15
バティストから王都に輸送する積み荷を船に載せる作業をアーサーは黙々とやり続けていた。小柄なリリーも自分が出来ることはないかと船長達に言うと、彼等は言った。
「おう、もちろんあるぜ。このリストと積み荷の中味と戸数がちゃんと合ってるのか確認してくれ。少しでも足りないと信用問題に関わるからな」
箱には物品の伝票代わりの木札が結ばれているけれど、たまに、中味が別物という事もあるという。
やがて、無事に積み終えると船は出航していたのだ。
(これで、ようやくギャバやロークの脅威から逃れられるのね。ばんざーい)
リリーは清々した気分で船尾の甲板からバティスト島全体を眺める。
この貨物船のメンバーは、みんな気のいい男達ばかりで居心地は良かった。
リリーは船員達の為にマグロを釣り上げると刺身にして振舞った。彼等は、生の魚を嫌がらなかった。しかし、相変わらず、アーサーは生ものを拒否している。
厨房係のリリーの料理を船員達は気に入ったようだ。しかし、アーサーは硬いライ麦パンを齧りながら気難しい顔をしている。
「アーサー、君、ムール貝の蒸したものも食べられないの? これ、美味しいよ」
一番年下のテレンスは気さくな若者である。それなのに、アーサーは屈託のないテレンスの顔をまじまじと見つめている。
アーサーは警戒を怠らなかった。
もしかして、この男がリュカかもしれないと思っていたのだが、船での献身的な仕事を見てすぐに別人だと確信している。
はっきり言って、リュカとは比べ物にならないようなちゃんとした若者だ。
船に荷物を搭載するにしても、どういう積み方をすれば効率が良いのか、ちゃんと考えて指示している。
最も若いけれど、航海士であるリュカに対して皆が敬意を抱いている。そして、テレンスは、こういう仕事に不慣れなアーサーのことも気遣い、あれこれと教えてくれる。
雑用係のリリーは甲板の掃除やほつれたロープの修復など、何でもござれだ。
はっきり言ってリリーは優秀だった。
「船酔いは大丈夫かい?」
そんなふうに気遣ってくれるが、何しろ、リリーは前世で釣りの番組を担当していたこともあり、船の揺れにはめっぽう強い。
「いやぁー、余裕っすよ」
「あはは、そうみたいだね」
しかし、アーサーは今にも吐きそうな顔をしている。すると、テレンスはアーサーに少し休んでいいよと告げた。テレンスはいい奴だ。
アーサーは船尾の甲板から身を乗り出して吐いた後、つらつらと考え込んでいた。
(テレンスという若者は何者なんだ?)
弟のリュカは神経質なところがあるけれど、テレンスは髪も伸びっ放しでボサボサのままである。
アーサーは船内で飯をたいらげているテレンスに言った。
「テレンス、あんた、誰かに似ているって言われないか?」
「ええー。どうかな。子供の頃は女の子とよく間違われたよ」
アーサーは頭の中でめまぐるしく考えていた。
(テレンスは恐ろしい程にリュカに似ている……。もちろん、ソフィーにも似ている)
そして、その鼻の形はロークに似ている。
船の中でのアーサーは、相変わらず赤毛の鬘をつけていたけれど、もう眼鏡は外していた。汗で曇って前が見えなくなるほどに汗水流したからだ。それにしも、疲れたと、アーサーは息を吐く。
(まぁ、何にせよ、早く帰還しないとヤバイな)
梁にハンモッグを吊るした船底でみんなが寝ているのでアーサーはリリーを気い、コソッと耳打ちする。
「なぁ、おまえ、男ばっかりのところで平気なのか?」
「思ったほど悪くないわよ。継母みたいな酷い鼾を出す人がいないから助かるわ」
狭くて汚い船だが、南米のジャングルの過酷なロケに比べたら、こんなの屁でもない。
あそこには、世にも恐ろしいダニがいて、股間に噛みつきやがったのだ。あんな痒いのは初めてだ。
(アフリカの部族の小屋でのホームステイも辛かったわ)
部族の方達はいい人だったが、寝床にいた蚤に苦しめられた。あの後、痒くて悶絶したのを昨日のことのように覚えている。
それに比べれば船での暮らしは余裕だ。
船員達は男前だし性格もいい。
「あたしにとっては、快適空間よ」
「なんか、おまえ、色々と凄いな」
アーサーは半ば呆れた様に感心している。途中、幾つもの島に寄港して荷物を降ろしては、また新しい荷物を積み込む。
長距離トラックの運転手のように荷物を自分達で積み下ろしをするので、もうヘトヘトだ。
「いいから、もう寝なさいよ」
「ああ、そうだな」
アーサーはリリーが健やかに寝入るの見守ってから自分も目を閉じていく。
