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 頑張り屋さんのリリーはアーサーの分まで働いた。

 よっこいしょ。どっこいしょ。力仕事は身体に堪える。汗びっしょりだ。筋肉痛にみまわれなかせらも、何とか力仕事を終えたのだが、その後にも仕事はある。

 アーサーに厨房を任せたのはいいが、王子のアーサーには無理なので、結局、リリーが空き時間にササッと料理を作ったのだ。


「さぁ、みんな、お刺身だよ。美味しいよ」

 リリーが、いわゆるカルパッチョを振舞うと船員達のテンションが上がる。

「おまえ、魚の絞めかた、どうやって覚えたんだ?」

「独学でーす」

 前世、岡山で漁師をしていた祖父から教わっている。こう見えて、リリーは何でもできる。船員達の解れたズボンを縫い直すのも余裕である。

「おまえ、器用だな」

「ありがとうございまーす」

 前世でコスプレの衣装を手作りはしていたスキルがこんなところで活きるとは。


(何でもやってみるもんだわね。魔法は使えないけど、前世の苦労はしっかりと実になっているわ)

 リリーに比べると負傷しているアーサーは精彩を欠いていた。

「兄上の死を知って、オレは自暴自棄になっていたようだ。こんな自分が情けない。オレがしっかりしないと駄目なのに、こんな事になって申し訳ない」

「ううん。動揺する気持ちは分かるよ」

 単に亡くなったのではない。

 ソフィーに殺されたとなれば、怒りに駆られて我を失うのも当然だ。


 リリーはアーサーの捻挫した足に軟膏を塗りながら言う。

「早く、この足を直してね。王都に着けば、あんたは王子様よ。さすがに、誰も暗殺なんて出来やしないわ」

「そうだな。宮殿の敷地に入ることが出来たらいいけどな」

「えっ?」

 という事は、逆に言うと、下町や埠頭だと暗殺される可能性はあるのかもしれない。油断禁物である。

「それなら、テレンス達と共に宮殿の近くまで行くとか、何か対策をとらなきゃ駄目よね」

「港にラーソンとその部下を配置するように連絡できたらいいんだが……」

「それなら、あたしに任せてよ。あたしが伝令の役をやってあげるわ」

 キラキラと目を輝かせて請け負うリリーに対して、アーサーは瞳を優しく緩めていた。

「ありがとう。おまえは頼りになるな」

「ふふっ、その代わり、御褒美はもらうわよ。あたしの領地は貧しいの。城の建て替え費用を無利子で貸してもらうっていうのはどうよ。だって、あなたが王位継承者なんでしょう?」

「ああ、そうだ」

 ウィリアムが亡くなった今、継承者候補の筆頭となっている。

 しかし、ソフィーはそれを何としても阻止しようと画策しているに違いない。アーサーは目を細めた。

(ソフィーの悪巧みの渦に呑み込まれないようにしなければならない)

 今、アーサーが頼れる人物はリリーだけ。


               ☆


 その頃、長男のウィリアムの葬儀の準備が始まっていた。

 ソフィーは王に対して言った。

「王様にご報告いたします。保養地にいるアーサーにウイリアムの悲報を告げたというのに、向こうからは何の連絡もないのです」

「なんだと」

 ウイリアムとアーサーは仲のいい兄弟である。

 知的で温厚で博識なウイリアム。

 勝気で好奇心が強くて行動派のアーサー。

 何かと対照的な二人だが、昔から互いを気遣っていた。

 子供の頃から身体が弱かったウイリアムが熱を出すと、必ずと言っていいほど、アーサーが看病していたものである。

 さすがに、ウイリアムが結婚してからはアーサーが付き添うことはなくなったけれど、それでも、何度も見舞いに向かっていたのだ。

 そんなアーサーが兄の訃報を耳にしたというのに駆け付けないというのは腑に落ちない。

「これはどういうことなのだ?」

 王はアーサーの側近であるラーソンを呼びつけて問い詰めた。

 ラーソンは苦しい言い訳をするしかなかった。

「も、申し訳ありません。アーサー様は保養地で高熱を出されておりまして、王都への移動は危険ということでございます。ウイリアム様が亡くなり、アーサーはショックを受けているそうでございます。それで、ますます弱っておられるのでございます。お熱が下がるまでは安静にしなければならないとのことでございます」

