18
アーサーとリリーとテレンスの三人は、ずぶ濡れの状態でテレンスの自宅へと向かうことになった。
夜中なので通りはシンとしている。
「アーサー、この後、どうする? 王宮に向かうわよね?」
「王妃達が離宮にいるという事は、おそらく、重臣達も離宮に向かう。戴冠式の儀式を行うのに必要な立会人と教皇と父上の遺言書を王妃が握っている筈だ。父上の死去の知らせと共にリュカが王位を継いだなら、もうオレは生きている姿を見せたとしても王位には就けない」
それは大変だ。
「つまり、あなた、離宮まで行って顔を見せなきゃならないのね?」
早速、行きましょうとリリーが言うと、アーサーは難しい顔をした。
「ソフィー達は、オレを離宮へと行かせない為に、刺客を各所に置いている」
「王宮にまだ残っている兵士に向けて、自分はアーサー王子だと言えばいいのよ」
「下っ端の憲兵はオレの顔を知らない。逆にオレの顔を知っている護衛官はロークの手下になっている可能性が高い。そんなところに、のこのこと顔を出すのは危険だ」
何しろ、相手は本気でアーサーを始末するつもりでいる。
「そう言えば、あのロークって人、あたしのこと追いかけてきて怖かったわぁ~」
「武闘派だからな。あいつと、まともにやり合って勝てる者はそうはいない」
テレンスはずっと深刻な顔をしている。
「おい、テレンス、どうした?」
「あっ、いや、船が燃えてしまったことを父さんが知ったら悲しむと思ったんだ」
「すまなかった……。オレが君達を巻き込んだせいだ。この償いはする。だから、どうかオレに協力してくれ」
「分かりました。アーサー王子に従います」
テレンスの自宅に着くと、リリーはホッとしたのか座り込んでいた。そんなリリーの肩を支えるようにしてアーサーが囁いている。
「リリー、いいから、早く着替えろ」
「そうね」
リリーはテレンスの姉の部屋。アーサーはテレンスの部屋で眠ることになった。
暖かなお茶を淹れながらテレンスが言った。
「離宮までの道程が大変そうですね。どうやって敵を欺けばいいのでしょうね」
「ああ、その事なんだが、オレに考えがある、明日、話す」
そんな話をしていると、リリーがくしゃみをした。
「リリー、寒いよね。僕、湯たんぽ、用意するよ」
気が利くテレンスは養父達を起こさないように階段を下りて静かに厨房へと向かっている。
「おまえ、髪、濡れてるぞ」
そう言うと、アーサーが乾いたタオルでリリーの髪を包んだ。
「拭いてやる」
「いいわよ。あたし、子供じゃないんだよ」
「遠慮するな」
「遠慮なんてしてないってば」
とは言うものの、身体が冷えているのは確かだ。
「やっぱり、夜は冷えるわね」
すると、何を思ったのか、アーサーはいきなり、正面からリリーを抱きしめたのだ。
たちまち、リリーの頬がカッと上擦った。
「な、何するのよ。セクハラよ」
「今、猛烈にセクハラをしたい気分なんだ」
どこまで冗談でどこまで本気なのか計りかねる。
アーサーは、強くリリーを抱きしめたまま耳元で囁いた。
「おまえがいてくれて良かった。感謝している。おまえがいたから、オレはここまで帰って来られた」
そう言うと、リリーの額にキスを落としたものだから、リリーは真っ赤になっていた。
「な、な、何なのよ」
そういうふうに見つめられると身体が熱くなる。
「おまたせ、リリー、湯たんぽだよ」
テレンスの声が聞こえたので、リリーは少しホッとした。
「あ、ありがとう。テレンス」
互いに、おやすみなさいと言ってからベッドに横たわる。
リリーは暖かい湯たんぽを抱きしめたまま、何度も寝返りをうつ。
恥ずかしい。でも、何だか嬉しい。
☆
