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いかにも狂暴そうな犬である。黒いシェパードみたいな見た目の犬達の目付きがヤバイ。こんなところで鉢合わせになるなんてマジでついてない。絶体絶命だ。
リリーは走馬灯のように我が身の不幸を振り返る。
(やだー。これって崖っぷちバラドルだった前世の祟りなのかしら)
前世では、ネパールの山奥の崖でハチミツ採りをさせられた事もある。熊と一緒にサーカスで玉乗りをした事もあった。
(あの時も大変だったわよ。蜂に刺されて困ったわよ。サーカス小屋の熊のニキータは可愛かったけど、蚤に刺されて痒かったわ)
しかし、どう考えても今の方がヤバイ。
ここから落ちたら死ぬかもしれない。
アーサーがリリーを庇うように前に進み出た。
「心配するな。銃がある」
そう言うと、三匹並んだ野犬の中で最も強そうな奴の頭部を撃ち抜いた。
おおっ、いいぞ。イケメンンの銃の腕は確かだぞ。
喜んだのも束の間。
(やばっ、この時代の銃って一発撃ったらおしまいなんだわ。チクショー)
どうせなら、ライフル銃がある世界に転生したかった。
いちい弾丸を充填しなければいけない事に気付いて蒼褪める。
「アーサー、早く弾を装填してよ」
「オレの背中のリュックの中の弾を取り出してくれ」
リリーは慌てて指示に従おうとする。しかし、リリーはビビッていたせいで手元が狂い、貴重な弾を足元に落としてしまう。
駄目。そっちに転がったら崖の下に落下してしまう。その前に弾をつかまえようとしたのだが、ズルッと足元の地面が崩れてしまった。
オーマイガッ。
「きゃーーーーーーーーっ」
何と、リリーはそのまま崖から垂直に落下していたのである。
(前世で飛び込み台から降りるロケを体験しておいて良かったわ~)
おかげで、スパッと足から華麗に海に落ちることも出来る。
「リリーーーーーーっ」
アーサーの悲鳴が響く中、ドボンとリリーは海の底へと沈み込んでいく。
ブクブクッ。
水泡が舞う中、腕を動かし、もがくようにしてリリーは浮上しようとする。
十メートルほど下に落下したのだが、幸い、水深がちゃんとあったおかげで死なずに済んだ。
リリーはズンズンと上昇していく。そして、ブハッと呼吸を確保すると大声で叫んだ。
「アーサー、あたしは無事よーーー。ここ、飛び込んでも大丈夫なところだったわよぉーーー。水深、深いわよ。あたし、泳げるから心配ないわよ」
だから、あたしのことは気にせずに犬と格闘してと伝えたつもりだったのだが。
えっ。なぜか、次の瞬間、アーサーが崖から飛び降りてきたのである。
(何なのよ……)
犬に追い詰められて落下したのだろうか。
しばらくすると、リリーと同じようにアーサーも一旦沈んでから浮上してきた。
「どうしたのよ。あたしを助けに来なくて良かったのに。あなたが落ちたら、誰が引き上げてくれるのよ」
「オレが死んだら元も子もないないぞ。生憎、銃は使えそうにないし、こっちは丸腰だから、海に避難したのさ」
「……どうするのよ。ここから、一体、どこに行けばいいのよ」
「目の前に洞窟があるぞ。ひとまず、そこに行くしかないようだな」
ハリウッド映画のパイレーツカリビアンで見かけるような立派な鍾乳洞である。
帆船がスポっと入れそうな感じの大きさなのだ。
(洞窟の奥には何があるのかしら)
リリーとアーサーは平泳ぎで洞窟の奥へと進む。
突き当りのところまで来ると岩礁の陸地が見つかった。
そして、驚いたことに、洞窟の突き当りには洞窟住居と思われる空間がある。
(ええーっ。何だか凄いわ。洞窟の先にある岩壁をくりぬいて作ったのかしら)
木製の扉を開いてみたところ、なんと、そこにはたくさんの荷物が整然と並べられていた。