「うむ、そうなのか」

 王は、アーサーが嘆き悲しむ姿が手に取るように分かるのだ。

「アーサーに無理をさせる訳にはいかぬ。アーサーなしで葬儀を進めよ」

 そう言われたラーソンは苦悩に満ちた顔で王の部屋から出て行ったのである。ラーソンはヒヤヒヤしていた。駄目だ。いずれ、この嘘がバレてしまう。どうか、早く王都に戻ってきて欲しい。

 ラーソンは祈るしかなかったのである。


      ☆


 ちょうど、その頃。アーサーは舳先で笑みをこぼしていた。

 幸い、脚の腫れもかなりマシになっている。走ったりするのは厳しいが歩くのには問題はない。

「リリー、ここまで色々あったな。あと少しだぞ」

 望遠鏡を覗き込むと王都の港が見えて来た。

 もうじき上陸出来るぞ。

 リリーは胸を高鳴らせていたというのに、水先案内人のボートに乗った役人が来た。おやおや、様子がおかしい。役人達か布で口元を覆っている。

「入港はできない。沖に停泊してもらう」

 突然、そんな事を言われて船長もテレンスも驚いている。リリーは、この展開に胡散臭さを感じていた。


(どうしたのかしら)

 埠頭近くでコレラの疑いの患者が出たので、今から一週間、この船を沖合に停めると言い出したのである。

 いわゆる検疫の為に、ここに一週間も留まれと命令された船長は慌てふためいた。

「おいおい、期日までに商品を納めないと、こっちは違約金を払わせられちまう。そうなったら、テレンスの親父さんの会社は潰れるぞ」

 船長が言うには、ギャバに邪魔されてからは大口の顧客を失ってしまい、コツコツと小口の顧客と契約して何とか凌いできたが、そろそろ、経営的には限界が近付いているというのである。

 船には、昨日、積んだ野菜な喉生鮮食品も含まれており、こんなところで立ち往生してたなら腐ってしまう。

「勘弁してくれよ」

 テレンスは悔し気に呻いている。

「遅れたら、二度と契約してもらえない」

 テレンスは食事も喉が通らないようだった。


 その夜になっても塞ぎ込んでいる。

 リリーは美味しいリゾットを作って差し出していく。

 いつも親切なテレンスの暗い顔を見ると、リリーも悲しくなってくる。

「テレンス……。何か食べた方がいいわよ」

「……今回、僕は、これに賭けていたんだ。ここで失敗したら、両親は破産してしまうかもしれない」

 リリーに苦しい胸の内を語り出した。

「僕にとって、両親は恩人なんだ。血の繋がっていない僕を大切に育ててくれたんだ。とても立派な人なんだ」

「へーえ、養子なの?」

「いい学校にも入れてくれた」

 彼等には娘もいた。その娘と僕を分け隔てなく愛情を注いでくれたという。

「父さん、ギャバに武器を密輸するように言われても断ったせいで、ギャバから圧力をかけられたんだ。でも、そんなものバティスト島に秘密裏に運ぶ訳にはいかないだろう? 僕らも、あいつらの仲間だと思われてしまう。アストラ王家に刃向う事になるからね」

「第一、出航する前に見つかってしまうリスクもあるものね」

「そうなんだ。だけど、ギャバに依頼されて武器を運んでいる奴はいるよ。税関の人に多額の賄賂を渡せば何とかなるとギャバは言ってた」

 その後も、テレンスはギャバのひどい仕打ちについて話したのだ。

 聡明なテレンスの横顔を凝視したまま、アーサーは、テレンスの実の親について考えを巡らせていく。

(テレンスは捨て子なんだな。アストラ王家は双子を忌み嫌う。それならば、ソフィーが、それを伏せて子供を捨てたとしてもおかしくないのだが……)