隣の部屋に向かったアーサーは、テレンスと並んで眠ろうとしていた。しかし、アーサーは、リリーのことを思い描いている。これまで、リリーが必死になって自分を支えてくれた。
あの娘は特別だ。リリーの為にも王位を継ぎたい。
まだ髪が濡れた状態だったが、アーサーは沈み込むような疲れを感じて眠りに落ちていく。
(父上……)
本当は、宮殿に向かい、臨終の床にいる父の顔を見たい。
しかし、王族の護衛の任についている者達の大多数がロークに汚染されている可能性が高いのだ。
こんな状態で宮殿に戻るのはリスクが高い。
そう考えて、アーサーは宮殿に立ち寄るのを諦めていたのだが……。
☆
「王様ーーーー」
明け方、天井画に彩られた王の私室で侍従の悲痛な声が響いた。
なんと、王が冷たくなって息絶えていたのである。
実は、その半時間前、宮殿に残っているロークの子飼いの部下が王の顔に枕を押し付けて窒息させたのだ。
そのようにして、王が逝去した少し後の事である。
ロークが王都の港の桟橋に佇んでいた。防疫の為に沖合に隔離するという名目で他の者は船に残すが、役人達はロークの事だけは、すんなりと降ろしたのだ。
ロークの部下の男が、うやうやしく出迎えながら言う。
「ローク様、王妃様とリュカ様は離宮に向かわれました。そして、王は、先程、宮殿で亡くなりました」
「うん。御苦労、よくやった」
今日から四日以内に教皇や五人の重臣の前でリュカが王に叙せられる。
もちろん、皆は、アーサーを呼び寄せようとするだろうが、そうはさせない。
ロークは目の奥に力を込めるようにして決意している。
(アーサー、おまえを離宮には入れさせない)
少し誤算もあったが、リュカの王位継承へのカウントダウンが始まっている。
ロークはアーサーについて部下に尋ねると、部下は言った。
「沖合の船にいたアーサーを襲撃した者によりますと、どうやら、アーサーは陸に上がった模様です」
「なんだと、貴様、それを早く言え」
ロークは刺された痛みをこらえながら馬車に乗り込んでいく。
「朝になったら、あいつらは王都を出ようとする。それを阻止するのだ。いいな」
この王都の旧市街は城壁で囲まれており、夜間の出入りは禁止されている。
(離宮に向かう最短ルートは西門だ。しかし、北門から出て、わざと遠回りをするという選択肢もある。さて、あいつらは、どちらを選択するつもりだ?)
ロークは自分がアーサーになったつもりで考えていく。
(わたしなら、北門を選んで、わざと迂回して離宮に向かうだろうな。さて、アーサー、あなたは、どうやってわたしから逃げるつもりだね?)
ロークは挑むような気持で呟いたのだった。
☆
リリー達は農民に扮して城の外に出ようとしたけれど、検問所の前は長蛇の列が出来上がっている。兵士達は、農民の顔をジロジロと見つめてあれこれと質問しており、アーサーに似た男をみつれると有無を言わさず連行している。
その様子を遠くから見ていたアーサーが顔をしかめた。
「どこの門も警備が厳しい。出るのは難しそうだな」
「あのさ、あたし思うんだけど、気球を使って塀を超えたらいいんじゃない?」
「気球とは何だ?」
聞き返されてしまい、リリーは口ごもる。
(この世界に気球はまだないのね……。今から作ると言っても無理だわ)
何としても外に出たいのに、どうすることも出来ないまま半日が経過している。
農民に扮していたリリー達は、ひとまずテレンスの家に戻った。このままでは拉致が開かない。
夕飯を食べながら、テレンスが言った。
「農民の恰好で出るにしても、馬がないと移動できませんよね?」
「ああ、そうだな」
アーサーは、何か閃いたらしい。
「そうだ。テレンス、馬車を用意してくれ」
それを聞いたリリーは、てっきり、荷馬車の中の荷物に紛れて移動するのだと思っていたのだが……。