スーパーの倉庫のように何でもある。
小麦、大麦、ジャガイモ、綿布、麻布、リンゴ酒、バター、チーズ、木工製品。その他諸々の雑貨品。すごい品揃えだ。生活必需品が収納されている。
それぞれの箱には品物を記した文字が書き込まれている。
「アストラ本土や、もしくは、その周辺国から運ばれてきたものだな。パティスト島で不足しているものばかりだ」
バティスト島は百万人がひしめく大きな島だ。
半世紀前までは、パティスト島はトロメライ一族が統治する海洋都市国家だった。
しかし、アストラに吸収合併されてパティストは崩壊している。
「もしかしたら、ここはバティストの反乱分子の拠点の一つなのかもしれないな」
そう言った後で、アーサーは首を振った。
「いや、あいつらならバティスト島の倉庫に保管するだろう。そうなると、また別の組織が暗躍しているのかもしれないな」
「ヘックション」
くしゃみをするリリー。
何だか寒くて困ってしまう。
「子爵令嬢のリリー・マードック。せっかくだから、ここで濡れた服でも乾かそうじゃないか。幸いなことに。ここには身体を拭う布もある。そして、空腹を満たすジャムの瓶詰もある」
洞窟の倉庫部分は気密性が高い。
しかし、洞窟の波打ち際の天井には穴が開いており自然光が射し込んでいる。
「ここにあるものが湿気てしまうとヤバイから閉めようか」
頑丈な木の扉をひとまず閉じると、その前方にある空間に腰かけて、二人は濡れた服を乾かすことにした。
幸い、倉庫の中にはマッチや食用の菜種油もある。しかも、嬉しい事に飲料水となるビールの樽もあるじゃないか。
「何とか、エリーゼ達のところに戻りたいわね。ここには小麦粉がある。無発酵のパンも焼けるし、そのパンにハチミツも濡れるわよ」
「問題は、ここからどうやって陸地に戻るかだよな」
島を横断したから、この周辺には浜がなくて、断崖が続いていることは分かっている。
「あたしが泳ぐわ。一キロぐらいなら平気よ。そうね、頑張れば三キロぐらいは平泳ぎで移動できるわよ」
「しかし、今夜はここにいるしかないようだな」
ランプはあるけれども薪はない。だから二人の衣服は自然乾燥するしかない。
日が沈んでくると気温が下がってきた。
「おまえ、もっと布を巻いたらどうだ。倉庫から取って来ようか」
令和の世界に生きてきたリリーにとっては、素足や肩を丸出しにする恰好は少しも恥ずかしいものではない。しかし、アーサーは少し居心地悪そうにしている。
リリーはあぐらをかいたまま言う。
「別に、寒くないわ」
リリーはギリシャ神話の女神のように一枚の布を綺麗に巻いてドレスのようにしている。アーサーは腰に布を巻いただけである。
「あんたこそ、上半身を何かで覆いなさいよ。目のやり場に困るわよ」
「ふうん、おまえでも恥じらうことはあるのか? ていうか、最初に見た時と性格が違うな」
「信じないでしょうけど、海で溺れて前世の記憶を取り戻したのよ。あたしは前世では野生児と呼ばれていたのよ」
「……胡散臭い話だな」
「そうね。別に信じなくてもいいわ。とにかく、もう、あたしは継母に怯える小娘じゃないってことよ。ていうか、あなたは何者なの? 地図の×印にやけに興味を示していたわね」
「ここが×印の地点だという事は分かったが、なぜ。死んだ男がここを目指していたんだろうな。どういう事なのか分からん」
そんな話をしているうちに、すっかり日が暮れていたのである。
☆
満月が綺麗だ。その頃、浜辺では焚き木の炎を見詰めながら、継母とエリーゼは母娘水入らずの時間を過ごしていた。
エリーゼは周囲を見渡しながら心配している。
「お母様、お姉様達、無事なのかしらね」
「あんな娘、どうなろうと構いませんよ」
