13
マルゴットの姉のジャンヌは執事からの知らせに恐れ慄き当惑していた。
「どうしてリュカ王子がうちに来るのですか?」
「そ、それが王子の馬車の車輪に不具合が出たようで……。うちの前で立ち往生したようなのです」
ジャンヌは貴族の娘なのだが、嫁ぎ先は商家だった。王都随一の穀物商なので王宮からも近い一戸建ての大豪邸に住んでいる。
その時、ジャンヌの傍らにいたマルゴットは顔色を変えた。
「おそらく、リュカ王子は、わたしに会いに来たのだと思うの。前にも話したでしょう。あの方は、なぜか、昔から、わたしに執着しておられるわ」
姉は、何年も前からマルゴットの苦悩を知っている。
「あの方は変よ。こんなところまで来るなんてどうかしているわ」
マルゴットへの執着心を隠そうともしない。
「宮廷でも噂になって困っていたのよ。だから、どんなに呼び出されても会わないようにしてきたのに、まさか、お姉様の嫁ぎ先にまで現れるなんて……」
良識のあるマルゴットにはリュカの行動が理解できなかった。
リュカのことは好きではない。
というより、そのしつこさにドン引きしている。
「お姉様、わたし、絶対にリュカ王子と顔を合わせたくありません。何とかして下さないな」
「うちは商家なので大きな箱ならたくさんあるわ。その中に隠れなさい」
という事で、マルゴットはリュカ王子を待たせている間に、マルゴットを大きな木箱に入れて、そのまま荷車に乗せて運び出したのだ。ほんの五分ほど移動した後、修道院の裏庭に辿り着いていた。
この女子修道院はジャンヌとマルゴットの姉妹がお世話になっていたところだ。
マルゴットは令嬢として最高峰の教育を受けてきたのである。
マルゴットは隠れていた箱から出ると大きな溜息を漏らしていた。
女子修道院の院長は、いきなり箱から出てきたマルゴットを見て驚いている。
「あらやだ、驚いた。急にジャンヌから贈り物が届いたと思ったら、あなたが木箱から出てくるんだもの。どうなっているのかしら?」
「院長様……。どうか、知恵を授けて下さい。アーサー様の弟君が私に懸想しているようなのです」
初めて、マルゴットが王宮を訪れたのは、今から七年前。マルゴットは十歳でリュカは九歳だった。
あの時のリュカは剣の練習が嫌だと言って剣の教師から逃げ回っていた。
そんなリュカの様子が可笑しいと同時に微笑ましくて、マルゴットは手招きしたのだ。
宮廷では宮廷服といい、女達は大きく横に広がったスカートを着用している。
マルゴットの侍女のスカートの陰に隠れたらいいわと言うと、リュカはすぐに従った。
剣の教師は、リュカ様と叫びながら、マルゴットと侍女を見かけると、困ったようにこう言った。
「リュカ王子を見かけませんでしたか?」
「見ましたわ。あちらの北の塔の方へと走っていきました」
マルゴットが澄ました顔で言うと、剣の教師はそちらに向かって走り出したのだ。
「ありがとう。君、誰?」
その問いにはマルゴットの侍女が答えた。
「こちらの御令嬢は、宰相様の姪にあたるマルゴット様ですわ」
「そうなんだ。綺麗な黒髪だね。君、美人だから、僕のお嫁さんにしてあげるよ」
リュカの笑みは無邪気さに溢れていた。
「とても光栄でございます」
マルゴットは、あの時、そう答えたけれど、あの数日後、第二王子のアーサーとマルゴットの婚約が発表されたのである。
その婚約は、前々から決まっていた事なのだ。
それなのに、リュカは地団駄を踏んだという。
「お兄様は、僕の思い人を横取りしたーーーー。お兄様はズルい」
それはとんだ誤解である。
しかし、リュカの側近達は誤解を解こうとしなかった。
十歳から十五歳まで、マルゴットは女子学校の寮で暮らしており、その間は、それなりに平和だった。
しかし、十六歳になり社交界デビューを果たすと、真っ先にリュカが声をかけてきた。
「やぁ、マルゴット、相変わらず美しいね」
