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子爵の令嬢であるリリー・マードックは継母からの仕打ちに耐えていた。
リリーは、あと半年で十七歳になる。
そんなある日、三歳年下の妹のエリーゼや継母と共に帆船に乗り、一週間かけて王都に向かったのだが……。
継母達はドレスや装飾品を買うけれど、リリーは何一つ買ってもらえなかった。宿に泊まっても召使い専用の汚い部屋へと押し込められている。
その日、リリーは手直しをしてもらった帽子の入った大きな箱を受け取りに行った。
だが、その帰り、よたよたと歩いていて、うっかり転んでしまう。
そこに、たまたま通りかかった馬車に轢かれそうになり、リリーは身をすくめる。駄目だ。死んでしまう……。そう感じた直後。
「危ない」
うつ伏せのリリーを抱きかかえて救ってくれた若者がいた。それは、お忍びで街を散策している第二王子位のアーサーである。その風貌は街のチンピラのように見える。
素朴で純朴なリリーは見知らぬ男に抱きすくめられて戸惑った。
細身なのに筋力がある。しかも、ものすごくハンサムだ。
日頃、異性と接する機会に乏しいリリーは顔を真っ赤にしながら、ろくにお礼も言わずに、その場から逃げ出したのだった。
高級なレストランで食事をしていた継母達に対して泣きべそ顔で伝えると、鷲鼻で痩身の継母がリリーを叱り飛ばした。
「何をしているのですか。エリーゼの帽子はどうしたのよ」
「申し訳ありません。お継母様、すぐに探しに戻ります」
慌てて、事故の現場に舞い戻ったものの、買ったばかりの羽根のついた高価な帽子は箱ごと消えている。おそらく、通行人が持ち去ったのだろう。
ここは生き馬の目を抜くとまで言われている王都の繁華街だ。高級ブティックで買った品物を道端に置いて、その場を離れたのだから盗まれても仕方ない。
もう取り返せないと気付いたリリーは絶望して継母に謝罪したけれども、もちろん許してはもらえなかった。
お昼ご飯を食べていないというのに夕食も食べさせてもらえかった。しかも、木の棒で腕を数発叩かれてミミズ腫れが走った。
「すみません」
いつも、このように泣きそうな顔で謝ってばかり。
本当は子爵の令嬢だというのに、これでは奴隷も同じ。
しかし、あと半年すればライオネルの奥さんになれる。
銀行家の息子のライオネルと結婚するという約束で、リリーの継母はリリーの婚約者の父親から資金の援助を受けていたのである。
二歳年上のライオネルは生まれつき目が不自由だけど、そんなのどうってことない。きっと、いい妻になって見せる。そう思っていたというのに、この翌朝、リリー達が泊っていた宿にライオネルの家の執事が訪れたかと思うと、とんでもない事を言った。
「申し訳ないのですが、次男であらせられますライオネル様との婚約はなかった事にしていただきます」
これには継母が顔を引き攣らせた。
「どういうことでございますか」
「ライオネル様が、新しく入った看護婦のレイチェルと結婚すると申されたのでございます。レイチェルは妊娠しております。ライオネル様の両親は今回の妊娠をとても喜んでおられます。ですから、今回の婚約はなかったことにしていただきたい。もちろん、これまでそちらに援助していたお金は返金していただかなくとも結構でございます」
「冗談じゃないわ」
継母が顔を引き攣らせるのも無理なかった。
リリーがライオネルと結婚すれば、これまで通りに月々の手当ももらえる予定だったのに、いきなり、こんな形で途絶えることになり焦っている。
「そ、そんなことを言われても困りますわよ。うちのリリーはライオネル様に嫁ぐつもりですのよ。慰謝料を払っていただかないて困りますわね」
「もちろん、お支払いしたます。しかし、もうこれでお宅との縁は切ります。よろしいですね」
そう言うと、執事は小切手を継母に手渡して帰っていった。ああ、無情。リリーは絶望していた。
ライオネルとの新生活を夢見て生きてきたというのに、希望の糸がプツッと切れてしまっている。
(わたし、生きていても仕方ないわ……)
そんなふうに思い詰めるリリーのことなどお構いなしで継母は皮算用をしている。
「仕方ないわね。リリーの結婚相手の候補なら、まだ他にもいるのよ。パティスト島でブドウ畑とオリーブ畑を持っている農園主が後妻を探していたわね」
それを聞いた赤毛の妹のエリーゼが楽しそうに言う。
「あーら、お母様、その男、妻を四人、殺したって噂よ」
子供が生まれない事を妻のせいにして再婚させる為に姑が殺しているとの噂だ。
(不妊の理由を妻に押し付ける男の元に嫁ぎたくない)
とにかく、色々あってリリーは憔悴していたが、すみやかに帰るしかない。
だが、王都にある大きな港の波止場で少し揉めた。継母が眉をしかめている。
「あら、嫌だ。どうして特別室がないのよ」
いつもなら、豪華な寝台付きの船室が空いているというのに、この日は他の客が使っていると言われてしまったのである。
「申し訳ないね。その代わり、少し狭いが二等の個室ならありますよ」