 しかし、何事にも用意周到なソフィーがリュカの双子の弟を生かしておくだろうか。


      ☆


 ちょうど、その頃。

 リュカとテレンスの父親であるロークはバティスト島の病院の一室で揉めていた。

 痩身の医師が叫ぶ。

「まだ動いてはいけません。あなたは、あと一週間は入院しておくべきだ」

 ジャンに刺された後、大量に出血したせいで一時的に気を失ったロークだったが、テレンスが走って医師を呼んだおかげで大事に至ることなく、こうして目覚めたのだ。

 ロークは強い眼差しを医師に向けると言い切った。

「わ、わたしは武官だ。王族の護衛隊を指揮している。わたしは、今すぐに王都に戻らねばならぬ。邪魔をすると、貴様を投獄するぞ」

 そこまで言われたなら、医師も退院を許可するしかなかった。

 刺された傷はちゃんと縫っている。

 無茶をしなければ、傷口が開く様なこともないだろう。

「分かりました。その代わり、無理は禁物ですよ」

「ああ、分かっている」

 そう言うと、ロークは王都に向かう快速船のチケットを手に入れる為に船会社に向かったのだが、満席ですと言われロークは目を爛々と光らせたままギャバの屋敷へと向かった。自分がソフィー王妃の護衛官だと打ち明ける。

 何とか船のチケットを手に入れるようにと脅す。

「そう言われましても……」

 ギャバは最初は渋っていたけれど、ロークの凄まじい殺気に圧されてチケットを譲ったのだ。

 ロークが王家の護衛隊の隊長である事はギャバも知っている。

 この男に逆らうと面倒だと思ったようである。

 一等客船に乗り込むロークは痛みの為に顔を歪め続けていた。

 例え、この身が壊れようとも王都に向かわなければならない。

 ロークはこう解釈していた。

(わたしを刺したのはアーサーの間者で間違いない……。クソッ、まさか、背後にいたとは……。アーサーは、あの時、わたしの意識を逸らそうとして歩いていたのだな)

 確かに赤毛の鬘をつけていたし眼鏡もかけていたが、あれは、まぎれもなくアーサーである。

 痛みに耐えるロークはアーサーへの怒りを募らせていく。

 アーサーを何としても亡き者にしなけれじならない。運命の日が刻々と近付いている。

(この後、じきに王も死ぬことになる。その時、アーサーが宮殿にいると何もかも台無しになってしまう……)

 絶対にアーサーを宮殿に帰すものかと誓いながら、ロークは埠頭から快速船に乗り込む。


          ☆


 そんなロークよりも少し前に王都の港に来ていたアーサーだったが足止めを喰らっており、丸一日が経過している。

 このままでは荷物が届けられない。

 彼等の船会社を潰すわけにはいかないのでリリーも胸を痛めていた。

「人が降りられないとしても荷物だけは降ろさせてくれたらいいのに」

 アーサーは言った。

「伝染病が原因で納入が遅れたのなら違約金は払わなくてもいいと思うのだが……。例え、穀物などが、それによって腐っても運送会社の責任にはならないぞ」

 それに対してテレンスが答える。

「実は、アストラ政府の運輸省の長官の夫人にある事を頼まれたんだ。息子さんが結婚式に妻に贈る指輪をバティストの金細工師に頼んで作ってもらった。それを、僕が直々に届ける約束をしたんだ。長官夫人恨まれたら、もう仕事をまわしてもらえなくなる。それに、息子さん達をがっかりさせたくないんだよ」

 テレンスは悲嘆に暮れているとはいうものの体調は良かった。船員達はみんな元気だ。ここまで立ち寄った島でもコレラ騒動など聞いていない。

 翌日、検疫に来た役人に甲板の上から尋ねたところ、腹痛を訴えて死んだのは税関職員と妻だけだという。

 それから、また一日が過ぎたが、船員は食欲旺盛である。

 おそらく、我々は感染していないとリリーは悟った。

 仮に感染していたとしても、空気感染や接触感染はしない。

 深夜、隣のハンモッグにいるアーサーにコソコソと囁いた。

「あたし、これはソフィーの陰謀だと思うの。あなたを上陸させると不都合な事があるんだと思うわ」

「ああ、そうだろうな。王が亡くなった場合、四日以内に直系の子孫が王位を継承しなければならないという決まりがある。奴等はその瞬間の為に、こんな事を企てたのだ」

「つまり……」

 もうすぐ王は殺される?


