14
赤毛の鬘に眼鏡。これで少しはアーサーの印象が変わるだろう。
夕刻、リリーはアーサーと連れ立って船長のいる宿へと向かい面接を受けた。
「ほう、おまえ、アーサーっていうのか」
痩身だが筋肉質な船長がアーサーに言った。
「腕立て伏せを三十回、やってみろ」
アーサーがキビキビと腕立て伏せをやってみせると、次に、こう言った。
「それじゃ、暗算してみろ。三十二から七を引いたら幾つだ?」
スラッと答えると中肉中背で顔立ちが穏やかな船長がニーッと笑った。
「ようし、合格だ」
後ろで見ていたリリーは不思議そうに言う。
「腕立て伏せは分かるけど、その引き算のテスト、いりますか?」
「積み荷の数も数えられないような馬鹿だと困るんだよ。まっ、こいつは学のありそうな顔をしてるから問題ないさ。それじゃ、出航の四時間前には来い」
「はい」
リリーは元気よく答えると船長に一礼してから出て行った。
早朝の五時から荷積みをすると言われているので、今夜は早目に眠った方がいいだろう。
リリーとアーサーは互いに顔を合わせると、いいニオイのする方向を見つめた。
「ねぇ、アーサー、お腹、空かない?」
「空いてるぞ。あそこで飯でも食おうか?」
埠頭に面した大衆食堂だ。
まだ時刻は夕方の五時になったばかりということもあり、店内にいる人はまばらな状態である。
リリーがマダムに扮している時は、高級レストランで食べていたけれど、今のリリーは労働者階級の少年なのでこういう店がよく似合う。
リリーはムール貝のワイン蒸しを注文すると、アーサーは牛肉を選んでいた。
「この島、牛を買う農家が少ないから牛は高いのよ。ムール貝なら安いのに」
「オレは魚介類は苦手なんだ」
「ふうん。もったいない。こんなに美味しいのに。ムール貝って、うちの島の特産品で養殖してるのよ。主な売り先はバティスト島よ。この店のムール貝も、うちの島で採れたものだと思うわ」
「フーコック島には、まだ一度も行ったことはないが、どんな島なんだ?」
「今にも崩れそうな城と粗末な漁師達の家と山羊を飼うのが精一杯の僅かな牧草地があるだけの素朴な島よ。みんな貧しいの。若者は、すぐ目の前にあるバティスト島に出稼ぎに出ているわ。若い娘達もバティストの富商のメイドとして働く者が殆どね。島にいるのは老人と漁師ぐらいなもんだわ」
「そうなのか? オレの亡くなった母上は、死ぬ前に、もう一度、フーコック島に行きたいと話していたぞ。あの島の浜辺で見る夕焼けは、どんな宝石よりも美しいそうだ」
「確かに綺麗よ。でも、あたしのお勧めするとしたら、星空かな。特に、夏の星座が綺麗なのよ。あたしのお母様ん、星座に詳しかったそうよ」
「おまえの母君がオレの母上の侍女になってくれていたなら、もしかしたら、死ななかったのかもしれない」
ソフィーによって殺されたと確信している。
親友のようなフリをしていたけれど、アーサーは、ソフィの作り込んだような笑みに違和感を持っていたのである。
「オレの母上が転落した時、オレは、たまたま宮殿にあるチャペルから近い回廊にいた。悲鳴の後、ドスンと何かが落ちた音が響いて駆けつけると、母上が仰向けで倒れていた。オレより先にソフィーが駆け寄って母上に呼びかけていたんだよ。侍医が来て母上は死亡したと告げた。その時、ソフィーは泣いていた」
そこでアーサーがグッと喉元を絞る。
「だが、よく見るとソフィーの口元が笑っていた。満足したような顔つきをしていたんだよ」
愉悦の感情が滲む唇に禍々しさが滲んでいた。
だから、ずっと頭にこびりついている。
「自ら飛び降りたのだと周囲は判断したけれど、どう考えてもおかしいんだ。人は、飛び降りる際に後ろ向きで飛び降りるだろうか」
「下を見ると怖いから後ろ向きで欄干に立つっていうのはあり得ると思うけど」
「ああ、侍医もそう言っていた。しかし、あの時、オレは母上の指の中に金色のボタンが握られていたのを見たんだよ。それは、将校クラスの武官の制服の上着のボタンだった」
「……つまり、揉み合った時に咄嗟にしがみついてボタンがとれたと言いたいの?」
「そうだ。今なら、制服を洗濯する女達に聞きまわって、ボタンのない上着を洗濯に出した将校を探し回るんだがな」
「それじゃ、結局、犯人は分からないの?」
「おまえの継母が殺された話を聞いて確信した。オレの母上を殺した奴と同一犯だ。おそらく、オレの母上のロークに突き落とされたのだと思う?」
「どうして、そんなことをするの?」
「ロークはソフィーに惚れている。リュカがロークの息子だったとしても誰も驚かないさ。オレの父以外の者はソフィーの出自は卑しいと噂をしているからな」
「卑しいってどういうこと?」
「ソフィーの母親は娼婦だったそうだ」
「ええーーーーっ、そうなんだ」
まぁ、職業に貴賤はないけれど。
さすがに、王妃が娼婦の子というのはどうかと思う。
「よく、そういう出自の女性が王の後妻になれたわね」
「オレの好みじゃないが、ソフィーが美人なのは認める。みんな、魔性の微笑みに呑み込まれるのさ」
長男のウイリアム様の奥様は不妊に悩まれて、おかしな祈祷師を呼び寄せていると聞いている。
ぽっちゃりとして、いつも朗らかな方だったというのに、半年前の流産を悲しみに耐えられなくなって、どんどん精神的に追い詰められている。
