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深夜、船倉の入り口付近に掛けられていたカンテラの明かりは灯っている。おかげで、その周辺だけは仄かに明るい。
カツン。船倉の蓋が開いた。上の階から誰かが降りてきた。
「無礼者。私達をどうするつもりなのですか。狼藉は許しませんよ」
この偉そうな声はリリーの継母で間違いない。
男達は継母を小突いで急かしているようである。
「うっせぇ、ばばぁ。とっとと下に降りろ」
「ちょっと、汚い手で触らないで欲しいものだわ。あなた達、酒臭いわね」
「そうよ。失礼よ。あたし達は貴族なのよ」
妹のエリーゼも一緒にいるらしい。海賊の首領らしき男は継母とエリーゼを船倉へと誘導しながら怒鳴っている。
「おまえらはここに残れ」
それだけ言い残すと、船倉の天井部にある出口を閉めてから立ち去った。
ドンドンッ。
継母とエリーゼは必死になって外に出ようとしているが、鍵がかかっていて開かないのか焦れている。
「失礼ね。あいつら、何なのよ」
継母がそう言うとエリーゼが肩をすくめた。
「隣室の男達のように殺されるよりマシだわ。あの二人、どこかの貴族だったみたいね。どちらも若くてハンサムだったのよ。彼等の従者の男はどうしたのかしら。あの栗毛の男が一番美形だったわよ」
「何を言うのですか。殺された赤毛の男が一番素敵でしたわよ」
「あらあら、お母様は赤毛の男が好きなのね。だから、あたしも赤毛なんだけどね。あたしの本当のお父様はどんな顔なのかしらぁ~」
「ハンサムだったわ」
驚いた事に、継母は娘に自分の過去の恋愛を洗いざらい話していたようである。
リリーは呆れていたが、今は、そんな事を気にしている場合ではない。海賊の脅威をやり過ごさなくてはならない。
「あら、何だか静かになっちゃったのね」
継母の言う通りである。急に物音がしなくなった。
それまで木箱の陰に隠れていたアーサーは継母達の前に現れるとこう告げた。
「どうやら、あいつらは立ち去ったらしい。早く、ここから脱出しないとヤバイことになるぞ」
「きゃっ。生きてたのね。あなたは特別室のハンサムな下僕さんよね」
こんな時だというのに面食いのエリーゼは頬を赤らめている。
「あなた、名前は何というの?」
「アーサーだ」
「あら、王子と同じ名前なのね」
目の前の男が麗しき王子とも知らずにエリーゼは嬉しそうに呟いている。
「歳も、アーサー王子と同じ二十一歳なんでしょう? ふふっ、同じ年に生まれた男の子は、みんな王子と同じ名前を付けるものなのよ。うちの島にもあばた顔のアーサーがいるわよ」
エリーゼはお喋りなので、一度、話し出すと止まらない。
「フーコック島のアーサーときたら、とてものろまで嫌になるわ。窓の修理を頼んだのに窓のガラスを壊しちゃったのよ。それでね……」
アーサーはエリーゼの事など無視している。
スタスタと梯子を上がる。
船倉の蓋を開けようとしたのだが無理なようである。
「クソッ。このままだと、オレ達はここで溺れ死ぬことになるぞ。あいつら、船員を連れ去ったみたいだぞ」
アーサーは焦っていた。そして、苛立ったように目を眇めているというのにエリーゼは呑気に呟いている。
「溺れ死ぬ訳がないわ。あなた、都会の人だから知らないのね。この季節、ほっといても潮流に乗って南へ向かうものなのよ。いずれ、バティストの沿岸部に着くわ。そしたら、助けてもらえるわよ」
妹の言う事はある程度は正しい。理論上、あと三日間、ここで我慢すれば辿り着く。
しかし、大事な事を忘れている。
途中、船が座礁する危険な浅瀬の海域がある。だから、そこをわざわざ迂回しなければならないのである。
航海士と水夫なしでは岩礁に体当たりしてしまう。
リリーが船倉の奥で絶望していると、リリーの足元に何かフアフアとした物が寄ってきてリリーの膝に頭をこすりつけた。
「きゃーーーーーーーーーーっ」
よく見てみると、それはネズミ捕り用に船に積み込まれた白い猫だった。
リリーの悲鳴を耳にしたアーサーと継母達が振り返った。継母は冷ややかな顔つきで言う。