「検疫の役人に第二王子のアーサーだと名乗っても無駄なの?」

「無駄だな。今のオレは身分を証明する物を持っていない。いや、あったとしても、ソフィーの手下は検疫官からの報告を揉み消すと思うぜ」

 何という事なんだ。

 ソフィーのような悪女の好き勝手にさせるものか。

 リリーはアーサーに言った。

「コレラなんて嘘に決まってるわよ。さっさと船から抜け出しましょう」

 船は沖合に錨を降ろしている。

 上陸する際には船員達はボートを使うのだが、こんな状態なのでボートを使うと撃たれる。

「あたし、泳ぐわ」

「おまえ、まじかよ」

「マジよ」

 埠頭まで平泳ぎでスーイスイと移動すればいい。

(泳いで渡るのも見つかれば射殺されるけどね……。夜中なら何とかなりそうだわ)

 泳ぎに自信のあるリリーは沖合から泳いで埠頭を目指すことにしたのである。

「それじゃ、アーサーの部下に、あなたが生きていると伝えて応援を求めるわ」

「しかし、そんな身勝手なことをテレンス達が許すと思うか?」

 確かにそうだと思い、翌朝、リリーとアーサーはテレンスに打ち明けた。

「ついでに、テレンスが頼まれた指輪を、あたしが届けてくるわ」

 リリーは自分一人で陸に上がるつもりなのだが、そんなの無茶だとテレンスは不安そうにしている。

「リリー、そんなの無茶だよ」

 テレンスは、リリーが岡山の河童と呼ばれていた事を知らない。

 泳いでいる途中で溺れたらどうするのだと反対している。

「それに、僕が直々に届けないと長官夫人は不思議に思うよ。それなら、僕も、リリーと泳いで渡ることにするよ」

「分かったわ」

 ということで、深夜、平泳ぎでゆっくりと進む。

 警備隊に見つかり撃ち殺されないかヒヤヒヤしていたが、何とか無事に上陸出来た。

 ハァハァと息が苦しいながらもホッとしていると、突然、埠頭を見回る巡査の二人組に見つかり、厳しく問い詰められた。

「おまえ達、こんな夜中に何をしている。どうしてビショ濡れなんだ?」

 検疫官の許可もなく勝手に船から出てきたとバレたなら二人とも監獄行きになる。

 相手は二人。突き飛ばして走って逃げるしかない。

 リリーが冷や汗を流していると、テレンスは困ったようにあははと快活に笑った。

「すみません、僕達、いつも、この埠頭で釣りをしているんです」

 テレンスは港湾に詳しいのでツラツラと嘘をついている。

「弟が酔っぱらって海に落ちたんです。助けに入ったら、僕も溺れそうになって参りましたよ。いやぁ、何とか助かって良かった」

「けっ、まじかよ。おまえら馬鹿な兄弟だぜ」

 警備兵達は簡単に信じている。

 リリーは照れたように頭を掻く。

「そうなんですよ。このままじゃ風邪ひいちゃいそうだな。あはは」

 前世で芝居やコントもしていたのでコミカルな人物になりきるのは得意だ。

(本当はテレンスの方が、あたしより年下なんだけどね……)

 リリーは、おっちょこちょいの弟のフリをして警備兵の前ででへへと笑う。

 警備兵は沖を指さしながら言った。

「おまえら、妙な病気が流行ってるんだぞ。こんな夜中に釣りなんてやめとけ。さぁさぁ、帰った、帰った」

「へーえ、どんな病気ですか?」

 リリーが問うと二人は首を傾げた。

「さぁな、詳しい事は知らないが、沖合に停泊させて港に入れないように措置をすればすぐに収まるさ」

 あんな沖合から泳いでここまで来るようなツワモノがいるなんて彼等は思いもしない。

 その後、リリーとテレンスは徒歩でテレンスの養父と養母の家に向かった。

「あらあら、どうしてずぶ濡れなの?」

 テレンスの養母は、ふっくらとした体形の穏やかな婦人である。

 そして、養父は知的な雰囲気の初老の男性だった。

 両親というよりも、若い祖父母のように見える。

「テレンス、あなた、どうやって入港したの? 昨日から、船は検疫の為に入港できないと聞いていたのよ」

 すると、テレンスは正直に打ち明けた。

「指輪を届けなくちゃならないから、船から抜け出したのさ」

「あらあら、そんな無茶をしてはいけませんよ。あなたの身に何かあったら困るわ」

 二人とも、久しぶりに戻ってきたテレンスを見て嬉しそうにしている。


(テレンスはいい人に拾われたんだな……)