人目も憚らず、リュカはマルゴットを褒めまくった。愛想笑いを返すと、リュカは心から嬉しそうな顔をする。
相手はアーサーの弟という事もあり、冷たくあしらうのは失礼だ。
だから、適度な距離を保ちながら接してきたつもりである。
しかし、ある時、宮殿の庭を散策していた時、茂みの向こうからリュカの悲鳴が轟いた。
何事かと思い近付いてみると、リュカの腕にバッタが止まっていた。リュカはバッタが怖いのか泣きべそをかいている。十五歳の男子とは思えない幼い態度にマルゴットは呆れながらも、そのバッタを手でつまんで取り除いてやると、リュカは満面の笑みで言った。
「やっぱり、君は優しいね」
いや、別に優しい訳ではない。
バッタぐらいで動揺する姿を人に見せてはいけないと思っただけだ。しかし、それ以後、マルゴットの行く先々でリュカが現れるようになった。
王立図書館、オペラハウス、公園。あらゆる所で、偶然を装い、リュカが話しかけてくる。
そんな姿を見た人達からは、マルゴットはこう言われてきた。
『アーサー様だけじゃくてリュカ様にも色目を使っているのかしら』
アーサーのことを好いている令嬢は多いのでマルゴットは妬まれている。それなのに、リュカまでもマルゴットにまとわりついている事でマルゴットは悪目立ちしていた。
マルゴット自身は結婚には興味はなかった。
アーサー王子の事は素敵な人だと思うけれど、特に、ときめいた事もない。
マルゴットは親が言うままに結婚をして子供を産む。それが貴族の娘の宿命なのだと心得ている。
(でも、リュカ様がこんな状態だと、わたしとアーサー様が結婚したらどうなるのかしら)
嫁いだ後のことを考えただけでもゾッとなる。
アーサーの妻になったとしても、リュカはグイグイと迫ってきそうな気がするのだ。
はっきり言って、マルゴットはリュカの妄執が恐ろしい。
去年、こんな事があった。
マルゴットは侍女と共に美しい公園に向かうのが好きだった。
その時、マルゴットのドレスの肩のところにハトが糞を落とした。
『あら、嫌だ。マルゴット様、すぐにお拭きしますわね』
侍女は慌てながらハトの糞を拭ってくれたのだが、その翌日、公園のハトが死体となって転がっていた。
一匹や二匹ではない。公園中のハトが死んでいたのである。
その数日後、王立図書館に向かった際に、リュカが話しかけてきた。
『マルゴット、君の美しいドレスを穢すハトはみんな殺してあげたから安心していいよ』
それを聞いて、腹の底から恐ろしいと感じた。
あの時、公園にはリュカはいなかったはずである。
誰かに、マルゴットの事を見張らせていたのだろうか。
マルゴットは声を震わせながら尋ねた。
『どうやってハトを殺したのですか?』
『毒入りのパンを食べさせたんだ。頭の悪いハトを殺すのなんて簡単だ。ハトって脳みそがちっさいからね』
どこか誇らしげな表情にゾッとなったマルゴットはそれ以後、王立図書館に行くのを止めた。
宮殿にも足を踏み入れないようにしている。生真面目で善良なマルゴットは憂鬱で仕方なかった。
(アーサー様には、この事は話せないわ)
マルゴットの両親に話したとしても、両親がリュカ王子に注意できるような立場ではない。
(どうすればいいの。いっそのこと尼になって世俗から離れてしまいたい)
しかし、アーサーの婚約者である自分が、そんな事を口走ったなら大変な騒動になるだろう。
特に、アーサーに関して恋愛感情はない。
結婚というものは親が決めるものである。
親が言う事には従いたい。
しかし、そのせいで、リュカに脅威にさらされている。
(もう、こんなの耐えられない)
リュカの脅威に怯えながら、マルゴットは祭壇の前でひたすら祈りを捧げるしかなかった。
☆
リュカは愛するマルゴットへの一方的な好意を膨らませている。
(ふふ、きっと、僕に会えたら彼女は喜ぶだろうな)