その日の夕刻、テレンスが箱型の立派な馬車を借りて帰宅した。
「何これ」
「アーサー王子に頼まれて用意したんだよ」
「まさか、こんな豪華な馬車で移動するの? 目立つわよ」
アーサーが言った。
「いいんだ。コソコソしているより、これ見よがしに目立つ方がいい。オレ達は何としても離宮に向かう。しかし、その為には、リリー、おまえの力が必要だ。どうか、オレを綺麗な女にしてくれ。ドレスを用意しろ」
「はぁ? 何、言ってんのよ。気は確かなの?」
「もちろんだ。多分、ソフィー達は、オレの人相書きを手配して検問所でオレを見つけたら、報告するように下っ端の奴等に指示しているだろう。そんなところで捕まる訳にはいかない」
「でも、アーサー、背が高いから女装は厳しいわよ」
「馬車の中で座っていたなら誤魔化せると思うんだが、無理か?」
「ううん。やってやれないことはないわね」
「それじゃ、おまえも変装した方がいいぞ。確か、前に、ロークと会った時は、妖艶な女の化粧をしていたんだよな。それと、ラーソンに会った時は素のリリーの顔だったと記憶している。つまり、それ意外の顔になってくれ」
「ああーー、それなら、あたしは船で働いていた時の顔になるわ。ついでだから、テレンスも美女に変装したらどうかな。テレンス、無精ひげを剃ると美形になるわよ」
「えっ、僕も女装するのかい?」
「ああ、それはいいかもしれないな。女二人の旅のように見せよう」
という訳で、リリーは張り切ったのである。
翌朝、メイクに時間がかかった故に、少し出発時間が遅れてしまった。
馬車には男装用の着替えや食べ物なども積み込んでいる。さて、いざ出発だ。リリーは二頭立ての馬車の御者として馬を巧みに操った。そして、西門へと向かった。幸い、西門にはロークはいなかったが、検問所であれこれと聞かれた。
裕福な商家の貴婦人という設定だ。
ちなみに、その質問には御者のリリーが答えた。
「うちのお嬢様は祖母に会いに向かうところです」
「住所を言え」
想定内の質問だったのでスラスラと答えた、
それは、リリーの継母の祖母の住所である。
検問所にいたロークの手下はリリーの顔をまじまじと見つめる。
二人はコソコソと囁き合っている。
「このチビの御者はアーサー王子じゃないようだな。金持ちの女二人が旅行しているらしいぜ」
もちろん、彼等は馬車の扉を開き中まで覗き込む。
「中にいる二人はかなりの美人だな?」
少しキツイ目鼻立ちの美女になったアーサー。
生憎、アーサーの女装は、正直なところ大成功とは言えない。男勝りな顔立ちなので怖そうな女になっている。
しかし、テレンスに関しては、もはや完璧というほどのクオリティーなのだ。絶世の美女だ。しかも、テレンスは声色を女にするのも上手かった。
「あらあら、どうして、こんなふうに厳しく検問なさるのですか? わたくし達、女だけの旅だから不安ですわ。何かありましたの?」
「おまえらに言う必要はない。もう、行っていいぞ」
彼等は、女装に気付かずに通してくれたので、ホッとしたようにアーサーが呟いた。
「テレンス、君はソフィーに似ているな……」
「えっ、ソフィーって誰なの?」
アーサーは淡々とした声で答えた。
「王妃のソフィーだよ。もしかしたら、君の母親はソフィーなのかもしれないな」
「やだな、変な事を言わないでよ」
「いや、オレは本気で言っている」
双子の王子は禁忌なので生まれなかったことにされているのかもしれないという事を話すと、テレンスは神妙な顔つきになった。
「つまり、僕はリュカ王子と双子なのかもしれないと言いたいんだね」
「君、本当の親に関して何か知っている事はないのか?」