 育ての母の微笑みは菩薩のようだ。

「風邪をひくといけないわ。さぁ、すぐに温まりなさい。まずは客人から風呂に入るといい」

 浴室に案内されたのはいいが、まだ、そこにテレンスの養母がいる。

 女だと言えないでモジモジしていると彼女が言った。

「お嬢さん、心配しなくていいのよ。女の子だっていうことは見れば分かるわ。少しサイズは大きいけれど、嫁いだ私の娘の服を貸してあげますね」

 海水を洗い落すと全身がサッパリした。

 その後は、ささやかな夕飯をいただいた。

 テレンスは始終ニコニコしている。

 この人達はテレンスを実の息子のように、いや、それ以上に慈しんでいるのがよく分かる。

 和やかな会話の途中、ふと、リリーは聞いてみた。

「ウィリアム王子の葬儀は終わったのですか?」

「ええ、国民全員が喪に服しましたよ。ただ、あの方は、子供の頃から身体弱かったので、いつ、こんな日が来てもおかしくないと思っていましたわ。それにしても、あの若さで亡くなるなんて気の毒ですね」

 テレンスの養母は薄っすらと涙を浮かべている。

 第一王子の早すぎる死を悼む国民は王宮の東門に花を備えたという。

(結局、アーサーはお兄さんの葬儀にも出られなかったという事になるのね。だけど、その状態は変だと王はどうして思わないのよ?)

 実は、王はソフィーが長い期間をかけて飲ませた薬のせいで、常に、頭はボーッとしているのだ。

 そのせいで正しい判断も出来なくなっているのだが、そんな裏事情をリリーは知らない。

 リリーはテレンスの自宅に泊めてもらった。そこは、嫁いだテレンスの姉の部屋だった。

 ちゃんとしたベッドで眠るのは何日ぶりだろう。


    ☆


 翌朝、リリーはテレンスの養母から借りた古臭いドレスに着替えた。

 アーサーに言われた通り、アーサーの腹心の部下のラーソンと連絡を取る為に宮殿に向かった。壮麗な宮殿を取り囲むようにして露店が並んでいる。

 当たり前だが、宮殿にはコンビニなどない。だから、宮仕えしている貴族達は、水や飲み物を宮殿前にある露店で買ってから入っているという。

 女官が使う小間物、例えば、ヘアピンやガーゼやボタンなども露店で買うようだ。

 暇つぶしに本など読みたい人の為の貸本の露店も宮殿の裏口から遠い場所にあり、その露店主がアランの腹心の男に手紙を渡してくれるというのだ。

「それじゃ、頼んだわよ」

 リリーが代金を渡してから手紙を手渡すと、その店の主人は頷いた。

 そこから三時間、リリーがテレンスの養父の自宅にいると手紙が舞い込んだ。

 指定の場所でリリーと会いたいと言われたので会いに行った。そこは、いかがわしいカップルが集う宿だった。

(うわっ、見るからにアバズレって感じの女が建物の前で客を誘ってる)

 ホテルのフロントにいた男がリリーを部屋まで案内してくれた。

 しばらくするとラーソンが現れた。

(へーえ、この人がラーソンさんね)

 あらかじめ、アーサーから聞いていた通りの風貌である。三十五歳。独身。右の眉の下に傷があり、左手の肘の辺りに生々しい火傷の痕がある。

「あの、初めまして。あたしはフーコック島から来ました。リリーと申します」

「ああ、君が子爵の長女なのだね」

「はい。あたしとアーサー、いえ、アーサー王子は無人島に漂着してから、ずっと行動を共にして参りました」

 山あり谷ありとはこの事だ。リリーは、怒涛の勢いで、これまでの経緯をすべて話していった。さすがのラーソンも目を丸めている。

「そんなことがあったのですか」

「どうか、アーサー王子を助けていただきたいのです」

 リリーはアーサーがつけているペンダントをラーソンに手渡すとこう言った。

「アーサー王子は沖合に停泊している船の中にいます。少し足は負傷していますが元気にしています。コレラが埠頭付近で発生したという事になっているので船は入港できないし、船員も動けません」

