日常
「…………」
シイは、ベットに横になってぼんやりと天井を眺めていた。
チラリ、時計に目を向けると午前6時。
「…早すぎ」
そう呟くと、むくりと状態を起こした。
ベットから出て、アジトを一瞥する。
トキとユクモは、床にごろ寝している。
ウキョウは己の家に帰ったため、いまアジトにいるのは三人だけである。
シイは冷蔵庫から水を取り出し、一口喉に流し込む。
そしてスウェットを脱ぎ、ジャージに着替えた。
「…行く、か」
ポケットにテーピングを入れ、アジトから出た。
日が昇り始めたその明るさに、思わず目を細めてしまう。
靴紐を締めなおし、シイは走り出した。
「ふう……」
走ること、約20分。
人が全くいない高架下までやって来たシイは、テーピングを取り出し己の拳に巻き出す。
慣れた手つきで巻き終えたシイは、高架下に置いてあるサンドバックの前に立った。
この高架下は普段夜に生きる若者達が己の強さを磨くために練習を積んでいる場所で、サンドバックや瓦、防具等が端に置かれているのだ。
シイはふう…。と目を閉じ深呼吸すると、次の瞬間勢い良くサンドバックを蹴った。
パァン!
心地の良い音が、誰もいないその空間に響き渡る。
シイは何度か、その行為を繰り返す。
すると、急に後ろから誰かの足音が聞こえてきた。
「シイさんっ!!」
「…アラタ?」
その姿は、最近よくアジトに入り浸っているアラタでシイは驚きに目を見開いた。
アラタはシイの元までやってくると、元気良くシイに挨拶した。
「おはようございます、シイさん!」
「おはよう。…アラタも稽古しに来たの?」
「はい!走りこみしてたら、シイさんが見えて。」
俺、こう見えていつも此処で練習してんです。
と爽やかな笑みを浮かべたアラタに、シイも微笑む。
「そっか。私は珍しく早起きしちゃって…。」
「じゃあ、シイさん今お時間あるんですか!?」
「うん、一応」
「じゃ、じゃあ!俺に稽古を付けて下さい!」
瞳を輝かせて言い放ったアラタに、シイは目を点にさせた。
「私、教えれることなんて何もないよ?」
「いや、シイさんはお強いです!俺に強さの秘訣を教えてください!」
アラタの言葉に、考える素振りを見せたシイだったがやがてコクリと頷いた。
「…じゃあ、これからベットをした時に使える有効な技を教えてあげる」
それだけ言うと、シイは近くに置いてあったグローブを手に取りアラタに渡した。無言でグローブをはめるシイを見て、アラタもグローブを付けた。
「じゃあ、アッパーカットから」
「え?っ……!!」
そう言うや否な、シイは物凄い速さで間合いを詰めてきた。
次の瞬間には、アラタの顎ギリギリに拳を突き出していたのである。
ツウ…、アラタの背に嫌な汗が浮かぶ。
「これが、アッパーカット」
「あ、あ……」
驚きで声も出ないアラタから離れたシイは、大丈夫?とアラタに問いかけた。
「アッパーカットって、あのアッパーですよね?」
「うん、アッパーカットは下から拳を突き上げる技。」
ゆっくり、アラタに見えるように型を見せるシイ。
「アッパーは、顎に入ると脳が揺れて、意思とは裏腹に体が動かなくなり、立っていることができなくなる技…。」
「す、凄い…」
「逃げたくなったら、アッパーカットをして逃げなさい。」
でも。シイはそう言ってアラタを見据える。
「アッパーカットはリーチも短いし、下から拳を突き上げる際に相手のパンチを被弾し易い…。見極めて、使わないと逆に相手にストレートをもらうことになるからね」
なんて、奥が深いんだろう。
アラタは感慨深めに頷き、シイを見つめた。
「シイさん、もう一度お願いします」
「何度でも、やってあげる」
こうして、二人の特訓は昼間で続いた。
「いててて…。うわ、俺ぼろぼろだ…」
「結構経ったね…」
我武者羅に練習し、既に日は燦燦と辺りを照らしていた。
流れる汗を拭い、擦りむいた肌をさするアラタの横で、シイは携帯を取り出し素早く誰かに電話を掛けた。
「…おはよう。もうアジトに居るの?…うん、きっとまだ寝てると思う。私、今日はアラタとお昼食べるから、適当に二人に食べさせてあげて。はいはい、了解です。」
話し終えて、ため息を吐いて携帯を閉じた。
そしてアラタの方を向き、微笑んだ。
「お昼、食べに行こうか」
「えっ!?」
「何処が良い?一番近いのはファミレスだけど…。嫌なら何処か違う場所にしても良いよ?」
…シイさんと、二人で…ご飯…
ボンッ!