王妃のソフィーは、そんな彼女の元に足繁く通って慰めているようだが、実際には、ソフィーが渡したお茶が原因で不妊が続いているのだ。
「ソフィーを糾弾するには明確な証拠が必要だ。今は、まだこっちも手が出せない。あの女は国を乗っとる気でいる」
「へーえ。つまり、王妃は息子を王にしようと画策しているのね」
そんな会話の後、二人は食堂を出た。
ホテルへと続く目抜き通りを進んでいると、ちょうど馬車で移動していたロークが、アーサーが生きている様子見てしまうのだ。
☆
えっ。
ロークは瞬きするのを忘れた。
ロークはハッとしたように窓から通りを凝視する。
(赤毛だし眼鏡をかけてるが、あの歩き方はアーサー様で間違いない……)
アーサーはとにかく姿勢がいい。それに、あれだけ背が高い男は庶民ではなかなかいない。
(アーサー様に剣を教えたのはオレだ……)
それに、毎日のように宮殿で顔を合わせてきたので、どのような変装をしようとも、アーサー特有の鷹のような鋭いオーラで分かる。
「くそっ、やはり、生きていたのだな」
それならば、今すぐに殺さなければならない。
幌付きの二輪馬車の座席から叫ぶ。
「おい、御者、ここで止めろ」
「えっ、でも、旦那、走り出したばかりですぜ」
リリーの前世でいうところのタクシーにあたる辻馬車の御者としては少しでも長い距離を走りたい。それを察知したロークが金貨を渡すと、慌てて御者が馬車を停めた。
荷車や手押し車や仕事帰りの労働者でごったがえしている。
そんな中、ロークは走ってアーサーを追いかけようとするが、アーサー達はかなり前を歩いている。
他の人より頭一つ分だけ背が高いアーサーを見失うまいとして必死だった。
市場の人混みの中を人を描き分けて進みながら、ロークは高揚していた。
(王子はオレの追跡に気付いていない……)
しかも、たくさんの人達が行き交っている。
背後から追跡されているなんてアーサーも予測していないだろう。ロークにはやり遂げる自信があった。
前にも、ロークは政敵だった貴族を路地裏で刺して暗殺するのに成功している。
(アーサーは隣にいる少年と話すのに夢中で、こっちには気付いていない。今がチャンスだ)
細くて鋭くて長い釘のような道具を握りしめて、アーサーの背後へと少しずつ近付いていく。
負傷した利き手の痛みは続いている。左手で握りしめるしかない。
襟足にブスリと刺すのがいいだろう。まだ近付いては駄目だ。目撃使者がいなくなるタイミングを見計らって殺してやる。
そう考えていたのだが、その時、ロークの背中に激痛が走った。
(えっ……?)
ひねるようにして振り返ると、自分の腰に木彫りの柄のついたナイフが突き刺さっていた。
その時、ロークは背後から襲われた事に気付いて愕然としていた。
ロークを刺したのは、恋人を殺されたジャンである。
しかし、ロークにとっては見知らぬ男だ。
何しろ、前に会った時のシャンは髭モジャの男だった……。でも、今のジャンは洗練されている。
ジャンは、ロークの脇を通り過ぎながら囁いた。
「ベアトリスの敵だ……」
しかし、すぐ脇を走る馬車の音や呼び売りの声にかき消されて、ジャンの声は耳に入っていない。ロークは自分が誰に狙われたのかも分からないまま倒れ込む。
すると、市場に面した通りで悲鳴が湧き上がった。
ロークは血を流している。みんなが騒然としている。アーサーとリリーはこの騒ぎに気付くことなく遥か前にある角を曲がっている。
「どうしたんですか?」
ロークを心配して顔を覗き込む貧しい青年がいた。なんと、その顔はリュカに瓜二つだったものだから、ロークは大きく目を瞠った。
「リュカ様……?」
視界が曇る中、ロークの思考がグルンとうねるようにして混乱している。
「……リュカ様」
ここにいる訳がない。
おそらく、自分はもうすぐ死ぬのだ。死ぬ前に走馬灯を見るというのは本当のようだ。
ロークは痛みに気を失いかけている。
「おい、誰か医者を呼んでくれ」
リュカによく似た若者は顔だけではなく声まで似ている。ロークは夢現の面持ちで回想していく。
(死ぬ前に、もう一度だけソフィー様に会いたい)
ロークが初めてソフィーを見かけた時、ソフィーは陸軍大尉の新妻だった。
春の優しい風が心に吹いたように感じられ、ロークの心は躍った。
当時のソフィーは十九歳。ロークはソフィーよりも年下である。
上官の奥さんに一目惚れしてしまった。二人は幸せそうに見えた。
それが妬ましくて戦場で上官の死を願った事もある。しかし、上官は、そんな自分を弟のように可愛がり、最後は敵に撃たれそうになったロークを庇って死んでしまうのだ。
ソフィーが王宮に来てからは二人三脚でソフィーの出世を後押ししてきた。
ソフィーは王の子を身籠ったが本当の父親は自分だ。
息子を王にする為なら、どんなこともすると心に誓った。
(……リュカ様を何としても王位に就けたい)
そんな事を思い返していると、誰かが語りかけてきた。
「医師を呼びましたよ」
親切な若者は誰だろう。ロークの目はよく見えていない。
目の前に医師がいる。さっそく、ロークの止血を始めたのだ。幸い、急所は外れている。
すると、遠くから声が響いた。
『おーい、テレンス、そんなところで怪我人を見ていてもしょうがないだろう。行くぜ』
親切な若者の名前は、どうやら、テレンスというらしい。
(テレンスとやら、君は何者なんだ?)