☆
その翌朝、ちょうど、寄港した先の埠頭でアーサーは聞いてしまうのだ。
「おい、聞いたか。ウイリアム様が亡くなったそうだぞ」
リリーとアーサーは船内で調理する食材を買う為に市場に向かっていたのだが、アーサーは蒼褪めていた。
「アーサー? 大丈夫?」
アーサーの気持ちは黒く落ち込み焦げ付いていた。
ダメだ。
奴等の陰謀だ。
このままでは父王も殺されてしまう。
「クソッ」
アーサーは愛する兄の死に打ちひしがれていた。自分が留守の間にソフィーにしてやられた。その悔しさに苛立ちを隠しきれない。
ちょうどその時、リリーは酔っぱらった男二人に絡まれていたのである。
いかにも、ごろつきといった感じの若者達だ。
「ようよう、姉ちゃん、おまえ、そんな恰好してるけど、ほんとは女なんだろう? 金がねぇのなら、オレんところに来いよ。可愛がってやるぜ」
嫌がるリリーの身体をべたべたと触っている。
港の雑貨店でトイレを貸してもらっていたアーサーは、店の外の騒ぎに気付いた。
「おい、何をしている」
カッとなったアーサーが男に掴みかかる。
リリーに不埒な真似をした男に対して馬乗りになると顔をボコボコに殴っている。今日のアーサーは変だ。正直なところ、アーサーは我を失っていた。
「アーサー、それ以上、殴ると死んじゃうよ。やめなさいよ」
リリーはアーサーの腕にしがみつくと涙声て叫んだ。
「こんなところで捕まったら、王都に戻れなくなるよ。王都まで、あと少しなんだよ」
リリーもアーサーが兄の死にショックを受けていることは分かっている。
(やりきれない気持ちを発散したいのは分かるけどさ……)
リリーはアーサーを抱きしめて囁いた。
「アーサー、いいから、もう船に戻ろう」
そして、アーサーとリリーは自分達の船へと戻ろうとしたのだが、倉庫街まで来た時、後ろから声をかけられていた。
「おい、てめぇ、待ちやがれ」
先刻、アーサーがボコボコに殴った奴が、仲間達を引き連れてリベンジしにやってきたようだ。
リリーは動揺していた。
(やばいって……。相手は四人。こっちは二人だよ。ていうか、あたしは戦力にならないじゃん)
このままではアーサーが半殺しの目に遭ってしまうと危惧していると、案の定、四人相手に闘おうとしたアーサーは苦戦している。
やぱいぞ。
アーサーは二人がかりで羽交い絞めにされている。
そして、アーサーに殴られた男がここぞとばかりにアーサーの腹に蹴りを入れている。
「やめなさいよーーーーーーっ」
リリーは、そいつの背中を叩こうとすると、ヒョイと突き飛ばされていた。
助けたい。
でも、自分にはどうする事も出来ない。
その男は、ナイフを取り出すと、倒れているアーサーの顔に傷を入れようとした。
「やめてーーーー」
そんなの耐えられない。
そう思った時、リリーの背後からテレンスが現れたのだ。
「おい、ネルソン、やめろ」
「なんだ、テレンス、てめぇには関係ねぇだろう」
「あるさ。それ、僕の船の従業員なんだ。怪我は困るんだよ」
「言っとくが、こいつが俺様の縄張りで仲間に手を出しやがったんだぞ。この落とし前、どうつけるつもりだ」
「ネルソン、君、僕に借りがあるよね? アーサーを許してくれるのなら、チャラにしてあげてもいいよ」
それを聞いたリリーはテレンスに尋ねた。
「借りってなぁに?」
「うん、それはね……」
テレンスが言いかけた時、ネルソンは慌てたように言った。
「分かったよ。おまえとの友情に免じて許してやる。クソッ」
ネルソンはそう言うと立ち去って行ったのでリリーは尋ねた。
「ねぇ、テレンスはどんな弱味を握っているの?」
「いや、たいした事じゃないさ。王都で同じ学校に通っていたけど、あいつ、頭が悪くて留年していたんだ。だから、僕はカンニングさせてあげたんだよ」
「な、なんで、そんな便宜をはかるの? あいつに脅されたの?」
「あいつ、この小さな島の地主の息子だから、恩を売っておけば何かと便利だと思ったんだ。あいつ、留年したら父親に殺されるって泣いてたんだ。そういうのを仲間の前でバラされたくなかったんだと思うよ」
言いながら、テレンスはニッと白い歯を見せた。
ほう、なるほど。
そんなふうに感心していると、テレンスが倒れ込んでいるアーサーの顔を覗き込んだ。
「アーサー、君、何だか荒れてるね? 何かあったのかい?」
「……」
「言いたくないならいいけど、仕事に支障をきたすから、こんなところで喧嘩なんて駄目だよ」