「あら、てっきり、海賊どもに連れ去られたものだと思っていましたわ。なぜ、ここに?」
「た、たまたま、ここにいたのです」
あなたの鼾が煩いので避難していたとは言えない。
「あの、そんな事より、ここにいては危険です。いずれ、この船は座礁しますよ」
船首が岩にドンっとぶつかり、そのままバキッと半分に割れる可能性がある。
アーサーは足元に置いていたカンテラの明かりを掲げると、こう言った。
「ここに金槌のようなものはないか探してくれ」
金槌で蓋を叩き続けて木の板を割るというのだが、生憎、金槌はどこにもなかった。
「そうだ。ここに石があります」
リリーが石を木箱から取り出した。
アーサーは、その石で蓋を押し上げるようにして叩き始めているが、板を破るのは難しい。
背後からリリーは尋ねる。
「それ、何か貴重な鉱石ですか? 鉄や銅の材料になるものなのですか?」
「書類上はダイヤの原石となっているが、これは、ただの石ころだ。しかも、ここにある穀物は、みんな腐っている。唯一、梨だけは本物だと言いたいが、上の段の箱だけで、その下は腐った芋類が詰まっている。つまり、ここの積み荷には価値がないのさ」
アーサーの説明を耳にしたリリーは顔をしかめた。
「それは妙ですね。王都を出る際に職員がリストと照らし合わせてチェックする筈ですよ」
アルビオンの貴族は王都の王宮に献上品を納めている。
リリー達の場合、貧乏貴族ゆえに豪華なものは納められないので、近くの海で採れる真珠やカラスミと呼ばれる珍味を贈ることにしている。
その際、少しでも書類の記載に不備があると叱られてきたのである。
「リストと違うものを船に積んでも、そこにいる検疫官を買収すれば見逃してもらえるのさ」
アーサーの口調は淡々としている。お役人の仕事というのは賄賂次第で何とでもなると言いたげだ。しかし、わざわざガラクタを輸送する意味が分からない。
「そんなことより、おまえらも手伝え」
「あら、何なのよ。あたしはやりませんよ」
そう言うと継母がリリーに指示を飛ばした。
「リリー、ぼーっとしてないで丈夫な麻袋を探しなさい。そこに石を詰めるのよ。あとは分かるわね?」
いつも、野良仕事や雑用を任されているリリーはピンときた。
「はい。分かりましたお。お継母様」
リリーは七つほど石を詰め込むと、その麻袋をアーサーに手渡した。
「あの、これを振り上げて板を壊してください」
握りしめた石でコツコツと叩くよりも下から勢いをつけて複数の石をぶつける方が格段に破壊力がアップする。
アーサーが何度も何度も繰り返して板を叩くうちに蓋の木目にに亀裂が走った。やっと穴が開き、人が通過できるようになった。
アーサーが先頭を切って外に出たかと思うと、自分達がいた特別室に飛び込む。
「何てことだ」
煌びやかな衣服を身に着けた赤毛の若者と、武官のような雰囲気の金髪の若者が倒れていた。
「ネイサン、トーマス」
どちらも額を撃ちぬかれて絶命していた。
アーサーは悔しそうに膝をついている。
リリーとアーサーが遺体を前に呆然としていると、隣の客室からも悲鳴が上がった。
「な、何てことでしょう。私達の買ったドレスを奪われたわ」
「何ですって、あたしの舞踏会のドレスなのよ。そんなの酷いわよ。海賊の馬鹿ぁーーー」
ビェーーッと泣き出すエリーゼに対して継母が言った。
「エリーゼ、心配しなくていいのよ。リリーを嫁がせたなら何とかなりますよ。そんな事より、船の座礁を防ぐ方法を考えなくてはなりませんよ。そこのアーサーとやら、あなた、船の帆は操れますか?」
「生憎だが、それは無理だな。帆の操作には屈強な複数の男の手が必要だ」
エリーゼはヒステリックに叫ぶ。
「だったら、どうすればいいのよぉーーー」
刻々と、座礁ポイントが近付いてくる。逃げたくとも船に搭載されていた小舟はもうない。
船員が乗ったようだ。
リリーは子供の頃からフーコック島で暮らしてきたが故に海には詳しい。
「あの、浮き輪になるものを用意してはどうでしょうか。うちの島に漂流してきた船乗りの多くは樽にしがみついておりましたわ」