しかし、いざ、居間に通されるとマルゴットの姉はこう言ったのだ。
「実は、少し前まで妹はここにいたのですが、少し前に帰りましたわ」
それならば、追いかけようとしていたのだが、一応、車輪の調子が悪い事になっているので、すぐさま立ち去る訳にもいかない。リュカは、マルゴットの姉の自宅でお茶を飲んだ後、おおっぴらに溜息を漏らしていた。
最近、麗しいマルゴットの顔を見ていない。
会いたくて会いたくて堪らない。胸が焦げ付く。
(ああ、もう、なんでここにいないんだよ)
リュカは立ち去る前にマルゴットの姉に尋ねた。
「ねぇ、最近、マルゴットは図書館に通うのを止めたようだね。どうしたの?」
「アーサー様に贈るレースのベッドカバーを編むのに忙しいのですわ」
「えっ……」
リュカと会いたくないからですとは言えないので、そういう事にしておいたのである。
すると、リュカの顔が不気味なほどに歪み、マルゴットの姉はゾッとなった。
リュカとしては、マルゴットがアーサーに尽くしている事が許せないのである。
リュカは唇を噛みしめる。絶対に自分が王位に就いてみせる。
しかし、母のソフィーが言うには、まだアーサーは生きている可能性が高いというのである。
忌々しい奴だ。
(あいつが僕の恋人を横取りしやがった。絶対に許すもんか。あいつにはマルゴットを絶対に渡さないからな)
馬車に揺られながら、リュカはアーサーへの憎しみを増幅させていく。
☆
リュカが瞳の奥を濁らせるようにして憤っている頃、リリーはホテルにいた。
男装に磨きをかけるために前髪をカッコ良くカットしていく。
そして、眉毛を少し凛々しく描く。
骨格は弱々しいけれど、十三歳ということにしておけば通用するだろう。
ホテルの部屋から出る際に、誰とも会わないように注意する。
何しろ、この部屋には妖艶なマダムがいるはずなのだ。こんなガキがうろうろしていると不自然だ。
(マダムが少年にも手を出したって思うかもね……。異世界でも、それは不道徳だわ。マダムの小間使いという事にしておけばいいかもね)
現状、リリーはギャバからも追われている。
(やだ。まだ、今日もギャバの手下がウロウロしてる。しかも、王都行きのチケットを買った女性に何か尋問してるわ)
どうしたものかと悩みながら、埠頭近くの屋台で惣菜パンを頬ばっていると、こんな声が聞こえていた。
「ええーー、何だって船員候補が逃げただとぉーーーーー」
「そうなんですよ。どうも、博打の借金を返すために、うちの船長から金を借りたようなんです。その金で博打をして大儲けして金は返してくれたんですけどね。船には乗りたくないって言いやがる」
「金の問題じゃねぇだろう。水夫がいなきゃ航海は無理だぞ。誰でもいいから連れてこい」
「給料が安過ぎて誰も来ないんです。無理もないですね。臨時雇いですし、王都からバティストへの帰りの船には乗れない訳ですからね」
船乗りを募集しているという話を耳にしたリリーは二人に近寄って話しかけた。
「なぁ、あんたら水夫を募集してんのか」
「そうなんだ。途中で三か所の島に立ち寄るんだよ。船の積み荷を降ろすだけの簡単な仕事さ」
「それなら、僕にやらせてくれよ」
「駄目だ。おまえは華奢だ。ただし、掃除と飯炊きなら出来そうだな。ああ、いいぜ。雇ってやる。オレは船長の甥のリロイだ」
リリーは前のめりになりながら言う。
「なぁ、それならオレの兄貴も雇ってくれよ。兄貴は背が高くて喧嘩も強い。きっと、役に立つぜ」
「ほう、それは頼もしいな。出航は明日だ。その兄貴ってのを夕刻までに連れてきてくれ。面接をしてから考える。オレ達のいる宿はここだ」
「うん。分かった。連れてくるよ」
リリーの表情は明るい。
よっしゃ。
船の客としてではなく、船員として王都行きの船に乗り込もうではないか。
元気に決意していたのだ。