「分からないよ。僕、養子を欲しがっていた養父母のところに赤ん坊を見せにきた人がいたという事しか知らない。そいつは、赤ん坊や幼い子の遺体を大学に売りつける奴だったと聞いている。僕のことは拾ったと言っていたらしいよ」
「君が拾われたという時期と王妃の出産の日は近い。それに、君は、リュカに瓜二つなんだ」
カタカタッ。
馬車は王都の喧噪を抜けて川向うへと進んでいる。森沿いの細い道だ。その背後には麦畑が見えてきた。
テレンスが少し寂し気に目元を陰らせている。
「それなら、僕は、実の母親に捨てられたという事になるんだね。だけど、殺さずに生かしておいてくれたんだね。やっぱり、少しは僕のことを愛してくれていたのかな……」
「いや、残念だが、それはないだろうな。多分、何かの手違いで君は生き延びたんだろうな。君の事、救いたいのなら、修道院や外国に連れて行けばいい。赤ん坊を解剖用として売るような奴に渡したりしないさ」
それを聞いたテレンスの顔が曇っている。
「すまない。君を傷つけるつもりはないんだ」
「ええ、分かっています。アーサー王子は愛想はないけど、すごくいい人だと分かっていますから」
午前八時頃に王都を出た後、四時間、ぶっ通しで進んだのだが、馬がずいぶんとくたびれているので駅宿で休憩することにした。
いつも、王室が通る幹線道路は避けて脇道を使うことにした為に、かなり時間がかかっている。
馬に餌と水を与え、蹄鉄も見てもらった。
わざと、目的地を通り越して逆方向から離宮へと近付く作戦である。
アーサーは馬宿で夕食を取りながら、リリー達に言った。
「普通なら、このままこの宿で泊まるところだが、深夜、ローク達に宿に踏み込まれると困る。だからここには泊まらない」
「それじゃ、どこに泊まるのよ」
「もちろん、野宿だ」
それは嫌だなとリリーは思っていたのだが、アーサーがウインクした。
「リリーは馬車の中で寝るといい。何しろ、おまえはレディだからな」
「そうですよ。僕、ちゃんとハンモッグを用意しているんで外でも余裕で寝られます」
そう呟いたのはテレンスだ。
おおっ、あの荷物の中にはハンモッグもあったのか。
「それなら、あたしもハンモッグでもいいかも。アーサー、馬車の中で寝なさいよ。何しろ、あなたは次の王様になる人なんだもの」
馬宿の簡易食堂で、そんな会話をしていたリリー達は、日が暮れた後も走り続けた。
民家から遠い森の中まで来た頃には、すっかり日が暮れていた。
(馬を休めないと馬がバテちゃうわ)
森の小道から少し外れたところに馬車を置けるスペースがみつかった。よし、ここで休もう。
長旅のおかけで、リリーの膀胱は我慢の限界だ。
「おい、リリー、どこに行く」
「トイレに決まってるでしょう。付いてこないでよ」
「一人じゃ危ないぞ」
アーサーは乙女心を分かっていない。
「やだー、セクハラよ。離れてよ」
「後ろを向いてるから心配するな」
言いながら、アーサーは自分も立ちションをし出したのだ。
(もう、何なのよーーー)
連れションなんて最悪だ。茂みの奥で用を足していても、背後にアーサーがいると思うと落ち着かない。
「あんたって、ほんと、デリカシーないわね」
立ち上がった後、プンプン怒って通り過ぎようとすると、アーサーがリリーの腕を掴んだ。
「おまえ、怒ると可愛いな」
はぁ。何を言ってるんだ。
「あんた、ほんと馬鹿ね」
アーサーの相手なんてしていられない。さぁ、夕飯の支度をしよう。湯を沸かそう。
「アーサーとテレンスは調理が出来るまで馬車の中で寝てなさい」
ここは自分一人で、ちゃちゃっと調理をしようと思っていたというのに、突然、異変が起きた。
妙な男達が森に現れたのだ……。