アラタの表情が真っ赤に染まった。
「えぇ!?俺とシイさんが!?」
「…嫌なの?」
「いや、全然!」
火照る顔を必死に抑え、アラタは首を横に振った。
シイのファミレスで良い?という問いにも豪快に頷く。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
二人は疲れているにも関わらず、軽快な足取りで高架下を後にした。
「シイさん!」
「ん?」
「今日はトキさんと一緒じゃないんですね」
今更ですけど、と小さく笑いながらそう言ったアラタの言葉にシイも小さく笑った。
「トキは夜型だから、昼過ぎまで寝てるよ。もちろん、ユクモも一緒にね」
「へぇ…。じゃあいまアジトにはウキョウさんが?」
「うん、でもウキョウはちゃんと帰る『家』があるから…」
そう言ったシイの言葉には翳りがあったが、気付かないアラタはそうなんですかぁ。と気の抜けた返事を返した。
結局、グダグダとアラタに神龍の事を質問されたシイがファミレスを出たのは、午前三時近くであった。
「シイさん、また!」
「ええ、また」
ファミレス前で別れた二人は、別々の道を進む。
アラタの姿が見えなくなるまでその姿を見送ったシイは、やがてアジトの方へと歩き始めた。
「…おーう、シイじゃなか?」
…だが、聞こえてきた声に、再び足を止めることとなる。
「…タイガさん」
「おう、おんしトキと一緒じゃないんか?」
「トキなら、まだ寝てますよ」
ラフな姿のシイとは対象に、タイガはきっちりとした服を着ている。
品の良いシャツに、細身のズボン。
タイガの象徴のドレッドヘアーも健在だ。
「タイガさんこそ、こんな時間にどうしたんですか?」
「食材の調達しとったんじゃ。生きの良い食材は己の目で見極めんとな。」
「さすが、料理人ですね」
「おう!もっと褒めんしゃい!」
アッハッハ!いつもと同じく豪快な笑いを見せるタイガ。
「ふふ…。あ、そういえばカンナは?」
「あいつなら今日はお留守番じゃ。」
「珍しいですね、カンナが素直に留守をするなんて」
「風邪引いちまったみたいでのう。おとなしく寝とる」
そう言われて、ようやく納得する。
カンナは、タイガ命な女である。
例えタイガが着いて来るな、と言っても着いていくくらいタイガの事を想っている。
なので余計に、タイガが一人で居ることに変な違和感を感じるのである。
「これから遊びに行かんか?…と、誘いたい所じゃが…。如何せんカンナが寝込んどるからの、また別の日に誘うとするぜよ」
「そうして頂けると、嬉しい限りです」
シイの言葉に、タイガは笑ってシイの額を小突いた。
だが、何かを思い出したように急に表情を暗くさせた。
それに気付いたシイも、笑うのを止めてタイガを見た。
「トキに伝えてくれんかのう。…そろそろ、レイジに話を付けに行かんといかんって」
「…レイジさんに、協力を求めに行かれるんですか」
「四獣神は、均衡を保たんといけんからのう。レイジには、無理強いをしてでも協力してもらわんと困るんじゃ」
言付け、頼めるか?
タイガの言葉に、シイは何を言うこともなく頷いた。
「じゃあ、また連絡するぜよ」
「ええ、伝えておきます」
手を振って去って行くタイガを見送り、シイは軽くため息を吐いた。
そして、ゆっくりと歩き始める。
夕日に、胸元に付けているエンブレムが反射してキラキラと輝いている。
シイは、エンブレムに触れるとそっと目を閉じた。
「…トキは、私が守る」
エンブレムを握り締め、目を開く。
シイの表情は、決意に満ち溢れていた。
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アジトが見えてきた所で、シイはふとアジトの前に誰かが座って居ることに気付く。
それは物憂げに夕焼け空を見上げており、その姿は端整な顔をより美しく見せている。
シイはその姿を捉えると、ふっと微笑んだ。
早歩きで近づくと、シイに気付いたそれがゆっくりとシイの方へと視線を移す。
「…トキ、何してるの?」
「…君を、待ってたんだ」
トキも、ゆっくりと微笑んで立ち上がる。
シイはトキの隣に立ち、トキと同じように夕焼け空を見てみる。
「…俺は、シイが居ないとなーんにも出来ない男なんだ」
「……」
ふいに、トキが空を見ながら話し出した。
口出しすることもなく、シイはその言葉に耳を傾ける。
「…今も…昔も。
俺は、シイに頼って生きてきた」
「……」
「いつも、起きてシイが居ない時は不安になる。シイが、居なくなっちゃったって。」
ユクモに馬鹿にされても、仕方ないよね?