色々と気になるが、ロークはテレンスと話せる状態ではなかった。
町医者がロークの脈をはかろうとしたした時、すでに出血多量によるショックで消耗していたからだ。
(ソフィー……。君のことはわたしが守ると誓ったね。君とわたしの息子を王位に就かせる。それが二人の夢だったよね?)
ロークは淡く微笑みながら気を失っていたのである。
☆
愛人のロークが刺された時、王妃ソフィーは美しい薔薇を愛でていた。
「王妃様、今日のお茶はオレンジの皮が入っております」
「そのようね。よい香りだわ」
優雅にお茶を飲んでいた。
西側にある回廊から王妃の取り巻きの一人である男爵夫人が飛び込んできた。
「お、王妃様、大変でございます」
「あら、そんなに慌てて、どうなさったの?」
「ウイリアム王子が死去されましたわ」
ウイリアムは二日前から熱を出して寝込んでいたことは、宮殿にいる誰もが知っている。
「やっと熱が下がり、奥方様の淹れたお茶を美味しいと言って召し上がったというのに、その直後、亡くなられたのです」
「おおっ、何ということでしょう」
ソフィーは眉根を寄せるようにして嘆いてみせたが、口元には喜びの笑みが滲んでいる。
ソフィーは心の中で呟いた。
(高熱を出すのを辛抱強く待っていた甲斐があったわ)
元々、ウィリアムは心臓が弱い。長生きは出来ないだろうと、昔から言われていたのである。
ほんの少しのきっかけがあればいい。
心臓に負担をかける成分の入ったハーブ茶を淹れる様に仕向けておいたのだ。
(念の為に、残りのハーブを捨てておきましょう)
この企みは誰にも悟られる事はないだろう。
元々、心臓が弱くて、いつ死んでもおかしくないと言われていたからだ。
宮殿ではアーサーの葬儀に携わる人達や武官や貴族が囁き合っている。
『ウイリアム様は亡くなられて、アーサー様は病気療養。王位を継ぐのはリュカ様になるようだな……』
『まさか、それは有り得ない。宰相はアーサー様を推している』
そんなふうに噂されている頃。
リリーとアーサーはバティスト島の特産品である塩とオリーブ油だけを積んだ貨物船の水夫として船に乗り込んだのだ。
王都の港まで三日から四日はかかる。
その間の料理人。マストの操作をする水夫。この二人を募集していた。
運良くリリー達は雇ってもらえたのである。
この船の名は、『セント・ミレイ号』
埠頭から船に乗り込んだリリーは元気よく挨拶する。
乗組員は六人。アーサーとリリーを含むと八人になる。船長たちが言った。
「おう、短い間だけど、よろしくな」
要するに、短期のバイトだ。復路は、正規の船員が乗り込むという。
船員達は、みんなアストラ人のようである。生活の拠点はアストラに置いたまま、バティストとアストラの航海を続けているようなのだ。
アーサーは船に乗り込んだ瞬間、凍り付いたように一人の若者を見つめていた。
「おいおい、どうした? 兄ちゃん、こいつに惚れたのか? 船の中じゃ男同士の恋愛は御法度だぜ」
航海士の男にからかわれてアーサーは苦笑する。
「いや、すまない。知り合いに似ていたものだから」
似ているというよりも瓜二つ。それは、ソフィーの息子のリュカの双子の弟のテレンスだった。
テレンスは自分がソフィーに捨てられた事など何も知らない。
アーサーは、少しばかり面くらいながらも爽やかに言った。
「よろしく、テレンス」