そう言うと、船員達は小さな船室へと誘った。そこは貧民用の客室でハンモッグを二つ吊るすのが精一杯という狭い空間である。荷物を置くとリリーが横たわる隙間もなかったが、それでも、我慢して膝を抱えるようにしてリリーは床に座り込む。
こういう狭くて暗い場所にいる気分が滅入る。子供の頃、継母に閉じ込められた記憶が蘇り哀しくなる。
実の母親はリリーが四歳の時に亡くなっている。父は母を愛していた。だが、貧乏貴族だった父は継母の持参金を目当てに再婚したのだ。
(継母の性格も最初は、あんなに意地悪じゃなかったのよ。お父様からの暴言と生活苦のせいで、あんなふうになったのね)
おまえなんかと結婚してやったんだぞ。それが父の口癖。というのも、継母との結婚にはこんな裏があったからだ。
継母は運送業を営む裕福な家の娘だった。
『子爵様、どうか、うちの娘をお願いします。その代わり、城の修繕費を払います』
当時、継母は使用人の男の子を身籠っており、もう堕胎することもままならなくなっていたのである。
継母の父親が生きている間は、潤沢な仕送りが届いていたのだが、継母の父が死に、兄が家を継ぐとピタリと仕送りが止まった。
ふしだらな妹とは縁を切ると言い、いっさい援助しなくなる。以後、リリーの父は困窮の一途を辿り、リリーの父は酒に溺れるようになり継母に暴力を振った。リリーが七歳の時、胃を悪くして亡くなっている。
『邪魔な夫が死んで清々したわ。オーホッホ』
その頃、すっかり性格が歪んでいた継母は葬儀の後、高らかに笑っていた。そして、自分と血の繋がっているエリーゼだけを溺愛したのだ。リリーの部屋の家具は売り払われ、リリーは使用人の部屋へと移動させられた。それからのリリーはとても孤独だった。
今も、こうして膝を抱えて涙ぐんでいる。
眠りたいのに眠れない。継母の鼾が耳障りだ。
仕方なく、リリーは梯子を伝い船底の倉庫スペースに移動する。むさくろしい空間だが仕方ない。木の箱や麻袋がぎっしり詰まっており、その箱と箱の間の通路のような場所に身を横たえて眠ることにした。
(神様……。どうか、あたしに、いいご縁がありますように)
乱暴者に嫁ぐのは嫌だ。でも、縁談は親が決めるものである。
(なぜ、ライオネル様は、あたしを裏切ってしまったのかしら……)
その頃、船の外側に広がる景色はすっかり変わっていた。
見渡す限りの海。遠くに無人の小島が点在している。
出航してから三十時間後の深夜、リリーは妙な物音に気付いて目覚めた。カンテラを手にした背の高い若者が積み荷の箱をこじあけて中身を確かめているかのような後ろ姿が目に入った。
乗客は、特別室にいる三人とリリー達、合わせて六名だけだと船長からは聞いている。
(あの人、積み荷の点検をしているのかしら)
この帆船は、アストラ帝国の王都からバディスト島への定期便だ。
三日おきに、工業製品や薬品の他にパンの材料となる小麦や大麦といった穀物が運ばれている。
バディスト島は岩山が多く、小麦の栽培には向いていない。
主な産業は海上交易と絹織物や宝石の加工なのどの手工業や塩の精製である。
アストラ帝国に支配されるまでは、パティストの島民は米やパスタに適した特別な小麦を海外から輸入していたというのに、最近では、それらの国との国交が途絶えてしまい、もっぱら、アストラ産の小麦に頼っている。
リリーは物陰に身をひそめたまま、若者が積み荷のひとつひとつを探る様子を見ていたのだが、その若者がフッと呟いた。
「くそっ。やっぱり、空取引だったんだな」
意味が分からないけれど、リリーはここに自分がいることを知られてはいけないと感じて震えていた。
すると、不意に、頭上の船長室から怒号のような声が響いた。
「海賊だーーーー」
そんな声がしたかと思うと、次々とピストルの音が鳴った。続いて、リリーの継母とエリーゼの甲高い悲鳴が響いたものだから、リリーの心臓が圧縮されて軋むような不安に包まれた。
すぐ近くにいた若者が明かりを消す。真っ暗だ。
リリーは、ただひちすら息を顰めて荷物と荷物の間で隠れていた。
(海賊が、この船を掌握したってことなの?)
この海域で海賊が頻発するというのは、前々から聞いている。たいていは、おとなしくしていれば命だけは奪わないと聞いている。
(たけど、婦女子に狼藉をはたらく者もいるわ)
その時、船上では海賊達が乗組員を集めてこう告げていた。
「この船は我々がいただいた。我々の仲間になりたいものはわしらの船に来い。仲間になりたくない者はここで死ね」
どうしよう。目の前にいる若者も海賊の仲間なのだろうか。すると、背後から何者かが忍び寄り、リリーは口を塞がれたのだ。
恐怖に身が震えている。
「海賊に見つかるとオレ達はヤバイ。静かにしてくれ」
ふぐっ。
リリーは怯えながら頷く。
すると、彼はセクシーな声で囁いた。
「オレはアーサー、怪しい者じゃない。特別室の客の連れだ」
なんと、その人は、こないだ王都で出会った若者だった。
なぜ、アーサーがここにいるのか。リリーはまだ知らない。