「分かりました。すぐにでも、わたしがボートで乗りつけてアーサー王子に会いに行きます」

 そんな話をしていると慌てふためいたようにして、宰相の部下がやってきた。

「おい、ラーソン、こんなところで女と遊んでいる暇なんてないぞ。宰相様が呼んでおられるぞ」

「どうしたんだ」

「医者が言うには、王はコレラに感染されだそうだ。全身が蒼褪めた状態で苦しんでおられる。そう長くは持ちそうにない」

 脇で聞いていたリリーの心臓はギュッと縮みあがった。

「宮殿の深部にまでコレラが忍び寄るとは恐ろしい話だ。ソフィー様とリュカ様は直ちに離宮へと移動されることになった。いいから、早く来い」

 立ち去る前にラーソンはリリーに言った。

「リリーさん、また、じきにこちらから連絡します。この数時間後、例の屋台で手紙を受け取っていただきたい」

 ラーソンにとっては、このタイミングで宰相と会うことは都合がよかった。

 宮殿外にある宰相の館の居間へと向かうと、宰相が難しい顔で話しかけてきた。

「ラーソン、まずいことになってきたな。ウイリアム王子が亡くなり、王様も危篤状態に陥っておられる」

 そこで宰相は声を落とした。

「正直に言いなさい。アーサー様は病気だと言っているが、まさか、毒でも盛られたのか?」

 宰相は、王妃達の不穏な動きに気付いているようだ。

「いえ、そうではありません。お身体には問題ないようでございます」

「それなら、何をしておられるのだ?」

「あの、それはここでは言えません……」

 ラーソンは人払いをしてもらうようにと相手に告げた。そして、アーサーがバティスト島へ偵察に出た際に暗殺されかけた事や、無人島に流れ着いた事を話したのだ。

「なんと、そのような事になっていたのか……」

 顎髭が目印の宰相は、驚きながらもカカカッと豪快に笑っている。

「さすが、アーサー王子だな。バティスト島の魔窟に単独で乗り込むとはあっぱれだ。それで、アーサー王子は無事なのだな?」

「はい。身体は元気なようです。しかし、船の中に留め置かれています。ただちに助け出さねばなりません。どうか、宰相様のお力を貸していただけないでしょうか。あれは足止めする為の王妃の策略です。本当はコレラなど発生していないようなのです」

「うーむ。あの女もかなり焦っているようだな」 

 宰相は顎の辺りをさすりながら言う。

「ここ、数年の間、あの女は下級の貴族達を派閥に引き込むことにせいこうしている。そうやって、じわじわと自分の勢力を拡大していったのだ。まことに恐ろしい女だ。わたしの秘書だった男も、あの女の密偵だと分かったのだ」

「ほ、本当でございますか」

「うむ。先月、クビにしたのだが、あれには驚いた……。あの女の本性を王様に伝えようと思ったが、そんなことをしても無駄た。王様は信じはしないだろう。それほどまでに、あの女は王様の信用を得ている。何しろ、表面的にはたおやかで美しい女だからな」

 息子に王位を継がせる。それがソフィーの宿願である。


「コレラ騒ぎのせいで宮殿内は混乱している。感染を避けるためら王妃は馬鹿息子と共に離宮に向かうと言っている。その移動中、王妃を暗殺するという情報を意図的に撒いておくことにしよう。そうすれば、王妃の密偵達も王妃に張り付くに違いない。その隙に、おまえは王子を救出しなさい。そして、離宮へと王子を連れていきなさい」

 王が亡くなった後、三日以内に王を認定しなければならない。

 長く王座を空けることは国の混乱に結び付くからだ。

 宰相と枢機卿と王室の法律を司る法務官の三名が見守る中、王位継承の儀式が行われる。

 念を押すように宰相が言った。

「王様が亡くなったならば、その四日以内にアーサー王子を離宮に連れてくるのだ。そうすれば、あの女の策略は阻止できる。だが、もしも、アーサー王子が戻れず、リュカが王となったなら我が国は大混乱に陥るであろう」