「いや、違うの。これは、あたしが悪いの」
咄嗟に口走ってしまったリリーはハッとなる。
(やばいわ。あたしって言っちゃったよ)
ここは笑顔で誤魔化そうと思ったが、もう遅かった。
「やっぱり、君は女性なんだね。いいよ。みんな気が付いてるんだ。それに、アーサー、君の赤毛は鬘だよね。暑くて蒸れちゃうからそんなの外しなよ。なんで、変装しているのかは聞かないよ。バティスト島で放火事件があった事は耳にしてる。僕は、君達が関係しているんだと思ってる」
「知ってて、なんで雇ったの?」
「僕、ギャバのことが大嫌いだから、その放火を聞いてスカッとしたのさ。みんなもギャバのことは嫌いだよ。さぁ、僕達の船に帰ろうよ」
そうだ。そうなのだ。
(あたし達、テレンスに雇われているんだもの。お給金の分だけ働かなくちゃだわ)
荷を積む仕事をしなければならない。
とはいうものの、アーサーの動きは鈍かった。先刻、さんざん殴られたせいで足腰が弱っており、荷物を運ぶ足も遅い。
「おい、危ないぜ」
誰かがアーサーに向けて叫ぶ。
「えっ」
考え事をしながら、積み荷を陸へと上げていたの悪かったのかもしれない。
突然、巻き上げ機で吊り上げていた樽のタガが外れて頭上から落ちてきた。ガラガラッ。ゴンッ。
いつもなら俊敏によけられるのにアーサーは逃げ損ねていた。
砕けた大きな木枠が飛び跳ね、自分の右足にぶつけてしまう。
折れたのかもしれない。右の踝が、ひどく腫れている、
船員達は、このまま島に残って療養するように勧めたが、一刻も早く王都に帰りたいアーサーはそれを拒んだ。すると、船長が苦言を呈した。
「だけど、それじゃ、俺達が困るんだよ。人手が必要だ。この島で臨時雇いの小僧を見つける方がこっちは助かるんだよ」
それを聞いたリリーは名乗りを上げていた。
「僕がアーサーの分も働きます。代わりに、負傷したアーサーに飯を作らせます。我々には医師に診てもらう金もないんです」
いや、金はあるのだが、ないことにしておこう。
自分達の事情を知っているテレンスをチラリと見つめると、テレンスはしょうがないねと言いたげに頷いた。
「そうだね。あとは王都で荷物を降ろすだけだしね、いざとなったら僕の家族を港に呼び寄せて荷下ろしすればいいさ。それに、アーサーの捻挫も医師に診せるほど酷くはないと思うよ。今更、誰かを雇うとなると時間のロスだ。このまま行こう」
という訳で、また船に乗せてもらえる事になりリリーはフッとしていた。
「テレンス、ありがとう」
「いいんだよ。困った時はお互い様さ」
小柄なテレンスもリリーを庇うようにして働いている。
(ほんと、みんないい人達だわ)
額に汗を流して働きながらも、リリーもアーサーを心配せずにはいられない。
リリーは打ちひしがれているアーサーの背中に手を添えたまま励ました。
「捻挫だから無理しなくていいわよ。食器はあたしが洗っとく」
「……すまない」
アーサーは、やはり、覇気がないのか食事をとろうとしない。
しかし、しばらくすると決意するように言った。
「王妃の思う通りにさせない」
そして、スープを口に入れる。その様子を励ましながら神妙な面持ちでリリーは考える。
(次に殺されるのは王だとアーサーが予言しているわ。それを阻止しなければならないわね)
正義の鉄拳を喰らわしてやる。
☆
一方、その頃、ソフィーの元には手紙が届いていたのである
そこには、アーサーが生存している可能性が高いと記されている。
(無人島で生きていたなんて……。そして、バティスト島まで辿り着いたなんて想定外だわ)
しかし、それを知っているのは自分とロークと侍女だけ。
ソフィーは思った。
おそらく、アーサーは自分が生きているという事を伏せたままアストラ本土に戻ろうとするだろう。
(あの男は油断ならない。死んでもらわないと困るのよ)
しかし、王都で暗殺するのは難しい。
それならば、アーサーを上陸させなければいい。
アーサーが行方不明の状態で王が死ねば、自然と、王位は息子のリュカのものとなる。
しかし、すべての船を上陸させないようにするのは難しい。だが、ひとつだけ方法がある。
三十年前、コレラが流行った時、検疫の為に船は沖合に停められた。
もちろん、乗組員は船内から出られない。
アーサーが無人島から生還するにしても、航路以外の帰路はないのだ。ソフィーの口元に微笑が広がっていた。
(偽のコレラ騒動をでっちあげればいいのだわ。んふふ)




