はレオン》
もう一度。
書く。
その下に。
《この字を書いたのは俺》
と書いた。
二行。
《俺はレオン》
《この字を書いたのは俺》
レオンは見た。
少し。
安心した。
それから。
古い紙を一枚。
隣に置いた。
《俺は一人ではなかった》
しばらく。
二つを見比べる。
《俺はレオン》
《俺は一人ではなかった》
どちらも。
自分について書いた文。
なのに。
下の方が。
少しだけ。
自分に近い気がした。