「と言いますと?」

「わたしが、この手でリュカ王子を殺すしかない。そして、別の王を立てることになる」

「そ、それはいけません」

 ラーソンは宰相を尊敬している。宰相は重鎮達からも一目置かれている。国民の受けもいい。そういう人に謀反を起こさせるのは忍びない。

「宰相様、どうか、早まらないでください。アストラ帝国で内紛が起きようものなら、バティスト島の反政府勢力も動き出します。それに、近隣諸国も我が国を侵略しようと踏み込んで参ります」

「うむ。分かっておる」

 宰相は低い声で告げた。


「だからこそ、アーサー王子を離宮に連れてこい。我々は、王子の到着を待っておるぞ」

 ラーソンは、宰相の館を出た後、今夜、沖合に密かに向かう計画を立てていた。

 埠頭にいる警備兵を気絶させておけば、ボートに乗せて王子を陸まで連れ出せると思ったのだ。

 その為の人員を確保したい。その資金は宰相が手配してくれている。


 ネイサン、トーマス……。アーサー王子の幼馴染の二人は下級貴族の庶子だ。身分は低いけれど、アーサーと共に士官学校で学んだ間柄である。

 あの二人を失ったことはラーソンにとっても痛手だった。

 王室の護衛部隊の若い男達は信用ならない。教官であるロークに心酔している者達が多いからだ。

 あいつらは優秀だが、アーサー奪還の作戦のメンバーとしては使えないのである。しかし、他に誰を雇えばいいというのだろう。

 街のごろつきを金で雇うのは危険である。

 色々と考えた結果、知り合いの退役軍人を何人か雇うことにしたのである。

 しかし、この時、ラーソンは敵に出し抜かれていた。

 宰相の屋敷の新入りのメイドは王妃によって買収されている。

 だから、人払いした時もメイドは扉の前に張り付いており、会話をすべて聞かれていたのだ。

 リュカの護衛の責任者のトットはロークの直属の部下で、もちろん王妃派に所属している。

 二十四歳とまだ若いが剣術に優れているトッドはソフィーの私室を訪れていた。

「王妃様、どうなさいますか? ラーソン達は、こちらを牽制しようとしています。ラーソンを秘密裏に殺しますか?」

「あらあら、それはいけません。アーサーの側近が変死したとなれば、国民が色々と勘繰ります。それに、宰相に謀反の口実を与えてしまいますからね。とはいうものの、ラーソンの動きは止めなければなりませんね」

 報告を受けたソフィーは、それを逆手に取ろうと考えた。

「いい考えがありますわ」


     ☆


 宮殿に出仕していたラーソンのもとに王妃からの命令書が届いた。

「えっ、わたくしが王妃の警護の先導役ですか?」

 ラーソンにしてみれば予想外の事だった。

「ええ、一時的に政府機関を離宮に移すことになりました。宰相様を含む七名の重臣の方達も一緒に離宮に移られます」

 言いながら、ソフィーの侍従が重々しく頷いている。

「困ったことに王家の護衛の長官であるローク殿がいないのです。そうなると、必然的に、副官のラーソン殿が指揮をとることになりますぞ。今から二時間後に王妃様とリュカ様は出発されます。このつもりで御用意を。ささっ、早く。王妃様を待たせてはなりませぬ。今から一時間後に出立されます」

「えっ、一時間後……?」

 午後の三時に出発すると言われて面食らったが、王妃は、前々から離宮に向かうことは計画していたので、荷物は積み終えて、あとは出発するだけである。

 離宮は、ここから馬車で五時間ほど先にある郊外の村の建てられており、そこまでの道は長閑だ。


 離宮から王都に戻るのはさすがに無理がある……。いや、しかし、アーサー様を救う為にはそうするしかない。


 クソッ。

 

 この時期にロークがいないという事は、あの男がアーサー様を暗殺する事を意味している。


「それなのに、こちらはアーサー様をお守りする事も出来ないのか……」


 ラーソンは突然の命令に混乱していた。

 アーサー様を秘密裏に脱出させるつもりだったのに、王妃に邪魔されるとは……。

 しかも、ラーソンが警備しているとなれば、宰相が王妃に手を出すこともままならない。ラーソンはジレンマを抱いていた。どうすればいいのだ?


 焦りは募る。



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