「そんなの無理よ。あたし、怖いわ」
だが、アーサーは船に置かれた飲料水入りの樽に視線を向けている。
「よし、浮き輪代わりになりそうな樽は人数分見つかったな。しかし、ずっと漂流していると鮫の餌食になりそうで怖いな」
リリーがカンテラを掲げると、隅々まで甲板を照らしながら言った。
「ここは多島海域です。無人島に上陸すればいいのです。ナイフなども持っていくべきですね」
火を起こす道具。小さな斧、刃物。これらは最低限必要になるだろう。
リリーは麻の袋にこれらを詰めると自分の樽にくくりつける。何しろ、帆船なので縄や大工道具はたくさんある。
「そうだわ。船が沈む前に厨房にある食べ物を食べなさい」
意地悪だが、それゆえに頭もいい継母は先々のことを考えている。
その言葉にハッとしたようにアーサーが頷いた。
「そうだな。確かに、今のうちに食っておくべきだな」
そして、四人は厨房に残っていた黒パンを頬張り水を飲み干していく。そうこうしていくうちに、じりじりと夜明けを迎えていたのだが、エリーゼはガタガタと震えている。
「本当に、この船は岩にぶつかるの? もしかしたら、このまま無事にバティスト島に漂着するかもしれないじゃないのよ」
「いや、それはないな」
アーサーが皮肉な顔で言い放っている。
「バティスト商会の奴等は、最初から、この船を沈めるつもりでいたようだ」
「えっ?」
それはどういうことなのか。詳しく聞きたいと思ったけれど、そんな暇などなかった。
いきなり、ドンッという衝撃が船体全体を揺るがしていく。
しかも、急に雨が降り出している。
てっきり、船首をどこかの岩にぶつけるものだと思っていたのだが、最初にぶち当たったのは船底だった。
船の底を支える竜骨に亀裂が走ったようである。アーサーが叫ぶ。
「おい、みんな、樽に捕まれ」
いずれ、この船は沈没する。
「そんなの怖い。あたしには無理よ」
それを聞いたリリーは樽の縦と横を縄で格子になるように結んでエリーゼの為にしがみつける場所を作ってやった。
こんなの嫌だと泣き喚ているけれど、船はどんどん沈み込んでいく。やがて、四人とも波の中へと放り出されていたのだ。
雨風はどんどん強くなっていく。
夏の嵐が大海原を漂う四人に襲い掛かっている。
(あたし達、どうなるの? 神様、助けて……)
リリーは、懸命に樽にしがみついたまま神に祈った。
こんな人生は嫌だと思ってきたけれど死にたくない。
グルグルとうねる波にもまれていた。
(く、苦しい)
鼻に塩水が入り咽てきた。
ザブンザブンと波にもまれていた。樽にしがみついたまま何時間も経過している。
暗くて他の人達がどこにいるのか分からない。
想えば、ずっと、自分は危険に晒されていたような気がする。
『いいか、凛々子、てめぇは千年に一度の野生児っていうキャッチフレーズでSNSでバズったんだからな。どんな危険な仕事も断るなよ』
なんだ……。この声は。
リリーの中で前世の記憶が炸裂していた。
腹にマジックで顔を描いてへそ踊り。
罰ゲームのバンジージャンプ。
(伯東プロダクション所属の凛々子。それが、前世のあたしなんだわ)
大食い、早食いはもちろん、スカイダイビングやスキューバーダイビングもやらされた。
ピラニアや鮫と一緒に泳いだこともある。
アマゾンでアナコンダに巻かれたこともある。
岡山の瀬戸内海の小さな島で育ったという経歴故に、『無人島の恋の空騒ぎ』という番組に二十歳の時に出演した。十人の男女が無人島でサバイバルをしながら恋をするというものだった。
しかし、あの日、凛々子はクラゲに刺されて動けなくなり海に沈んだ。
ブクブクッ。
頼りなく海に漂う姿をカメラは映し出していた。結局、それはテレビでは放映されなかったけれど、凛々子は水死したのだ。
(チクショー。あたし、まだまだこれからだったのにさ)
あの糞プロデューサー、恨んでやるからな。
それが、前世で噛みしめた最後の記憶。海で溺れ死んだ凛々子の最後の呟きだ。あの時と同じように海に沈みそうになった時、目の前に島が見えてきた。