そう言って切ない表情を見せるトキに、シイも胸が締め付けられる。
「俺は、我侭なんだ」
「トキ…」
「我侭だから、願ってしまう」
「トキ」
「…シイが、永遠に俺のそばに居れば良いのにって…」
「トキ、大丈夫だよ」
ギュっと、シイは隣に居た愛しい存在を優しく抱きしめた。
トキはおとなしく、されるがままシイに抱きしめられた。
「私は、トキから離れない」
「…シイ、俺は……」
「私こそ、トキが居なくなったら生きていけない。…だから、お互い様でしょ?」
ね?と話すシイの音色は優しく、トキは己よりも幾分か小さいシイを今度はギュッと抱きしめる。
「…そうだね、俺とシイは離れない」
「うん、私はずっと貴方の傍に居る。誓ったでしょう?」
「うん、誓った」
クスクス、お互いの顔を見つめあい微笑んだ。
夕日は、二人を祝福しているかのように優しく降り注いでいた。
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「…シイぃ……」
「ユクモ、ただいま」
「遅い!何時間出かけてたわけ!?」
トキと共にアジトに入った瞬間、シイを待っていたのは頬を膨らませご立腹気味なユクモであった。
シイはユクモを見るなり肩を竦め、苦笑いを浮かべた。
「ごめん、遅くなって。朝トレーニングしてたらアラタに会って。ちょっと稽古付けてたの」
「ふーん。稽古って、金蹴りだけ教えとけば一発じゃん」
「…ユクモ、アンタ男なのによくそんな言葉言えるわね…」
「本当だよ、ユクモ……」
呆気らかんと言い放ったユクモの言葉に、シイとトキは顔を歪ませた。
そんな二人の様子を気にすることなく、ユクモは口に入れていた飴をガリッと噛み砕いた。
「だって実際にされるわけじゃないもん」
「…そんな事言ってたら、カンナにまた蹴られちまうぞ」
「あ、ウキョウ」
パソコンと向かい合っていたウキョウが、くるりと三人の方へと向き直った。
お帰り、ウキョウの言葉に二人も返事を返す。
ユクモはウキョウの返答に顔を真っ青にし、うろたえていた。
「っ、アイツの名前は口に出すなって言ってるだろっ!?」
「何だ、まだカンナに金蹴り食らったの気にしてるのか?」
「当たり前だろ!?アイツ、初対面なのに俺に金蹴り食らわしやがって…!あの痛さ!絶対俺の再起不能になるかと思ったんだよ!?」
…どうやら、ユクモはカンナと出会った時の事を思い出しているらしい。
さり気なく、かつ無意識に己の大事な部分を隠している。
その様子に、兄のトキは笑った。
「そんなに痛い思いをしたのに、人に金蹴りを勧めるのは良くない事だと思うよ?」
「わ、分かってる……!」
からかわれた。
気付いたユクモはチラリとウキョウとトキを一睨みし、ぶすっとテレビに視線を移した。
「シイ、お前飯は食ったのか?」
「お昼は食べた、晩御飯はまだだけど」
「そうか、生憎俺とユクモはもう食っちまったんだわ。どっかの誰かさんは、シイを待つって言って食べてねーけどな」
チラリ、トキを見ると穏やかな顔をして笑っている。
シイはため息をひとつ零し、トキに向き直る。
「トキ、先に食べてても良かったのに」
「ん?俺はシイと食べたかったから」
優しいその笑みに、シイも思わず笑みを浮かべてしまう。
そんなシイにトキはさらに笑みを深くすると、ふいにシイの手を取った。
絡まる指、繋がる手。
それは恋人繋ぎで、シイは驚いた。
だが、トキはそんなシイをお構いなしといった感じでウキョウに言い放った。
「じゃあ、今からご飯行って来るね」
「おうおう、お熱いことで…。ユクモがまた拗ねるから、早く帰って来いよ」
「ウキョウ、俺は別に拗ねてない!」
ウキョウの言葉に、テレビに視線を戻していたユクモから抗議の声が上がった。
それをトキが笑って了解、と軽く交わす。
「じゃあ、シイ行こうか」
「……うん」
相変わらずのトキの奔放さに呆れながらも、シイはしっかりとトキの手を握り返したのであった。