「だけど、お姉様がいないと海老が食べられないわ。それにしても、まさか、こんな事になるなんて……。舞踏会に行きたかったのに」
貧乏貴族でも王都の舞踏会に行けば王子に見染められるチャンスはある。
いつか玉の輿に乗るというのがエリーゼの夢だ。
一応、エリーゼは子爵令嬢である。
成人の儀として舞踏会に招待される事もあるだろう。
「まだ独身のアーサー王子とリュカ王子の妻になりたいわ。でも、アーサー王子は変り者みたいだから、何かと面倒かもしれないわね」
アーサー王子の母親はアーサーが三歳の時に自殺をしている。
体調不良により鬱状態だった事は有名だ。
そして、アーサーの母の死後、下っ端の女官だったソフィーが王の後妻となった。
第三王子のリュカはソフィーの子だ。継母は、人から聞いた話を娘に伝えていく。
「ソフィー様は金色の髪に青い瞳の美女だそうですよ。美しい薔薇のような方なんですって。もちろん、アーサー様の母君も黒髪の慎ましやかな美人だったようだけど、ソフィー様の美しさには敵わないみたいですよ」
「だから、第三王子のリュカ様は美形なのね。次の王にリュカ様を推す国民は多いそうよ。ウイリアム様は既婚者だしアーサー様は婚約者がいる。ていうことは、あたしはリュカ様を狙うしかないわね。あたしも王妃になれるかしら」
「でも、いくら国民に人気があっても無理ですよ。長男のウイリアム王子が正当な王位継承者だもの。まぁ、上の二人が亡くなれば話は別だけどね」
「贅沢な暮らしがしたいなぁ」
色々と夢想していたエリーゼは、いつのまにか砂浜で眠っていた。
早いもので、リリー達を乗せた定期船が沈没してから五日が経過しているのだ。
エリーゼ、継母。
リリーとアーサー。
それぞれが眠りにつく。
その時、リリー達が乗っていた帆船の残骸を探し当てた者がいた。
それは、アーサーの直属の部下のラーソンという三十路のガタイのいい護衛官だ。
しかし、残念なことに船は半分に割れた状態で座礁しており、船の三分の二は浸水している。
かろうしで船首部分が少し海面の上に出ているが、この船に生存者はなさそうだ。
(アーサー王子……。まさか、お亡くなりになったのですか?)
やはり、遠征を止めるべきだった。
王子自ら、バティストの反乱分子を探る必要などなかったのだと悔やんでも遅い。
王の命は長くない。今、長男のウィリアム王子が王の代理を任されているが、ウイリアムは病弱。
次男のアーサーは、そんな兄に代わって兄を支える為に隠密の活動しようと心に決めて生きていた。とはいうものの、なぜか、いつも、こちらの情報が敵に漏れている。
だから、今回は少数精鋭で、本当に信頼できる者達と調べたかったようである。
王子を含む四人。
他の三人は王子が個人的に雇っている武官だ。
あの夜、ピストルの音が二発、響いた。
ラーソンが知らべたところによると、最初から、その船は沈む事になっていたようである。生き残った者から、当時の状況を聞いたのだ。
帆船の船長と海賊はグルだったのだ。
定期船から海賊船へと移動した後、船長が海賊の頭領に尋ねた。
『おまえ、特別室の貴族の二人は撃ったのか』
『ああ、しっかりと撃ち殺してやったぜ』
『飛び入りの女の客はどうした?』
『あれは船倉に閉じ込めておいた。船と共に沈んでるだろうよ』
しかし、もう一人の下僕に関しては誰も死んだところを誰も見ていない。
アーサー王子は用心深いので下僕として振舞っていたことが功を奏しているようである。
アーサーを探していると思われたくないので、子爵令嬢を探しているフリをしてラーソンはここまで来ている。すると、深夜、小舟の船頭が遠くを指さした。
「旦那、あの島に明かりがついてますぜ」
それは、焚火をして熟睡している継母とエリーゼだった。




